第24話 言葉はわからずとも
大きな影に体当たりされ、ゴブリンシャーマンは数メートルほど弾き飛ばされた。グレンの戦技に貫かれることは避けられたが、代わりに飛び込んできた影――人間サイズの大柄なゴブリンの片耳が、グレンの戦技によって切り飛ばされ宙を舞った。
「ホブゴブリン!? いや――」
ホブゴブリンとは通常のゴブリンよりも力が強く大型な個体で、栄養状態の良い個体なら2メートル近くに成長することで知られている。
だが、目の前にいるのは、身長こそ人間並みだが、その体躯は筋骨隆々で他のゴブリンとは明らかに一線を画していた。身体のいたるところに戦いの傷跡が刻まれ、多くの戦闘を生き抜いてきた猛者であることを物語っている。それはまるで、自身が他のゴブリンよりも危険な存在であると警告を発しているようにも見えた。
「こいつ……ゴブリンロードかっ!」
ゴブリンの上位種とも言われ、群れを統率する高い知能に、並の人間を凌駕する強靱な体躯を持ち、初心者レベルの冒険者なら太刀打ちできないとまで言われる危険な存在である。
シャーマンと同じく頭に青い羽根飾りを付けており、冒険者から奪い取ったであろう防具を装備し、手にした高品質そうなファルシオンをグレンに向けて突き出していた。
そぎ落とされた耳の傷から流れ続ける血など意に介さず、グレンを睨み続ける金色の双眸が、剣の切っ先越しに見えた。その目には、多くのゴブリンを率いるにふさわしい知性と、威厳が感じ取れた。
思わぬ強敵の出現に、しばしの膠着状態に陥った。
シアはグレンの動きを待っている。こういう時、どう動くか決めるのはグレンの役目だった。
どうしたものかと思案していると、突き飛ばされたシャーマンが起き上がり、ロードの側に駆け寄っていった。
連携を取られると厄介だと思ったのもつかの間、駆け寄ったシャーマンがロードの手を引っ張りながら何やら言葉をかけている。
ガラクタをこすり合わせたような耳障りな声だが、ロードに向かって必死に語りかけているシャーマンの姿は真剣そのものだ。
だが、ロードの方は取りつく島もなく、シャーマンの方を見ようともしない。それどころかシャーマンの手を振り払うと、再び後方へと突き飛ばし、脅すような声で何やら言い放つ。
その声に、びくりと怯えたように身体をすくめるシャーマン。しかし、すぐに意を決したように立ち上がると、今度は杖を構えながらロードの前に出ようとする。
その気配を察したロードは、剣を構えた反対の手でシャーマンの行く手を阻み、前へ出させないようにしている。それだけでなく、あろうことか、剣を向け合っているグレンから目を離し、後ろにいるシャーマンを振り返り、遥か後方を指差しながら怒鳴り声をあげた。
「お兄ちゃん……これって」
シアが、ゴブリンたちから視線を外さぬまま、グレンに語りかけてきた。
グレンも、シアも、ゴブリンの言葉などわからない。
わからない――が、目の前で何が起こっているのかは、理解できたつもりだ。
ゲーム内で見るゴブリンたちの動きは、この世界の住人の手によって、あり得ないほどリアルに作り込まれていた。
だがそれは、あくまでゲーム内の敵キャラとしてだ。プレイヤーの動きに反応し、プログラム通りに忠実に動いているだけで、そこに意思など介在しない。
だが、目の前で繰り広げられている光景は、それとは全く真逆のものだ。
自らの主を守ろうとする意思と、自らの配下を逃がそうとする意思とが、ぶつかり合っている。
これは、意思を持ち、生きている者たちの行動だ。
迷いを振り払うように大きな息をひとつ吐いたあと、グレンが短く、しかし2匹のゴブリンにしっかりと届く声でこう言い放った。
「……行けよ」
強い意志のこもったその言葉に、二匹のゴブリンの視線がグレンに集中する。
「早くそいつを連れて、ここから離れろ。もうすぐ、皆が戻ってくる」
グレンはゴブリンシャーマンに向けてそう言いながら、戦う意思がないことを示すため構えを解き、剣先を地面に下ろしてしまう。グレンの行動に驚いたシアだったが、すぐにその意図をくみ取り、自身も警戒を解き武器を収めた。
そんな二人の様子に、明らかな戸惑いを見せるゴブリンたち。
ゴブリンロードが、2、3度、脅すように剣を突き出すようなそぶりをみせるが、グレンは一切反応しない。
「……ギウゥ」
その様子を見ていたシャーマンが、疑問を投げかけるような声を発した。それは、ロードにではなく、明らかに、グレンに向けて放たれた言葉だった。
意味は……当然、分からない。ただ、グレンはシャーマンに向けて、大きく一度だけ頷いた。
それを見たシャーマンは、すぐさまロードの腕を両手で掴み、全力で後方へ引っ張り始める。
「ガウゥッ!! ギゥッ! ゲグルルゥ!!」
必死に声を上げながら自分を引っ張るシャーマンを、一瞥するロード。
しばらくして、ロードはファルシオンを突き出した体勢のまま、ゆっくりと後ずさりを始める。
10メートルほど離れただろうか。突然、ロードがきびすを返し、森の奥へと走り出した。シャーマンも、それに遅れまいと後を追っていく。
シャーマンが一度だけ、こちらを振り返ったように見えたのは、グレンの気のせいだっただろうか。
「……行ったか」
下ろしていた剣を肩に担ぎなら、大きなため息をつくグレン。
「大丈夫そう?」
後ろからセレナの声が聞こえてきた。
「ああ、もう――」
振り返ると、先端に紫色の光を纏わせた杖を突き出しているセレナの姿が目に入ってきた。時折、ジジジという音とともに、杖の先端を小さな稲妻が走っていた。
「……大丈夫だ」
元々はゴブリンたちに向けられていたのはわかっているが、強大な圧を感じる杖が自分の方を向いていると思うと落ち着かない。訓練所に開いた大穴のことが頭をよぎり、思わず背筋が凍るグレンだった。
「……そう」
待機状態だった魔法を解き、杖を下ろすセレナ。
出会ってから、ずっと本を読んでいる姿しか見ていなかったが、この世界に呼ばれたということは、彼女もハイレベルな魔術師であることは間違いない。
グレンがほんの少しでも戦う素振りを見せていたら、一瞬でゴブリンロードたちは黒焦げにされていたかもしれない。
剣を鞘に収めながら周りを見渡すと、一部始終を見ていたであろうハインツたちが目に入ってきた。
グレンと目が合ったハインツは、無言で両手を広げ手のひらを上に向けると、肩をすくめながら皮肉めいた笑みを浮かべた。
グレンを小馬鹿にした態度だったが、不思議とその目からは、嫌味な雰囲気は感じられなかった。
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