はじめての竜2(side.アロイス)
竜騎士の朝は早い。
竜の世話から竜舎の掃除。午前は基礎鍛錬があり、午後からは騎乗訓練や武器使用の訓練。夕方にもう一度竜の世話をして、日によっては竜舎当番といって竜舎に泊まりこむ宿直業務もある。
そんなルーティンの一つである竜舎の掃除をしていたアロイスは、ふぅと息をついた。
がらんとした岩壁の部屋。
干草をいっぱいに敷き詰めて、いつでもこの部屋に竜が住めるように整える。
まだここに棲んでいる竜がいないとはいえ、今のうちから慣れておくようにと指導を受けていたアロイスは、掃除が終わるとぐいっと背筋を伸ばした。
基礎鍛錬までの時間がまだ空いているので、隣の部屋の同期の掃除でも手伝おうかと考えていると、「うわぁっ!」という声とともに、その同期のいる隣の個室から派手な音が上がった。
柵から身を乗り出すように、壁の向こう側を覗いてみれば、バケツをひっくり返して、さらには仰向けにひっくり返った一人の青年の上で、のしっと茶色い物体がマウントを取っているのが見えた。
「テオドール、大丈夫かい?」
「……これ見て大丈夫と思うのかよ」
「いいじゃないか、かまってほしいんだろう? かまってやりなよ」
「俺、掃除中! 怪我まだ完治してねぇのにマウント取るとか、ひでぇよテッド……」
「いいなぁ、仲よさげで」
柵越しに頬杖をつきながら、アロイスは笑った。
そう言っている間にも、テオドールはテッドと呼ばれた茶色い物体の下から這いずり出てくる。
テッドはテオドールの竜だ。
地竜種ロックドラゴンの幼体。
茶色い岩のようにゴツゴツとした肌に、一本の角。どっしりと太い四つの足に、地面にベッタリとついている尻尾。
機動性はそれほどないけれど、力が強く、温厚で、何事にも動じない種族で、半月ほど前に孵化したばかりだった。
ぶつぶつ文句を言いながら起き上がったテオドールは、それでもテッドを叱ることなく頭を撫でた。それからひっくり返ったバケツを手に取ると、立ち上がって柵から出てくる。
「もう一回水汲みしてくるか……あーもー、掃除終わんねぇー」
「水汲み、行ってこようか? 僕の掃除終わったし、その腕じゃぁ、汲み上げ大変だろ」
テオドールはちょうどひと月前に片腕を折ってしまって、今もまだ首から腕を吊っていた。アロイスが助力を申し出れば、その目を輝かせる。
「まじで? 助かるわ」
「お互い様さ」
通路に出てきたテオドールからバケツを受け取ろうと、アロイスも柵を出ようとした。
そんなアロイスからふっとテオドールの視線が外れる。
その視線は、アロイスの足元に向けられていた。
「おい、この卵動いていないか?」
「え? 本当?」
アロイスは柵から出るのをやめて、足元を見る。
足元にあるのは、ちょうど掃除のために通路側に一時的に置いていたアロイスの竜の卵だった。
じっと見つめれば、またぐらりと卵が動いて、こてんと転がった。
「やっぱり動いてる! 殻が割れないのか?」
「力が弱くて割れないのかもしれない。割ってあげる?」
「おいおい、邪魔すんなって。生まれる前から過保護か」
柵越しのテオドールに過保護だと指摘されて、アロイスは渋々手を引っ込め、籠の中を覗き込む。
グラグラと不安定に、赤い鉱石のような卵が揺れた。
この卵は、アロイスが一ヶ月前に竜騎士の最終試練で命がけで取ってきた竜の卵だ。
アロイスは今年、十八になる。伯爵家の次男坊として生まれ、竜騎士になるべく騎士団へと入団し、見習いとして十年、修行を積んだ。
そうしてようやく今年、この国最難関の竜騎士試験を受験することが叶い、筆記や武力の試験を見事通過し、その最終試練に臨んだ。
試練の内容は至って単純。
竜の渓谷から、自分の相棒となる竜の卵を取ってくること。
期限は一週間。
その間に竜の卵を取ってこれなければ、竜騎士への道は生涯閉ざされる。
竜騎士の試練は人生に一度しか受けられない、国家最難関の試験だ。竜の巣から卵を奪う以上、命の危険もあり、生半可な気持ちや能力では受験すら許されない。この最終試練で、アロイスは見事、自分の卵を手に入れた。
竜騎士の試験は三年に一度、合格者は多くて五、六人。ひどいと一人も合格者が出ないというほどの突破率で、アロイスは運良くテオドールという同期とともに新米竜騎士としての一歩を踏み出すことができた、将来有望な騎士の一人だった。
そんなアロイスが竜の孵化を見るのは二回目だ。
一回目はテオドールの竜・テッドが孵化する場面に立ち会った。
ちょうど半月前。竜の試練の際に腕を折ってしまったテオドールの竜舎掃除を手伝っていた時に、彼の竜が孵化した。
あの時の感動は忘れられない。
特に竜の主人であるテオドールの興奮はすごかった。
その当時のことを思い出しながら、アロイスはじっと自分の卵を見つめる。
卵の主人であるアロイスだけじゃなく、テオドールも無事に生まれてほしいという気持ちは強いようで、彼も柵越しにしゃがみこみ、卵の入っている籠の中をじっと見守っていた。
ごろごろと転がっていた卵。
その卵に亀裂が入る。
二人して息を呑んだ。
ぺりぺりと卵の殻が剥がれ落ち、中からひょっこりと一匹の竜が顔を出す。
世にも珍しいローズクォーツのような色合いの鱗に、つるりとしたアクアマリンの瞳。額には角ではなく赤い宝石が埋め込まれ、二翼の幼い翼を持っている。
飛竜種ローズドラゴン。
炎のブレスを吐くレッドドラゴンの中に稀に生まれる希少種で、特別知能が高く、過去には野生でありながら魔法を覚えていた個体がいたという記録もある。
アロイスの竜がまさかローズドラゴンの卵だとは思わなくて、テオドールが絶句していると、アロイスは孵化したばかりの自分の竜に向けて破顔した。
可愛い。
とっても可愛い、アロイスの竜。
「おめでとう! 僕の竜!」
ピピピィ、と竜が鳴いた。
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