――絵師の兄は義妹の幸せを描く。
カミトイチ@SSSランク〜書籍&漫画
プロローグ 12月24日
白。
ふわりと風に飛ばされ宙を漂う、粉のような氷の結晶。
それがひとつ頬に触れ、俺は雪に気がつく。
(ああ......なるほど、寒い訳だ)
――眼前にいる一人の女性。潤む瞳、荒い息遣い、まるで映画や漫画のワンシーンのようだな......と、まるで他人事のようにぼんやりと俺は思っていた。
街路樹の枝に巻きつけられた色とりどりの電飾。クリスマスツリーのように彩られる、一際大きな街路樹の下。
今日が12/24だということもあり、男女向かい合い立ち尽くす俺と彼女は、周囲からは恋人に見えているのではないだろうか。
それか、見ようによっては愛の告白が行われようとしているようにも。
すぐ横を通り過ぎた男性3人組が、俺の前にいる女の子をみて「うお、可愛い」「女のほう、アイドルみてーだな」「男うらやましー」などと会話している声が聞こえた。
(......アイドル、か)
確かに、彼女は美しい。この子が恋人であれば冴えない男子高校生であるこの俺、有馬ありま 敬護けいごの人生にも彩られ、幸せな日々を送れる事が確約してしまうだろう......彼女は性格も良いし、一緒にいて楽しいし。あと面白い。
笑いの絶えない、幸せな毎日が訪れる。
(......だが、それは無い)
そう、それは絶対に無い。
何故なら、眼前にいる彼女とは他でもない俺の「妹」なのだから。
名前を
ひとひらの雪が舞い降り、それが彼女の美しい黒髪に溶けて消えた。後ろ髪は長く腰まであり、前髪も顔の半分を隠してしまうほど。しかし今日は白い薔薇のヘアピンで横へと上げ顔が見える。
整った顔立ち。少し釣り上がっている目尻、少し厚い唇。その口元にある小さなホクロ。美少女といって差し支えないルックスだろう。
兄バカみたいな事をいうが、芸能界でも十分に通用するビジュアルをしているように思う。
が、しかし彼女にはその前髪で顔を覆い隠してしまわなければならない理由があった。それは彼女の過去に起因するのだが.....今はおいておこう。
ほう、っと漏れ出る吐息が白く煙った。
大きな街路樹がクリスマス仕様でイルミネーションの電球が巻き付けられている。その一際大きな木の前で俺は妹に袖を引かれ止められた。
それから彼女は挙動不審にもじもじとしている。いや、挙動不審なのは普段からなんだけど、何かを言いたそうにしているようにも見えた。
(......そろそろ救いの手を差し伸べるか。寒いし)
「どうした、妹」
「......あ、う。え......えっと、その......え、えっと」
「落ち着いて。ゆっくりでいいぞ」
俺がそう言うと、彼女はこくりと頷く。両手を胸元で重ね、ふう、と深呼吸をする。
「......VTuber......モリちゃんの登録者数が、昨日で2万人になりました......!」
「おお!凄いな!まだ始めて3ヶ月なのに!頑張ったな!おめでとう!!」
彼女はVTuber。俺のすすめで約3ヶ月前に活動を開始した個人VTuberだ。
名前は陽季子モリ。引き籠もりになりたいという彼女の切なる願いが顕現した引き籠もり(になりたい)系のVTuber。
姫架が白い息を吐き、ふんわりと微笑む。
「ありがとう、ございます......えっと、あの......お兄さんのおかげです......」
「いや、それは妹の努力の成果だ。ずっとみてきたからわかるよ。頑張ってたもんな......本当に、おめでとう」
照れくさそうに、にまにまと微笑む妹。
「でも、お兄さんが......」
「ん?」
「お兄さんが私にVTuberをすすめてくれたから......お兄さんがいなかったらわたしは、こうして憧れていたVTuberになることなんて無かったです......」
憧れたVTuber。彼女は元々とあるVTuberが好きだった。だから、俺は背中を押してやっただけだ。踏み出したのは他の誰でもない、彼女自身だ。
「......いや。俺はただの切っ掛けでしかないからな。妹が頑張ったからこそ、人気が出てきて今の君があるんだよ」
そう俺が返すと彼女は「......む、うう〜.....」と恨めしそうに唸る。
「......でも、でも......!お兄さんのおかげなんです......!私がこうして、ちゃんと......まだ、お兄さんとだけですが......まともに会話できるようになったのだって!」
ぎゅうっと両手を握りしめ、彼女は必死に想いを訴える。赤らむ頬はおそらく寒さのせい、泣き出しそうな潤んだ瞳は俺の聞き分けのなさに悔しい思いをしているからか。
「.....こんな、私に居場所を作ってくれた......」
かすれる声、うつむく妹。
無意識に俺は思わず彼女の頭を撫でていた。ぴくっと反射的に彼女が震える。
「......お兄さんですよね、私の......モリちゃんのチャンネルを宣伝してくれたの......」
「......何の話だ?」
「......雑談配信の切り抜きやshort動画をあげてくれてるの、お兄さんですよね......」
「え?」
「すみません、この間.....お部屋が開きっぱなしだったので......PCがみえてしまって」
俺は定期的に部屋を開けっぱにする癖がある。理由はいくつかあるんだけど......もう家は父さんと俺の二人暮らしじゃないんだ。いい加減直さないとな。
現に妹にこっそりやっていた応援がバレちゃったし。
「いや、すまん.....いつかは言わないととは思っていたんだ。勝手な真似して悪かった」
「......こんな事前にもありましたね」
「え?......あ」
俺は既視感を覚えた。そうだ......妹の言う通り、俺は似たようなことを前にもしたことがある。
妹はふるふると首を横に振り、こちらに顔を向けた。
「......私は感謝してるんです。お兄さんがそうして宣伝してくれたから、今の私があるんですから......」
にこりと笑う妹。
「......ほんとに、ありがとうございます......お兄さん」
しどろもどろに礼を言う彼女。ちらちらと頑張って目を合わそうとするが恥ずかしくて背けてしまう妹だが、気持ちは伝わってきた。
(......俺は、妹が大切だ。血が繋がってない義妹だけど、俺は彼女の事を父さんや死んだ母さんと同じように家族だと思っている......勿論、彼女の母親の事も)
だから妹がやりたいことは全力で応援するし、協力もする。それが兄としての妹の愛し方であり、護り方だ。
今の俺は、母さんが死んだあの頃とは違って無力じゃない......力がある。妹はどんな事があっても俺が必ず護る。
――ふと、何気なくそらした視線。街路樹のクリスマスツリーが目に入る。
......そういえば、なんでここなんだ?と、ふと思った。意図してこの場所に引き止めたわけじゃないのかもしれない。けれど、お礼を言うくらい家ででもできるだろうに。
恋人が行き交う街中で、クリスマスツリーの前。兄と妹が二人。......こんなところをクラスの人間に見られて変な勘違いされたら困るよな、妹。言い訳とかできなさそうだし。からかわれる原因になる。......そろそろ帰るか。
「さて、と。帰ろうか、妹」
「......!」
「風邪をひいたら不味いんじゃないか。学校休んで変に目立ちたくないだろ」
「......は、はい」
家の方へ歩こうとした時、右手に柔らかな感触を感じた。それは妹の左手だった。
彼女は俺の手を握り動かない。
「......どうした?」
「い、妹......じゃなくって、ひっ、ひ」
「え、ひ?......なに?」
「ひっ、ひっ.......ふーっ」
「いやラマーズ法!?」
「え、あっ、ちが......」
ぱたぱたと手を振り否定する妹。そして、ぎゅっと目をつむり、震える声でこう呟いた。
「......ひ、姫架って呼んでくださいっ......」
「!」
ああ......そうか。考えてみればそうだな。彼女にはちゃんと姫架という名前がある。妹と呼ばれるのは距離を感じて寂しかったのかもしれない。
「うん、わかった。これからは名前で呼ぶよ、姫架」
「......!!」
こくこくと首を立てに高速で振る姫架。赤ベコの非じゃねえくらい素早く可動するな。てか耳が真っ赤だ......早く帰らないとマジで風邪をひいてしまう。
街の光が瞳に反射しているのか、姫架の瞳がキラキラと輝いて見える。
「......それじゃ、帰ろうか。姫架」
「お、お兄さん!」
「おお?どした......!?」
「あの、その......わた、わた、たわし」
「たわし!?」
「いえ、私!!」
はっ、はっ、はっ、と呼吸が激しくなる姫架。これはもう風邪をひいて熱があるのか?ってくらい頬が赤くなっている。
「......な、なに?」
姫架に握られた右手が熱い。
「......私、お兄さん.....のことが、す、す、好きです」
好き、という言葉。ドクンと心臓が跳ねる。俺はクリスマスという日だという事と、このシチュエーションが相まって一瞬勘違いしそうになった......が、冷静に考えれば、家族としてって事なんだよな。
俺は素直に嬉しい。だって、思いを伝えるというのは簡単そうに見えて難しことだ......特に口下手な彼女にとっては。今の一言もかなりの勇気がいった事だろう。
俺も俺の気持ちを伝えよう。大切な妹に、兄として。
「うん、ありがとう。俺も妹......じゃないや、姫架の事好きだぞ」
ぱぁっ、と妹は曇り空を吹き飛ばすような、明るい笑みを浮かべた。
......しかしその直後、「......ん?」と首を傾げる。
眉間にシワを寄せ、何かを思考する彼女。そして、口を開く。
「......そ、それって......どういう好き、ですか......」
「えっ......どういうって、家族として?」
一瞬にして彼女の天使のような微笑みが死に虚無となった。そしてだんだんと目が虚ろになり、不服そうな表情へと変化していく。
ど、どーした。
「ひ、姫架......?」
――すぐ隣を一組の学生のカップルが通る。楽しそうに腕を組み笑い合う。
俺はどこか居心地の悪さを感じ、姫架に「そろそろ帰ろう」と促す。
しかし彼女に俺の声が聞こえてないようで、姫架は通り過ぎた先ほどのカップルを目で追っていた。
「......勇気.....ださなきゃ。そう、少しの、勇気......」
小さな声で何かを呟く妹。先月、俺がお祝いであげたマフラーをぎゅうと左手で握りしめ、頷く。そして――
「......え?うおおっと!?」
――ぼふっ、っと懐に飛び込んできた。俺は彼女の小さな体を反射的に受け止める。
「だ、大丈夫か......姫――」
――架、と言おうとした......が、俺は彼女の名前を言い切ることが出来なかった。
彼女のシャンプーの匂いが香ったその瞬間。
それと同時に、柔らかな感触が俺の口にあたった。
開きかけた俺の口を、姫架の唇が塞ぐ。
一瞬の出来事。けれど、その衝撃は俺の頭を麻痺させるのに十分なものだった。
ゆっくりと離れる、姫架の顔。薄く目を開けていた彼女は、普段のイメージとはかけ離れた艷やかな表情。
石鹸のような、シャンプーのような。またはそういう香水なのかもしれない。受け止めた時の、彼女の甘く優しい匂いがまだ胸に残っていた。
――ドッ、ドッ、ドッ......と、心臓と脳の位置が入れ替わったのか?と思うくらいに耳元でうるさく鳴り響いていた。思考が回らず、俺の間の抜けた顔が近くの店のショーウィンドウに映っている。
「......え......あ、え」
......言葉にならない。頭が真っ白になり、姫架の顔をただただ見つめることしかできなかった。
彼女の長く美しい睫毛は少し凍っていて、光に照らされ輝いている。
いつか見たドラマのワンシーンのよう。
やがて彼女はうつむく顔を上げる。
どこか泣きそうな顔。
姫架は唇を震わせ、言葉を紡ぐ。
「......私は、私は......人として、欠けてるところだらけです......だから、一人だとバランスをとれずに倒れてしまいます......え、えっと、その」
俺を見据える彼女の瞳から、迷いが消えていた。
「よければ......お兄さんに、私の欠けている部分を埋めて支えてほしいんです。......あの日、ずっと私の側に居てくれるって言いましたよね?」
この日、根暗で陰キャな妹が――
「私は、お兄さん......いいえ。敬護さんがいないと、生きていけません」
――俺の中で、一人のヒロインになった。
「ずっと一緒にいてください。好きです、敬護さん」
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