第12話 暗い闇の中へ【佐々木姫架 視点】



 小学生の頃、隣の席の女の子にこう言われた。



「姫架ちゃんの声って、なんか変だよね」



 唐突に言われたその言葉に私は首を傾げるしかなかった。ただ、言われた瞬間に嫌な気持ちになったことだけははっきり覚えている。


 もしかしたら「なんか変だよね」というのは悪気や悪意が無く、そこまで深い意味を持つ言葉では無かったのかもしれない。


 けれど、それでも小さな私の心を割るには十分な言葉ではあった。


 他とは違う。私は普通じゃない。言いようのない不安と恐怖で私はそれからあまり喋らなくなった。


 本能的に感じたそれ。絵が上手い、可愛い、それらの「他とは違う」ではない。あきらかにマイナスの意味合い。


(......変って、おかしいって事......だよね)


 それまでの私は、自分でいうのもなんだが元気いっぱいで活発な子供だった。運動が好きで、男の子に混ざりサッカーやバスケットなんかをしていた。


 放課後にはクラブの助っ人なんかもして、友達は多い方。だから、私の異変に気がついてくれて心配してくれる人もいた。


 でも私は打ち明けられなかった。その話をして「前から私もそう思っていた」なんて言われるかもしれない、それがたまらなく怖くて仕方がなかった。


 あの日、私の声が変だと言ったあの子も特にケンカをしていたわけじゃなく、それまではむしろ中の良かった友達だ。


 だから、怖くなった。


 それまでは普通に出てきた言葉も、いちど脳内で審議をかけるようになった。内容は、その言葉を口にして責められないか。


 考えれば考えるほどわからなくなる答え。それに伴い会話が成り立たなくなり、余計に変な奴と見られる悪循環。


 誰かに話しかけられても上手く答えることができず、どもる事ばかり。それが例え学校の先生や親でも同じ。


「はは、みてみて!こいつ何しても何もいわねーの!」


 そして、小学校高学年になると私は本格的にいじめられ始める。


 背中を突然押されたり、上履きを隠されたり、机に花を添えられたり。まるで漫画であるような事が現実に行われていく事に私は驚き恐怖した。


 何をされても抵抗しない。声を上げない。だから皆のストレス発散には都合がよくて、私のクラスでの位置はそこに固定される。


 大人に言えば何とかしてくれる。そうだったのかもしれない。けれど、それが失敗に終わった時の方が怖い。もしかしたら加害者にバレ報復されたらと思うともう恐怖で何もすることができない。


 あの人たちは何をするかわからない......そんな怖さがあった。


 だから、従順に......必要以上に危害を加えられないように。そうやってどんどんと、言葉を発することを自らやめた。


 そんなある日。


「お前さー、目が鋭くて睨んでるみたいで生意気だなあ」


「確かに!唇も厚くてキモいし」


「あー、それ私も思った。ブサイクだよね、シンプルに」


 私は度重なるいじめに心が鈍化し、もう何も感じなくなったかと思っていたから驚いた。まだこんなに痛いことがあるのかと、その言葉に胸が締め付けられる。


「あれだね、佐々木。お前は影が薄くて幽霊みたいだから髪伸ばせよ」


「あ、それいいね!佐々木似合うよ」


「ブサイクな顔面を覆い隠すくらい前髪も伸ばせば一石二鳥じゃんね」


「あー、確かに!佐々木の顔なんて誰もみたくねーしな!」


「それな!」



「佐々木......わかったな?髪、伸ばせよ?」



 頷くしか出来ない私が、私は嫌いだった。


 やがて私の異変に両親が気がつく。だんだんと長くなる髪。切りなさいと言われるたびに抵抗し、頑なに拒否する。


 お母さんと一度言い合いになった事があったが、何か理由があるのかもしれないと察してくれて、それ以上は追求して来なかった。


 その後、居間で見かけたお母さんは泣いていた。


 もしかしたら口数が少なくなった私が怒鳴り声をあげたからかもしれない。


 私もお母さんの気持ちを考えると悲しくなって泣いてしまった。


 でもそれは、お門違いって言うやつで、私に泣く資格なんてないと自分の事を叱った。お前のせいなのに、泣くなよ、と。


 だが私は駄目な子で、度々涙を流してしまう。その度に自分を責めた。駄目な自分に嫌気が差して、いつもベッドを殴りつけた。


 そして、お父さんは私を怒鳴りつけるようになった。


 私の髪を引っ張り無理やりに髪を切ろうとしてきた事があった。それはいつもお母さんが居ない時におこなわれた。けれど、いつも未遂に終わり泣きじゃくる私の頭をお父さんは平手で叩いた。


 軽く叩かれただけなのに、すごく痛くて心がぎゅっと潰されるような感覚になったのを今でも頻繁に思い出す。


 私は色んな物を諦めて生きるようになっていく。だって、普通じゃないし、人よりブサイクで声も変。そんな私が普通に生きられるわけはない。それに私は駄目な子だ。


 ずっとそうやって生きてきた。


 でも、今思えばそうじゃなかったのかもしれない。心の奥底では、諦めてなかったのかも。


 ブサイクと言われた日から美容の勉強をし、声を馬鹿にされた日からは発声の勉強をしていた。


 それが表に出ることはなかったけれど、密かに努力を重ねていたんだ。


 誰にも見られない暗い底で、光るともわからないものを必死に磨いていた。


 深い深い、深海.....海底にある暗闇の中を歩くように。


 VTuberのキララちゃんという支えだけを頼りに、先も現在地もわからない道を歩く。


 やがて時は経ち、親が離婚して私とお母さんは家を出た。別の町へと移り住み、学校も変わる。転機が訪れたのだと期待をした。


 中学生になり、前の学校でいじめてきた人達もいなくなり、やっと普通になれるのかもしれないと思った。


 けれど、そうはならなかった。


 染み付いたいじめられっ子気質は簡単には取れない。言葉を発したくても発せ無い、会話がまともに出来ない。


 普通に出来ない。だから、そうなると行き着く先はやっぱり前と同じ所だ。


 ――根暗で陰気な人間......格好の、いじめの対象。


 話によれば、キララちゃんも昔は大人しくいじめられていた時期があったらしい。けれど今ではああして多くの人に慕われる人気VTuberとなった。


 どうやってあそこに行けば良いの......いや、行けるはずないのかも。私はキララちゃんとは違う。私はあんな風には――



「......なれるよ。君の声は美しい。他にも君には魅力的な所が沢山ある。絶対にできるよ」


 ――真っ直ぐに、彼は言った。


 お父さんやクラスの男子の暴力で、男の人が怖い。けれど、彼は違った。


 1年間......お母さんとの交際期間、ずっと優しくしてくれて、ゆっくりと慣れていったお母さんの再婚相手、有馬敬一さん。お兄さんのお父さんとは、まだ会話はまともに出来ないけれど、近づかなければメールや筆記で会話が出来る。


 でも、逆にいえばそれだけの期間をかけて慣れても、そこどまりだった。


 でも、お兄さんは違う......なんでだろう。初対面でも、お兄さんとは言葉を交わせた。


 懐かしい雰囲気。誰かに似ているのかもしれない。優しくて、私を嫌がらない。それどころか、護ってくれるって言っていた。


 あの言葉は嘘じゃなかった。いじめられるようになってからは嘘に敏感になっている私だが、お兄さんの言葉にはそれが無いのがわかる。


 ぜんぶ、ぜんぶ......私の事を思って言ってくれてる。


 なら、信じてみても良いのかもしれない。



 ――ぽちゃん、と天井の水滴が湯船の水面へとあたって弾ける。



 ぼーっと思い出していた昔の記憶。


(......敬護、さん。お兄さん......私の)


 私は浴槽で項垂れた。顔が熱い。のぼせたのかな。




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