5-2 まずはアズキというやつを水に浸すんだ

「スウィートさんのスカラバディ、わたくしと交代していただきたいの!!!」


 打算に始まり、打算を重ねて──それでも友情と言えるものを育んでいると思える親友に、食ってかからんばかりの勢いでアンジェは叫んだ。どよめく教室。アンジェは鼻の奥が疼いた気がして咄嗟に手で口許を隠す。


「交代、ねえ」


 ルナは長い足を組むと、アンジェをまじまじと見上げる。アンジェはその視線を真っ向から受け、そろそろと口許から手を離した。そうすると頭に上っていた血も下がって、少しばかり冷静な神経が戻ってくる。


「……受けて頂けて?」

「ひとまずもう少し詳しく話せ。それから決める」

「よろしくてよ。わたくし──」


──リーンゴーン。


 アンジェの二の句と予鈴が重なった。忌々し気に教室の天井のあたりを睨み上げるアンジェに、ルナはくっくっと肩を揺らし、昼にしてくれ、と言いながらひらひらと手を振って見せる。アンジェは肩を落とし、教室中ほどの自分の席に座った。


 午前の授業が終わると昼食の時間だ、生徒たちは大抵はカフェテリアで昼食をとる。アンジェとルナの他に一年生の時に同じクラスだった女生徒数人が一緒についてきたが、アンジェは取り立てて彼女らに離席を頼みはしなかった。


(やましいことは、……なくてよ)

(事情を知る方は多い方が良いはず……)


 次期国王フェリクスの婚約者アンジェは、それでなくとも何かと注目されやすい。加えてフェリクスのあの振る舞いである。王子に直接は尋ねられなくとも、婚約者とはいえ同じクラスメイトなら尋ねられる。仲睦まじければそれだけで羨望の的になるし、少しでも不仲な様子なら極上のゴシップだ。目をキラキラさせて、友達のような顔をして話を聞きに来るクラスメイト達に、アンジェは敢えて自分の不安をこぼしていた。フェリクスがアカデミー内で他の素敵な女生徒と好い仲に発展しやしないか。来年度に入学してくるというセレネ・フェアウェル候補と恋に落ちやしないか。自分のことを疎んじてはいないか……。だからわたくしは彼に見合う婚約者となるよう、日夜研鑽をしていますの。それは同い年の少女たちにとって大変共感しやすい心情で、健気な彼女を応援したい、彼女と親しいことを誇示したいと思わせるには十分だった。


「さてアンジェ、スカラバディ交代だったか? 何で急にそんなトンチキなことを言い出したんだか」


 大きな競技場を臨むテラス席の一画を一同で陣取ると、早速ルナが口を開いた。ちなみにフェリクスはクラスメイトと共に貴賓室にいたので、アンジェは最初に手短に挨拶しておいた。昼食はそれぞれのクラスメイトと食べるのが二人の間の決まり事だ。席に着いてから辺りを見回してみたが、リリアンのストロベリーブロンドはどこにも見当たらなかった。


「ええ……」


 アンジェはゆっくりと言葉を選んでいく。入学式までの心境。入学式でリリアンを見た時に受けた衝撃。フェリクスに連れられて行った医務室で彼女と会ったこと。フェリクスが何だか上機嫌なこと。不安な気持ちを打ち明けていると言っても、ここが乙女ゲームの世界であることや、安藤祥子という前世の記憶を持っていることまでは話していない。それにルナ以外のクラスメイトは正直オマケだ。この男勝りな親友に、願いを聞き届けてもらわなければ。


「それで……スウィートさんがこちらにいらしたと思ったら、動悸が激しくなって……頭に血が上ったと思いますの、それで……」

「タラリと出ちまったわけだな、鼻血様が」

「……ええ……」


 真っ赤に両手で顔を覆うアンジェを見て、ルナはくっくっと笑い声を噛み殺す。


「それで、なんだってそれがスカラバディ交代につながるんだ」

「だって……わたくしもう、こんなの耐えられなくてよ……」 

「耐える?」

「スウィートさんにお会いする度に動悸が激しくなって……は、鼻血まで出して」


 アンジェが昼食に選んだ小さなキッシュは、殆ど手つかずのまま皿の上で冷めつつある。


「とにかくわたくし、スウィートさんとお会いするとおかしくなってしまって、……フェリクス様に、お気遣いいただいてしまって……」

「ふむ」


 サンドイッチをぱくりと食べながらルナは適当な相槌を打つ。


「スウィートさんが急に現れるから……それもきっと、フェリクス様とご一緒の時だからおかしくなるのだわ……ですから」

「だから?」


 頷いたり、互いに顔を見合わせたりしているクラスメイト達。遠くに吹く風のような、テラスの生徒たちの談笑の声。


「スカラバディになって、フェリクス様もいらっしゃらない時にスウィートさんと頻繁にお会いすれば……わたくしも慣れて、おかしくなることも減るではないかと思いつきましたのよ」

「……受けるより攻めるってことか?」

「まあ、そうとも……言えるかもしれませんわね……」

「…………」


 ルナは黙ってしまい、ずれていた眼鏡をかけ直した。アンジェをじっと見たまま残っていたサンドイッチをばくばくと一気に食べ、水も一気に飲み干す。曲がりなりにも彼女を親友と呼ぶアンジェは、ルナがこうしている間に言葉を選んでいるのだと知っていた。青灰色の瞳を正面から見つめ返し、それでもいたたまれない気持ちになって、テーブルの上で拳を握り締める。


「……受けていただけて? ルナ……」

「アンジェ。赤ちゃんべべ・アンジェ」


 ルナは全てをごくりと飲み込むと、ふう、とため息をつき──


「それは、恋だ」


 ニヤリと笑った。


「一目惚れでぶっ飛んで鼻血を出しちまうくらい、とびっきりの恋だ」

「な……何を仰るの!?」


 アンジェは思わず仰け反ってしまい、ルナはそれを見て更にニヤニヤと笑う。


「会うと動悸が激しくなって思考がめちゃくちゃになる。恋以外のなんだってんだ」

「だってわたくし、フェリクス様がスウィートさんとどうにかならないかを案じているんですのよ!? 断じて恋なんかじゃなくてよ!!!」


 慌てふためくアンジェとルナの間で、クラスメイト達がきゃあ、まあ、何ということ、とニコニコしながら互いに互いを小突いている。


「おうおう、そうだな、可愛いお姫様が殿下とデキちまわないか心配だな」

「ルナ! からかわないでいただける!?」

「私のおじい様の国じゃ、こういう時にセキハンって奴を食べるらしいぜ」

「ねえ、第一スウィートさんは女の子ですわ! 確かに可愛らしい方ですけれども! わたくしはフェリクス様の婚約者で、フェリクス様が一番で……だから!」

「それがどうした」


 ルナはフフッと笑うと、左手でテーブルに頬杖をついた。


「男だとか女だとか、婚約者だとか身分だとか……そんなのは全部、人間が考えたことさ。誰かが誰かを想う気持ちは、もっと原始的なんだよ」


 長いが節の目立つルナの指先が、目元の泣きぼくろの辺りをトントンと叩く。

 ゆっくりと細められ弧を描く、青灰色の瞳。


「特に、恋なんて理不尽な感情は、ね」

「…………ッ…………」


 アンジェは言葉に詰まり、目の前の親友を真っ向から睨んだ。誰が誰に恋をしているって? フェリクスが恋しくて、彼を奪われることを誰よりも恐れているこのわたくしが、女の子のスウィートさんに恋をしているですって? ルナはアンジェの睨みなど大したことないと言いたげにニヤニヤしてばかりだ。クラスメイト達が息を潜め、でも好奇心が爆発しそうになっている気配が、周囲の喧騒をどこか遠くに押しやっている気がする。友達は友達でも、恋の話を面白おかしくするためなら、相手への遠慮なんてすぐに消し飛ぶ。ここでアンジェがどれだけ否定し続けても、ムキになっていると思われるだけだろう。アンジェは自分に言い聞かせるように、深々と溜息をついた。


「……もう恋でも何でもよろしいわ、好きに仰って」


 そうよ。恋だと思わせておけば良いのだわ。

 大切なのは、望むものを手に入れること。


「それで、スカラバディ交代はしていただけるの?」

「いいとも。ただし条件がある」

「……どうぞ」


 待ってましたとばかりにルナは身を乗り出す。


「事の顛末を逐一教えてくれ。こんな面白いこと、滅多にない」


 きゃあああ、と盛り上がるクラスメイト達、ルナもうんうんと頷きながら得意満面だ。アンジェはまたしても溜息をついて、承知しましたわ、と小さく呟いた。


 きゃあきゃあ大騒ぎするグラスメイト達に囲まれて食べたキッシュは、殆ど味がしなくて最悪だった。




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