パドラバの竜と封印の鍵
碧衣 奈美
第1話 天候不順
暦が夏へと近付いた頃。
ほんのわずかな時間、太陽が完全に隠れて世界が薄闇に覆われた日があった。
人々は、そういう現象が昔から何度も起きていることを知っている。
今回は何日の何時頃にそれが起きる、ということも、前もってわかっていた。
なので、人々の間で特にこれという混乱もなく、再び太陽が少しずつ顔を出した後は誰もがいつも通りに過ごす。
異変に気付いたのは、その日から三日も経った頃だろうか。
空の様子がおかしいのだ。
ある地域では、雨期でもないのに小雨が降り続き、ある地域では真夏より強い陽射しが大地を照り付ける。
逆に、ある地域では寒さに震えるようになり、ある地域では晴れることも雨になることもない。
この大陸では地域によって程度の差はあっても、穏やかな天候が続く。一日や二日くらいならともかく、そんな天気が三日も続いたことは過去にない。
生まれてじき百年になろうかという年寄りも、こんな天気は知らないと言う。
さらに十日が過ぎても、天候は同じ。
たまにはこんなこともあるだろう、とのんびりしていた者も、さすがにおかしいと思うようになってきた。
やがて、誰の口からか「パドラバの竜が死んだんじゃないか?」という言葉が飛び出し、言葉は噂となって瞬く間に広がる。
その噂が広がると同時に、人々の間には恐怖に近い不安が生まれた。
竜が本当に死んだのなら。
この街は。
この国は。
この大陸はどうなるんだ?
☆☆☆
「あたし、じっとしていられないから。パドラバの島へ行って来るね」
城にある、魔法使いの休憩室にて。
フォーリアがそう言った時、周囲にいた友人達は小さく首を傾げた。
彼女の口調はほとんど「ちょっと買い物へ行って来る」と言ったのと変わらなかったのだが、それにしては行き先が引っ掛かり……。
彼らの頭の中で、彼女の口調とその内容がつながらなかったのだ。
「フォーリア、パドラバって言った?」
「うん」
一人の友人が聞き返すと、フォーリアは普通にうなずいた。
「なぁ、自分が言ってること、ちゃんとわかってる……よな?」
別の友人が尋ね、フォーリアはまた普通にうなずく。
「わかってるわよ。だからぁ、パドラバの竜がどうなってるか、調べて来るの。何日かかるか、わかんないけどね。どうなってるんだろうってここに座って考えるだけじゃ、何も進まないでしょ」
何の気負いもなく、フォーリアはさらっと言う。だが、聞いた方の友人達……魔法使い達は一様に渋い表情になった。
「フォーリア、それはもっと上の魔法使いがやってるんだ。まだ魔法使いになって一年にもなってないお前が行って、何かわかるはずないだろ」
フォーリアは、向けられた言葉に頬をふくらませる。
「えー、それって偏見だと思うよ。上にいる人は、飛んでる鳥の姿はよく見えるかも知れないけど、地面を歩いてる虫は見えないんじゃないかなぁ。偉い魔法使いは色んな物が見えるだろうけど、全部が見えるとは限らないじゃない?」
「それは……そうかも知れないけどさ」
友人達は、互いに顔を見合わせる。
フォーリアの言うことも一理あるかも知れないが、自分達より圧倒的に腕のいい魔法使いが調べてもわからないことを、ペーペーがちょっと見ただけで真相を突き止められるとはとても思えない。
だが、フォーリアはやる気だ。
見た目は十六にしては幼いし、のほほんとした表情だし、しっかりした性格というのでもない。誰が見ても「世界の一大事の謎を探りに行ってやる」という雰囲気はまるっきりなかった。
だが、言葉の中身が何であれ、言い出したら必ずやる、というねばり強さ、裏を返せば頑固さを持っていることは、友人の誰もが知っている。
だから、今も散歩にでも出かけるような様子で竜のいる島へ向かう、と言っているのも「一応本気」だとわかるのだ。
ついでに言えば、止めても行くんだろうな、というのも。
「お前さぁ、本当に竜を見付けられると思ってるのか?」
「それはわかんないけど。この気候の原因が竜だと決まった訳じゃないんだし、竜に会えなくても、原因がわかればいいと思わない?」
「それは……まぁ」
竜に会えなくても。
彼女が竜に会えるとは、誰も思っていない。
原因がわかれば。
そう簡単にわかれば誰も苦労しないし、不安になったりしない。
「じゃ、行って来るね」
止めても止まらないと予想ができるので、誰も止めない。かと言って、だったら一緒に行くよ、という者もいない。
いきなり言い出されて、こちらは何も準備ができていないのだ。待て、と言ったところで、フォーリアに待つ気はないだろう。
城の中庭へ出るとフォーリアは呪文を唱え、ロック鳥を呼び出した。
と言ってもまだヒナで、ようやく飛べるようになったところだ。サイズは馬を二回り大きくしたくらいか。まさに、今のフォーリアのレベルそのもの。
それでも、フォーリアを背に乗せて飛ぶくらいは楽勝でやってのける力を持っている。
「オレ達、お前の骨を拾いに行くのはいやだからな」
「無理だとわかったら、すぐに帰って来るんだぞ」
「あんまり無茶しないでね」
「うん、わかったー。心配しないで」
フォーリアを背に乗せると、砂色の翼を持った巨鳥は空へ飛び立った。
「心配するなって……それは無理な注文だろ」
そのつぶやきに、彼女を見送った友人達が全員うなずいた。
☆☆☆
友人達を心配のどん底に突き落とした、と気付いていないフォーリアは、まっすぐ西へ向かって飛んだ。
フォーリアが住むこの大地は、パロア大陸と呼ばれている。ほぼ円形で、広大な大陸だ。大陸の中央には、パドラバの島と呼ばれるエリアがある。
そこを中心として四つの国があり、フォーリアはそのうちの一つで東に位置するゼンドリンの国に住んでいるのだ。
パロア大陸にある四つの国々は、多少寒暖の差はあっても全体的に穏やかな気候を一年中保っていた。
それは、パドラバの島にいる竜が自然を司っているから。
もっとも、現実に竜を目撃した人間は、今の時代にいない。はるか昔の文献に竜のことが記されている、というのを研究者や魔法使いが知っている程度だ。
一般の人々にとっては、伝説かお
それでも「パロア大陸全体の気候が温暖なのは、パドラバの島に何か秘密がある」という考えは、他の魔法使いと一緒だ。
秘密を握るのが竜か他の何かか、という点が違うというだけ。
ゼンドリンでは、あの太陽が隠れた日の後からずっと小雨が降り続いていた。
大雨ではないので、一気に川が氾濫するといった状況は今のところない。だが、低地にある畑などは、すっかり水没しているのだ。
街の中でも、水たまりのない場所を見付けるのに苦労する。風もあまりなく、洗濯物がなかなか乾かない。
乾燥させるために暖炉に火を入れたいところだが、初夏という季節柄、気温は低くない。火をつけることで蒸し暑くなり、蒸し風呂のようになって汗をかく。
で、風を入れたくて窓を開けても、結局入ってくるのは湿気ばかりだ。
「あーあ、すっかり服が濡れちゃった……」
巨鳥の背で、フォーリアは小さくため息をつく。
狭い空間なら、新人魔法使いのフォーリアにも湿気を飛ばすことはできる。だが、それも短時間だけ。根本的な解決にはならない。
どこか生乾きのような気がする服を着て、雨の中を巨鳥に乗って飛べば濡れてしまうのも当然である。
ここ数百年の間に、こんなおかしな天気が続いたことはない。
やはりパドラバで何かあったのではないか、とゼンドリンの国王は魔法使い達を差し向けて原因を調査させた。
しかし、半月近くたった今でもこれという報告はなされていない、と漏れ伝わってくる。
お日様のにおいがする服、着たいなぁ……。
フォーリアはそんなことを考え、遅々として原因究明されない現状にしびれを切らし、いきなり「自分が調べる」なんてことを言い出してしまったのだ。
友人達が聞けばあきれてしまいそうな、フォーリアの動機である。
だが、パドラバの竜が気になるのも本当だ。
今まで何もなかったのに、いきなり天気が崩れたままになるなんて、竜に何かあったに違いない。どこまで力になれるかわからないが、竜にとっての問題点を取り除くお手伝いをしたかった。
竜に問題がなかったとしても、それはそれ。現在の状況を何とか打破したいのは、本心だ。
「あ……あの辺り……だよね」
パドラバの島を囲む霧が見えて来ると、雨は次第にやんできた。もっとも、太陽は顔を出さず、空は厚い雲に覆われている。
だが、雨のない状態は久しぶりなので、フォーリアはそれだけでも嬉しかった。
しかし、問題はここから。
「んー、行くって言ったものの、どうやって行けばいいかしら」
パドラバの島と呼ばれるエリアへ近付くにつれ、フォーリアの前に現実の壁が立ちはだかる。
島とは呼ばれているが、パドラバが本当に島なのかは実際のところよくわかっていない。そのエリアはいつも深い霧に閉ざされ、その奥がどうなっているのか誰も知らないのだ。
真上を通っても、やはり霧で何も見えない。そのため、竜が実在するのか否か、という議論がなされたりするのだ。
丸い大地の真ん中に、霧のエリア。
それって、丸いパンの真ん中に白いクリームがのってる、みたいな感じかしら。
初めてパドラバのことを聞いた時は、そんな想像をしていたフォーリアだったが、現実に見た霧のエリアはかなり広大だ。
当然だが、そんなかわいいものではなかった。
厳密にどこからパドラバの島と呼ばれるエリアなのか知らないが、霧が出ているからこの辺りだろう、というざっくりな判断である。境目に線が書かれている訳ではないので、これは仕方がない。
フォーリアは霧が立ちこめている少し手前まで来ると、ロック鳥に指示を出して地面に降りた。
今来た方を振り返れば、灰色の雲に覆われた空。進行方向に向き直れば、目の前は白い霧で何も見えない。周囲は草原が広がっているだけで、目立つものはなし。
はっきり言って楽しい環境ではないが、遊びに来た訳ではないのだ。
「よし、真っ直ぐに行ってみよっと」
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