第7話 異世界最初の夜

 もう遅いのでとっとと寝てしまおうということになり、三人で寝る準備をした(虫歯予防のせいか、歯磨きはちゃんとあった。パジャマはなかった)。

 ……で、寝室にやってくると、いきなり燕が鈴芽を後ろにかばって腕を組み仁王立ちする。


「一応言っておくけど、襲ってきたら殺すからね」


「襲わねえよ!」


「どーだか。男子高校生なんて飢えたケダモノだっていうし」


「男子高校生への偏見がひどいな!」


 いきなり失礼なことを言われた。

 

 まあ、つい言い返してしまったが、燕たちが心配するのもわかる。

 ここはもう日本じゃない。警察もいなけりゃ守ってくれる保護者もいない。不安になるのは当然だろう。


「はあ……。どうする? 心配なら俺だけ外で寝てもいいぜ。毛布だけ貸してくれ」


「あらいいわね。そうしましょう」


「ダメだよ! 天道くんがかわいそうだよ」


 一瞬のためらいもなく外に出そうとする燕と、かばってくれる鈴芽。二人で反応が違いすぎる。

 鈴芽が俺のそばにやってくると、澄んだ瞳で見上げてくる。


「私は天道くんのこと信じてるから、大丈夫。一緒に寝よう!」


「ありがとな、鈴芽」

 

 こんな無垢の信頼を寄せられて、裏切れるわけがない。

 たとえ寝ぼけたって、絶対よその布団へは侵入しないと誓う。


「はーーーーーっ、しっかたないわね。一緒に寝るのを許可してあげるわ。ただし鈴芽とあんたの間にはあたしが入るから。あたしの布団に指一本でも侵入したら命はないと思いなさい」


「お前はもう少し嫌悪感を隠せ」


 俺にも心ってやつがあるんだぞ。


 そんなこんなで俺、燕、鈴芽の順で並んで寝ることに決まり、布団を敷いて三人横になる。


「明日以降のことは明日考えましょう。今日はひとまずしっかり休んで疲れを取ること。夜ふかし禁止よ、わかった?」


 「わかった」「はーい」


 同い年なのに燕だけ先生みたいだった。やっぱりユーチューバーとかセルフプロデュースしてると早く成熟するんだろうか。


 大人みたいにしっかりしている燕の存在は正直ありがたい。


 古めかしい電灯から伸びる紐スイッチを引いて、燕が明かりを消した。


「それじゃみんな、おやすみ」

「おやすみ」

「おやすみなさい」


 俺はまぶたを閉じて、柔らかい布団に身を沈めた。


◆◆◆◆


 寝れるわけがねえ。


 理由は女子と一緒の部屋でドキドキしているからじゃない。いや、それもなくはないが、一番は不安でしょうがないからだ。


 明日から、どうやって生きていけばいいんだ


 俺たちは一体どうなるんだ?


 元の世界には帰れるのか?


 そんな不安が頭の中を埋め尽くす。


 そもそも、ここはモンスターのうじゃうじゃいる砂漠のど真ん中なのだ。ジャックに外を警備してもらっているが、このすずめのお宿もいつまで安全かわからない。

 ジャックでも勝てないモンスターが来たら? 寝てる間に襲われたら?

 不安は連鎖し続け、思考が堂々巡りを始める。


 ふと、部屋の隅からすすり泣きが聞こえた。


「うっ……うう……、ママ……パパ……」


 鈴芽の泣き声だ。

 布団に横たわり暗くなったら、色々なものがこらえきれなくなったんだろう。


 いたたまれず、俺はそっと寝返りをうつ。


 ……母さんは、どうしているだろうな。


 俺が急に消えて、心配しているに違いない。


 たぶん、この世界から帰る術はない。俺たちを召喚した奴らは、帰りのことなんて考えもしなかったはずだ。勝手に召喚して、勝手にこの世界で死ねと言うつもりだろう。

 母さんにはきっと、もう会えないんだろう。


 まだ寂しいとかそんな気持ちすらわかない。寂しいとはどういうことなのか、これから日にちを重ねるごとに少しずつ知っていくのだ。



 急に明かりがついた。



 目をしばたたかせて見上げると、燕が電灯のスイッチを引っ張っている。


「どうした? 夜ふかし厳禁じゃなかったのか」


 からかい混じりの口調で尋ねる。


 視界の端に目元を必死に拭っている鈴芽が見えたが、気づかないふりをした。

 燕は、俺と鈴芽の両方へ視線を送ると、柔らかい声で言った。


「ねえ、ちょっとだけ外に出てみない? せっかく異世界に来たんだし、星を見たいの」



 ◆◆◆◆



 はからずも三人全員が毛布を持って外に出ることになった。


 ジャックはきちんと見張りを果たしてくれており、俺たちが出てくると兵士のようにぴしっと大鎌を構えた。

 ジャックに見守ってもらいながら俺たちは、毛布にくるまりマグカップを持って、星空を眺める。


 レベル1の《すずめのお宿》ではお湯しか作れないので、マグカップの中身はただの白湯だ。それでも息を吹きながら少しずつ飲む白湯は俺達の体を温めてくれた。

 しばらく空を眺めていた燕が、静かにつぶやく。


「やっぱり、星がぜんぜん違うわね」


「そうなのか? 俺はわからねえ」


 星空を眺めてもそれが地球のとどう違うのかさっぱりだった。俺の目にはただ満天の星空が映るだけだ。


「少しは星座くらい覚えなさい。モテないわよ」


「月が2つあるのがおかしいってのはわかる」


「それは誰でも見ればわかるわ」


 俺と燕が軽口を叩いていても、鈴芽はあまり笑わなかった。ただ淡々と白湯をすすっているだけだ。鈴芽がそんななので俺と燕の会話も弾まず、次第に沈黙が多くなる。


 燕はなんで急に、星を見ようなんて言い出したんだろう。


 沈黙が続き、もうみんな白湯を飲みきってしまうという頃、急に燕が立ち上がった。

 毛布も無しに砂漠へと進むと、数メートルほど歩いたところでくるりとこちらへ振り返る。

 砂漠の夜は寒い。燕の口元からは白い息が上っていた。


「……前からやってみたかったの」


「燕?」


「燕ちゃん?」


「あたしの家は都心の住宅街にあってね。夜大きな声で歌うなんて許されなかった。でも私は夜が一番寂しかったから、ずっと真夜中に思いっきり歌いたかったんだ。……まさか異世界に来て、夢が叶うなんてね」


 それから燕は、寒さなんてものともせず澄み切った声で歌い始めた。


 ワンフレーズ聞いただけで、泣き出しそうになる。高く、やさしく、それでいてどうしようもなく切なくなる声。

 なにを歌っているかははすぐにわかった。「回る空うさぎ」だ。


 夜を切り裂くように燕の歌声が響く。何もない砂漠の真ん中で、たった一人で歌ってるのに、燕の声は冷たい大気を存分に震わせた。月光の白い輝きが、スポットライトみたいに燕を照らし出している。


 聞いてるうちに俺は不思議な幻覚を見た。燕の前にマイクスタンドが見える。そのさらに前には大観衆がいて、燕の歌声に聞き惚れているのが見える。


 こんな何もない異世界で、ボロボロに擦り切れていても、燕はやっぱりスターだった。

 俺はその時あらためて、眼の前にいるのは「Tsubasa」なんだと再認識した。日本中が憧れて、その配信に聞き入った、天才女子高生。


 残響を甘く闇に溶かしながら、燕が歌い終わった。

 俺は称賛するのも忘れて呆然としていた。すごかった。最高だった。そんな思いは胸の奥を駆け巡るばかりで一つも言葉にならなかった。早くこの感動を伝えたいのに、喉がなにか熱いもので塞がれて声が出ない。


 どうしようもなくなって鈴芽を見ると、彼女も涙を流して呆然としていた。その透明なしずくは、もう寂しさからじゃないとわかる。

 こんな、こんなすごい歌を聞かされて、なにも言えない自分がもどかしい。


 先に沈黙を破ったのは燕だった。


「天道、鈴芽」


「あ、ああ」


「うん」


 その時はじめて息をするのを思い出したように、俺たちは頷く。

 ふぅ、と、小さなため息を付いてから、燕は口を開いた。


「たしかにこの世界は最悪よ。召喚した奴らが最悪ならそれを命じた国の連中も最悪。追放されたこの場所も最悪だし襲ってくるモンスターも最悪」


 燕が闇の籠もった目でつぶやく。そう、俺たちの現状は、最悪の一言だ。


「でもね」


 燕が一つ瞬きをして、こっちを見る。その瞳にはわずかな光が宿っていた。


「あたしたちが出会ったことだけは、最悪じゃないと思うわ」


 そのひたむきな視線は、まっすぐに俺の心を貫いた。

 夜の寒さを忘れるくらい、熱い気持ちが湧いてくる。


「俺も、お前と、鈴芽と、この世界で出会えて良かったよ」


「私も私も!」


 俺と鈴芽はほとんど同時に返事をした。

 こんな最悪で残酷な異世界で、砂漠の真ん中で、たった三人しかいないけれど、

 それでも、なんとかなるんじゃないかと、根拠のない自信が満ちてくる。


 そう、この三人なら。


 燕がふっと微笑んだ。傲岸不遜な瞳が戻ってくる。


「で、あたしの歌どうだった?」


「すごい、すごかったよ燕ちゃん! 私びっくりしてなにも言えなくなちゃった」


「俺も……すごかった」


 自分の語彙のなさが恨めしい。こんな時に自分の感動をどう伝えていいかわからない。


 でも燕は、全部わかっているというふうに笑った。


「そ。少しは元気出た?」


「出たなんてもんじゃないよ! 私人生で今一番幸せ! Tsubasaの生歌目の前で聞けるなんて!」


「俺も。なんだか不思議な気分だ。スマホの先にしかいなかったTsubasaと、こうして同じ場所で歌を聞いてるんだからな」


「これから嫌でもずっと一緒にいるわよ」


 燕は呆れたように気の抜けた笑いをこぼす。


「さて……あんまり遅くまではダメだけど、私の知ってる曲なら他にもなにかカヴァーするわよ」


「マジ!? Tsubasaの独占配信開始じゃん! やったーーー! あああああもう幸せ過ぎる!!! 異世界来てよかった!」


「それは言い過ぎ」


 鈴芽が両手を突き上げて力いっぱい喜ぶ。無理してるんじゃないかと思うくらいの喜びようだったが、どうやら本気でうれしいみたいだった。


 もちろん、俺もめちゃめちゃうれしい。


「私次シャルル聞きたい!」


「俺は太陽系デスコが好きだな」


「……アカペラなんだからあんまり期待しないでよ」



 それから燕は、いや、Tsubasaは俺たちのリクエストに答えて次々と曲を歌ってくれた。

 どれも知ってる曲だからノリやすくて、次第に鈴芽もハモりながら踊り始めて(ダンス部だけにめちゃくちゃうまかった)、もうめちゃくちゃ楽しくて、砂漠の寒さなんかみんな忘れていた。


 曲の合間に俺たちは他愛もないおしゃべりをした。これからのこととか、異世界のこととかは考えない、学校の休み時間みたいなおしゃべりを。

 どのくらい歌い続け、話し続けただろう。何時間も話し込んでいた気もするし、三〇分も経ってなかったような気もする。濃密な時間だった。日本にいたときから、夜ふかしなんていくらでもしたけれど、今日の夜ふかしが一番特別だった。たぶん俺は、この夜のことを一生忘れないだろう。



 ◆◆◆◆



 この特別な夜を終わらせたのも、燕だった。

 

「はいはいはい、今日はもうこれで終わり。明日もあるんだからそろそろ寝るわよ」


「え〜〜、もう一曲だけ!」


「だめ。聞きたかったらまた明日の夜も歌ってあげるから」


「絶対だよ! 約束だからね!」


「わかったから、さ、お宿の中に戻りましょ」


 一緒に歌って、踊って、一気に仲良くなった二人の背中を見ながら俺もあとに続く。ちなみに俺も歌ってみたけど、自分の歌が下手なことをいやってほど思い知らされた。楽しかったからいいけど。


 寝室で布団へ横になり、最初と同じ様に燕が電灯の紐を引いて明かりを消した。やさしい闇が俺たちを包みこんで、すぐに穏やかなさざなみのような寝息が生まれる。もう鈴芽の泣き声は聞こえない。


 目を閉じ、布団をかぶって、砂漠の静寂に身をひたしても、俺の耳には燕のヴォーカルがいつまでも残っていた。




――――――――――――――――――――――


あとがき


曲名だけなら著作権的には大丈夫だそうなので、せっかくなので雰囲気を出したくて載せました。問題ありそうなら変更します。

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