第31話 異変②
振り返ってみると、いつの間に近づいたのか、一匹のゴブリンが太ももに短剣を突き立てていた。
そのゴブリンはロベルトと目が合うと、にやりと笑った気がした。
「ぐっ! てめぇ!!」
振り向きざまに斬り払われ、無様に吹っ飛んでいくゴブリン。ロベルトの体勢が悪かったせいか、深手を負わせることは出来なかったようで、胸の辺りから血を流しつつもゆらりと起き上がり、ニタニタとした笑みを向けてきた。
「うぜぇ……。ゴブリンのくせに……俺を煽ってるつもりか!?」
さっき正面から突っ込んできたゴブリンは囮だったのか? 背後から忍び寄ってきていたゴブリンから俺の注意を逸らすために?
ロベルトの脳裏に様々な考えが浮かんでは消えていく。とりあえず、太ももに刺さったままの短剣を抜こうと下半身を見た。
「な……なんだ、これ」
ズボンの右半分が血で真っ赤に染まっていた。
痛みはないので、ゴブリンの返り血かと思ったが、そうではない。
先ほどの太ももへの攻撃が動脈でも傷付けたのかと思ったが、血の出所は太ももではない。
血の出所は、右の脇腹だった。
「なっ!? いつのまに、こんなに出血して……だって、ただのかすり傷――」
今さらながら、きちんと傷の具合を確認していなかったことに、ロベルトは気付いた。
痛みがまったくなかったから、かすり傷だと思い込んでいたが、冷静に考えれば刃物で脇腹を刺されているのだ。例え傷口が小さかったとしても、普通ならば病院に駆け込んでいるだろう。
痛みの感覚を鈍らせていたことと、ゲームと現実との認識の違いが曖昧になっていたせいで、事の重大さを見誤っていた。
先ほどからの身体の不調は、大量の出血のせいだったのだ。
背筋が冷たくなるのを、ロベルトは自覚した。それが、比喩的なものなのか、血を流しすぎたことで物理的に身体が冷えてきたのか。その判断すら、出来なくなっていた。
「ロベルト! 後ろだ!」
ユウの側を離れられないグレンが、ロベルトの死角から手斧を投げつけようとしているゴブリンを見つけ、叫び声をあげた。
「ひっ!?」
グレンの声に反応し、慌てて避けようとしたが、身体が重く感じる。思った以上に足が動かなくなってきていた。
結局、避け損ね、手斧が左の肩口辺りに直撃する。
「うぐっ!?」
当たった衝撃は感じるが、あいかわらず痛みは感じない。硬皮製の肩当てのおかげで深くは食い込まなかったが、それでも左腕が動きにくくなった感じがする。
痛みを感じないことを良いことだとしか認識していなかったロベルトだったが、こんな落とし穴があるとは思いもしなかった。痛みとは、身体の不調をいち早く知らせる大事なシステムなのだ。
すぐに手斧を引き抜き、ゴブリンに向かって投げ返す。一匹のゴブリンの眉間に当たり仕留めるが、その穴を埋めるように、また別のゴブリンがやってくる。
(おかしいだろ、なんでコイツら、仲間が目の前で死んでるのにビビらねぇんだ……なんでゴブリンごときが、こんなに統率が取れてるんだよ……)
「お、おい! 何やってんだ! 早くこっちに来て、俺を手伝――」
ロベルトが仲間の方を見る。
つい先ほどまで、すぐ側で一緒に戦っていたはずの仲間が、ずっと離れた場所にいた。こっちに近づこうとしているのは分かるのだが、その行く手を何匹ものゴブリンが阻んで、合流させないようにしていた。
ゴブリンは、怪我を負い弱っていたロベルトに狙いを定め、確実に仕留められるように、徐々に孤立するよう誘導していたのだ。
気がつけばロベルトはたった一人で、周りをゴブリンに囲まれていた。
「なんだよ……なんなんだよ! 2回目の戦闘で出てくるゴブリンが、こんな汚い作戦使ってくるとかおかしいだろう!! こんなの……調整ミスだろうが!? このままじゃ、こっちが殺さ――」
ロベルトは慌てて口を閉じた。その言葉を口にした途端、いろいろなものが、一気に崩れ落ちてしまう予感があったからだ。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ。ぐっ……ちくしょう!」
呼吸がどんどん荒くなる。いや、もうずっと前から呼吸は乱れていたはずだ。手も、いつのまにか震えていた。これは、大量の出血のせいなのか、それとも、押し殺している感情のせいなのか。
「ひっ……く、くるな! 近寄るんじゃねぇ!!」
にじり寄ってくるゴブリンを追い払うため、でたらめに剣を振るうロベルト。
近くで仲間の声が聞こえる気がするが、もはやそちらを確認する余裕もない。
「やめろよ、こんなのないよ。英雄が……ゴブリンに負けるなんて! 俺は、フルダイブのテストに来ただけなんだぞっ! なのに、なんでこんな目にあうんだよ!」
ロベルトは、もはや完全にパニック状態になっていた。徐々に、振り回す剣の勢いも弱々しくなり、気付けば体中、血だらけになっていた。
ロベルトの仲間だけでなく、グレンを始め、他の英雄たちもなんとか助けようとしていたが、ゴブリンたちの物量に押し負けていた。
「な、なぁ……」
恐怖に歪んだ笑顔を英雄たちの方に向け、声を絞り出すロベルト。
「……こ、これって……ホントに、死んだりしない……よな?」
次の瞬間、周りを囲んでいたゴブリンが、ロベルトに一斉に襲いかかる。
「見るな!」
とっさに近くにいたシアの頭を抱え、自分の体に押し当てるようにして視界を塞ぐグレン。
「いやぁぁぁーーー!!!」
惨劇を目の当たりにした誰かの悲鳴があがる。
これはゲームではなく、異世界で起こっている現実なのだと頭では理解していても、ほとんどの者は遊び感覚でいたのも事実だろう。
だが、ここに来て、突然突きつけられた厳しすぎる現実に、誰もが言葉を失っていた。
返り血を浴びたゴブリンが、のそりと起き上がり、英雄たちの方を向く。次の獲物を求めて、ゆっくりと近づいてきた。
「ひ、ひぃ」
「い、一旦、逃げよう!」
完全に浮き足立つ英雄たち。中には目の前に敵がいるにもかかわらず、背中を見せて逃げ出す者もいる。
その隙を逃すことなく、背後から飛びかかっていくゴブリン。
「う、うわぁぁぁっ!」
恐怖からか足がもつれ、地面に倒れ込んだ英雄に、ゴブリンが粗末な刃物を振り下ろそうとする。
「【
炎をまとった深紅の衝撃波がグレンの剣から放たれ、襲いかかろうとしていたゴブリンを包み込み、弾き飛ばした。
「しっかりしろ! こんな接敵した状態で背中を向けるなんて、斬ってくれと言ってるようなもんだぞ」
「あ……あぁ……」
地面に倒れたひとりの英雄をグレンが引っ張り起こす。グレンの言葉にも、あやふやな反応を返すだけで、心ここにあらずと言った感じだ。
他の英雄たちも、程度の差はあれど、似たような状況だった。中には完全に心が折られて、しゃがみ込んでしまっている者もいる。
グレンのパーティーは、これがゲームの延長ではなく、異世界でおこってる現実なのだと確認しあっていたおかげか、こちらに逃げてくる英雄を援護したり、迫ってくるゴブリンを返り討ちにしたりと、厳しい状況ながら善戦していた。
それを警戒してか、ゴブリンたちも無闇に突っ込んでくることをやめ、グレンたちを遠巻きに囲んで隙をうかがうようになってきた。
怪我人の治療を待っているグレンにとってはありがたい展開だ。この間に、戦意を喪失してしまった英雄たちが、再び戦えるように気持ちを持ち直してくれればいいのだが……。
グレンは、自分たちを包囲しているゴブリンを牽制しながら、なんとか打開策はないかと考えていた。
その時、北側の包囲網の向こう側が、にわかに騒がしくなり、ゴブリンの悲鳴が聞こえてきた。
「くそっ、待ってろって言ってんのに、勝手に突っ込んで勝手に罠にかかってるような連中をどうやって護衛しろってんだよ! おい、無事か? 異世界のバカども!」
鬼の面を被った一団が広場になだれ込んできたのだ。
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