代替品

 しまった。

 背中に感じる痛みに歯を食い縛りながら、私は咄嗟に回し蹴りを行う。

 その声が吸血鬼カロンのものだと察し、即座に距離を開ける。


「……どうしてここに!?」


「そりゃこっちの台詞っすよ。無理矢理発見した俺はともかく君みたいな一般人むしが来てるなんて、ここにセキュリティっはどうなってんすかね」


 カロンは不満げに口を尖らせた後、私を睨む。

 態度は軽薄。しかしその姿は酷いもので、服の上から血が滲んでいる。

 見えている皮膚には余すこと無く傷がついており、それが黄泉坂君との戦いの壮絶さを物語っている。


神具アーティファクト。現代の人類むし共の魔法学どころか、俺ら魔族の魔法学でも碌に解明ができていない超特大の神秘っす。」


 奥の剣に視線を向けてカロンは語り出す。

 神具アーティファクトなるものの存在は私も知っている。知っているだけだが。


「この海神SOSで二つ、存在を確認してるっす。一つは海神セインが持っている『囃子の竪琴アメノウズメ』。そしてこの場にある『禍津の焔太刀マガツヒ』。このうちのどれか一つを回収するのが俺に課せられた使命」


 吸血鬼カロンは笑顔で私に語り掛けてくる。

 だがその身体は今にも倒れそうな程にフラフラだ。


「……噂だけだと思ってた」


「それならどれだけ良かったか。何せ俺らにしてみりゃむしなんかに敗北を喫した原因っすからね。空想であって欲しいと願った回数数知れずっす」


 確かにそんなものが存在しているのであれば、この異様な雰囲気にも説明がつき気はする。

 問題はこの場には何も存在しないことだ。一体どこにそんなものが。


(もし、そんなものがあるのなら――――)


 目の前に居る吸血鬼も倒せるだろうか?

 いや、どう見ても満身創痍な状態なら何も無くとも……。


「おぉーっと。何調子こいたこと考えてんすか?」


「グッ!?」


 唐突に身体が重くなり、全身から力が抜けていく。

 拘束されていた時に感じたそれと同じだ。やはりあれはコイツの仕業か。


「俺の前で隠し事はしないほうが良いっすよ。意味無いんで」


 カロンは自身の瞳を指差し、そう告げる。


「わざわざ今回の実験にも選ばれた理由でもあるんすけど、俺わかっちゃうんすよね。目で見た時、魂の色……。そいつがどういう欲望を抱いているか。あのおじさんは女と破壊、そんで君は強さ。……やっぱ君のは何の魅力も感じねっすわ」


 カロンは私に対して軽蔑の視線を向けると脇を通り、向かって歩いていく。

 どうやら私のことなんか眼中にすら無いらしい。


「もう君に用は無いんで。後は大人しく待っててくださいよ」


「ぐっ……! 馬鹿にして……!」


 私はどうにか足を踏みしめる。昨日と違って弱っているからか拘束が甘い。

 これなら私一人でも十分に戦える。


「……いや、だから無理ですって」


「何を――――あがっ!?」


 突如として全身に激痛が走った。

 直後、膝から崩れ落ちて前のめりに倒れてしまう。


「どう、して? 一体、何が、」


 呼吸が一気に荒くなり、嫌な汗が止まらない。急速に身体が火照り、視界がぼやけていく。

 今度は涙のせいじゃない。意識が朦朧としているのだ。


「俺って、結構用意周到なんすよ。必要十分な量の装備に加えて、もう何本か予備を持っとく程度には♪」


「――――それ、って」


 カロンが取り出したのは赤黒い液体が収められた注射器。

 それがどういう物か、私が知っているからこそ、奴は見せびらかすようにそれを振る。


「吸血鬼が仲間を増やす仕組みって知ってます? 身体に噛みつき、血を注入することで他の生物は屍鬼グールになる……。それって血を媒介に俺等の魂のほんの一部を入れてるからなんすよ」


 どの生物にも肉体と魂の二種類が存在している。そして双方は相互関係にある。

 つまり肉体が変化したら魂もそれに同期するし、魂が変化したら肉体もそれに同期する。これは生命が生命である限り抗えない鉄則だ。


「ほんの一部と言えど、何百何千と生きている魔族の魂は人間なんかとは比べ物にならない濃度をしてるっす。だから一噛みするだけで簡単に屍鬼グールになっちまうわけっすね」


 荒い呼吸を繰り返しながら見上げている私の瞳を覗き込み、カロンは告げる。


「この液体は俺の魂の他に魔蟲の魂も混ぜてある特注品。前にも言ったっすけどただの屍鬼グールじゃ雑魚戦闘員程度の役割しか果たせないんで」


 私の四肢が異常なまでの熱を帯びる。同時に骨が、筋肉が一斉に悲鳴をあげる。

 

「あ、あ〝あ〝あ〝アアああアあア――――」


 痛い、痛い、痛イ、イタイ…………。

 私の身体に起きている異変、それは火を見るよりも明らかで、だからこそ直視できない。


人間むしにしてはそこそこの魔力量。あのおじさんでもまあまあな個体になったんすから、君ならもっと強いファミリアになってくれるっすよね?」


「う〝、ぐ、ああぁぁぁぁぁああああ――――」


 全身が風船のように膨らんでいるような錯覚に陥る。

 身体の中に産み付けられた寄生卵たましいが孵化し、私の中で新たな生命体が生まれている。

 そしてその生命体は私の身体そのものすら喰い尽くそうと暴れている。


「お〝えええぇぇえあああぁっぁぁあ――――」


 全身の体液が沸騰し、嗚咽が止まらない。

 内臓が掻き回され、食い荒らされ、身体が空洞になっていくような感覚。

 このままでは私の意思すら無くなってしまうかもしれない。


「本来は自我が残る程度に抑えるんすけどね。君の場合は面倒なんで完全に理性を失って貰うっすよ。周期的に襲ってくる痛みは強くなるっすけど、その分強くなれるっすよ! 良かったっすね望みが叶って。君はこれから自らの欲望の奴隷となる……まさに魂の奴隷ファミリアっすね!」


 一体何を以て良かっただと言っているのか。

 しかしカロンは至極嬉しそうに歓喜している。


「ああ、良いっすね~! これぞ人間のあるべき姿っすよ!」


「あアあアアああアああああアああアアああア――――!!」


「魔族が使い、人が使われる。それこそが本来の正しい歴史! 正しきを為すために挑んだ十七年前の戦い。何の因果か買ったのは人間、魔族は暗い世界に追いやられ、細々と暮らす羽目になった。……あり得ないっす、あっちゃならないんすよ本来は!」


 カロンの口調に怒りが混ざる。

 悶える私を見下ろし、奴の演説は続く。


「それもこれも何もかも、あの忌々しい五人……そいつらに力を神々のせいっす! 一丁前に弱い方の味方しやがってぇ……! 身体能力も魔力も何もかも、全て魔族の方が上回っているというのに! どうして俺等が地面を舐めなきゃいけなかったんすか!?」


 カロンが私の腹を蹴り上げる。魔力も籠った全力の一撃。しかし私にとって、それは大きな衝撃にはならなかった。

 私の身体が人ではない何かに作り変えられているのがわかる。


「あれは何かの間違いなんすよ。俺等にだって神はついてる! 魔神様が復活すれば今度こそ全てにおいて優れた我ら魔族がこの星の主になれる……。だから後顧の憂いは取り除かないといけないんすよ」


 魔族の勝利という理を捻じ曲げる唯一の疑念。それが 神具アーティファクト。それを回収し、封印を施すこと奴の使命。

 そう叫んでカロンは嗤う。


「さあ、己の無力に絶望し、渇望してくださいっす。君なら彼を足止めするに十分な戦力になれるでしょ」


 嗚呼、意識が、もう、……………………――――――――――――。

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