前章
その一
剣の里の発祥は、凡そ百年前に遡る。
長い戦乱の時代が終わり、現在の朝廷と大公による体制が固まり、世情が安定して人々が太平に慣れた頃。
世情が乱れれば、穢れも増える。
穢れが増えれば、それを祓うことが出来る巫女の権威は高まる。
戦乱が終わったとき、巫女の権威はかつてないほどに高まっていた。
それはまさに生きる神そのものだった。
朝廷は巫女の血を取り込むことで、自らの権威を高めていたが、巫女が力を持ちすぎることを恐れてもいた。
そのため、巫女を管理することに腐心し、いくつもの対策を練った。
巫女を補佐する神祇府も、裏を返せば巫女の行動を制限し、管理下におくために設立されたと言ってもいい。
特に朝廷が頭を悩ませたのが、守り手の存在だった。
巫女のためだけに生きる、巫女の護り刀。
権力のある者が守り手の座に着けば、朝廷を脅かす存在にすらなりかねない。
危険となった時に排除しようにも、守り手は揃って尋常ならざる使い手ばかりのうえに、巫女の危地には神がかった力を発揮する。
転機が訪れたのは、戦乱が終わり百年近くが経った頃、ある巫女が女を守り手に選んだ時であった。
その女の出自も、女の身でなぜ歴代の守り手とも遜色のない剣の達人であったのかも、誰も知らない。
女は弟子を育て、弟子は次の巫女の守り手になった。
朝廷はこれに目を付けた。
山祇では女は庇護すべき存在だが、社会的な地位は低く、権利が少ない。
守り手の女に次代の守り手を育てさせるように支援すると、これが驚くほど上手くいった。
理屈は誰にも分からないが、女の守り手が育てた女に、巫女は強烈に惹かれるらしく、以後の守り手はすべて女になった。
これが剣の里の始まりである。
剣の里は皇都からそれほど離れているわけではないが山深くにあり、里に続く道も存在しないため、訪れるものはいない。
里には五歳から十四歳までの少女が四十人ほど暮らしていた。
里では十五歳の成人になると、一定の練度に達したものは剣士として派遣され、そうでないものは様々な形で市井に戻る。
巫女は二十年に一人生まれる。
この周期はけして変わることはない。
例え先代の巫女が夭折しようとも、この周期が狂うことはなかった。
そのため、極端なことをいえば守り手も二十年に一度育てればいい。
しかし、里では毎年数人は女剣士を育てていた。
これにはいくつかの理由がある。
一つは技の継承のため。
守り手とて人の子。病死などの理由で継承が途絶えないように世代ごとの継承者が必要だった。
もう一つは女剣士の需要。
里が排出する教養もある優れた女剣士は、貴族にとって妻や娘の護衛として最適なうえ、里の女剣士を雇っていることは社会的な地位の証明にもなった。
何しろこの国で最も尊い巫女と同じ護衛をつけているのだ。
三十歳になる前に大半が引退してしまうため、現役の剣の里の女剣士は百人もいない。その希少性が価値を更に高めていた。
その中でも、やはり巫女と同じ歳の里の子は特別な存在だった。
今代の巫女は三年前に五歳にして覚醒しており、守り手となる世代はすでに決まっている。
普通であれば一世代三人前後のところ、その世代は十人近くが集められていた。
里の子は皆、身寄りのない孤児であり、凡そ五歳から七歳で連れて来られる。
教育的には赤子の時から育てた方がいいが、乳幼児の死亡率は高く、里にそこまでの余力はない。
何しろ里には大人が、長しかいないのだから。
里長である華陽は神祇府の呼び出しなどで里を空けることもある。
その日、里に戻ってきた華陽が連れた子供を見て、子供たちはざわめいた。
里には長の屋敷というには小さな家以外には数戸の長屋しかなく、長屋に囲まれた広場に子供たちが集まっていた。
華陽が連れていたのは十歳には届かぬほどの、薄い茶の髪と翠の瞳をもった、抜けるような白い肌の少女だった。
里の子たちにとっては明らかに山祇の民ではない物珍しさもあったが、それ以上に年齢が問題だった。
「皆のもの、今日から里の子になるゆらだ」
華陽の紹介にも、異邦の少女は頭を下げるでもなく、茫洋とした様子で立っている。
どことなく生気のない、人形を思わせる風情であった。
「長、よろしいでしょうか」
ざわめく子供たちの中で声を上げたのは、里で最年長となる十四歳の蘭という少女だった。
蘭が発言すると、子供たちのざわめきがぴたりと止まった。それは目上のものが話している時に黙る躾を受けているからであるが、蘭に対する畏れも含まれていた。
「かまわない」
「異邦の血が入っているようですが、身元はたしかなのですか」
里で引き取る孤児の大半は神祇府の手引きなので、意外にも身元のしっかりしたものが多い。とくに武芸が身近にあって教養もある衛士の子である場合が多かった。
五歳であっても育ってきた環境が人格に与える影響は大きい。
守り手としてでもなくても、貴族が雇うことが多いのだから、身元がたしかな方が好まれるという理由もあった。
「知らん。麓の町で財布を掏ろうとしたから捕まえた」
「咎人ではありませんか!」
「そうだな。だが、胆力と身のこなしがよかったのでな。いい剣士に育つかもしれない」
あまりの言い様に、蘭は言葉に詰まる。
里の剣士として申し分のない剣の腕をもつ蘭から見ても、師である華陽は隔絶した剣士だ。そして傑出した人間にありがちなことに、常軌を逸したところがある。
幼少期を衛士の家で育った常識を持つ蘭からすると、華陽のものの考え方は明らかに山祇の常識を逸脱している。
「…言葉は通じるのですか」
何とか気を取り直して蘭は問いを続けた。
山祇の言葉は独自の発展をしており、大陸とは異なる。
西の帝国とは通じる部分もあるが、会話ができるほどではない。言葉が通じないようでは、何を教えるのも手間がかかりすぎる。
「問題ない。ゆら、何か言いなさい」
「…よろしく」
ほんの一言であったが、不自然さなど全くない発音だった。
華陽の言葉も理解できているのだから、言葉に不自由はないのだろう。
「その子は何歳なのですか」
「八歳になる」
華陽の短い答えに、子供たちから大きなざわめきが上がった。
問いかけた蘭は、勝気そうな顔を分かりやすく歪める。
「その子も守り手の候補とするのですか」
「それだけの腕になればな」
「今、八歳の子は十人います。わざわざ大陸の子を増やす必要があるのですか」
「選ぶのは巫女様だ。我らはより優れた剣士を育てるだけよ」
にべもない華陽の言葉に、蘭も反論に詰まる。
この里では剣の腕が全てだ。
蘭に他の子供たちが逆らえないように、蘭を含むこの場の全員で切りかかっても勝てる想像ができない華陽は、まさに絶対者であった。
「では、後のことは任せる」
「その子はどうしますか」
「任せると言った。おかしなところがあれば後で指摘する」
基本的に華陽の教育は放任だった。
華陽が里の長を引き継いだのは八年前。つまり今の里の子供たちはほとんど華陽が一から育てたものたちだ。
華陽の鍛錬法は理解しているから、基本的には子供たちだけで鍛錬を回している。
華陽は折に触れて鍛錬の進捗を確認して、指示を与える程度だった。
ゆらをその場に残して、華陽は屋敷の方に踵を返す。
残されたゆらは、華陽を目で追うことすらもせずに立っていた。
ため息をついて、蘭は華陽の背中を不満を込めてねめつけるが、もちろん華陽には届きもしなかった。
「あの子はどう思うでしょうね」
負け惜しみの様に言った蘭の言葉に、しかし華陽の背中は小動もしなかった。
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