最後の時間
目が覚めて最初に感じたのは固く冷たい感触だった。
続いて霞がかった脳と視界が徐々に鮮明になっていく。黒い塗料で描かれた魔法陣からは僅かに油の匂いが漂っている。
「ここは……」
知らない床、知らない天井、知らない空間。
目を閉じた時に不明だったものはここにはもう無く、開かれた時にはまた別に意味不明が転がっている。
懸命に理解しようとしても何もわからないこの感じは前世で体感している。
たった一人で数学の参考書に向かい合い、長い時間かけても得られたものは皆無に近かった時に感じたあの感じ。
こういう時に求めるものは先生のわかりやすい解説だと相場が決まっている。
「おはようございます、アサヒくん。随分と早いお目覚めでしたね」
柔らかい声が響く。
目の前に居た。長年俺を指導してくれた先生が。
ウィズ・ソルシエールはいつものように笑って俺を出迎える。まるで生徒の挨拶に応える教師のように。
だが今この場に限っては、そんな彼女の笑顔が溜まらなく怖かった。
「……こんなところで何してるんだよ、ウィズ」
「準備ですよ。あなたを助手にして以降もずっと開発を続けていた魔道具が遂に完成したんです」
俺の後ろには巨大な装置が鎮座している。
それはまるで祭壇。何かの部族が儀式をしていてもおかしくないような、不気味な祭壇だ。
彼女がずっと何かを作っていたのは知っているし、俺の部品の一部を作ったことがある。
しかしその詳細は全く知らされておらず、故に一体これが何の用途で使用されるのか全くわからない。
知ろうとも思わない。いつもなら湧き立つはずの好奇心も今だけは寧ろ反転して作用していた。
「外で俺達が居た場所で悪霊が暴れてる。すぐに対処しなきゃ間に合わないかもしれない」
「そこだけじゃありませんよ。他の場所でも同時多発的に発生しています」
「絶級霊獣まで出てきた。今あの場に居る奴等じゃ多分勝てない」
「そうですね。流石に学生では無理でしょうね。教師陣ですら苦戦は必死ですし」
「……グランキオだった」
「はい、そうですね」
怖い。今目の前に居るウィズの口調も表情も間違いなく俺の知っているウィズだ。
しかしあんなウィズを俺は知らない。表面上の何もかもが既知のはずなのに、とんでもない勢いで汗が流れていく。
彼女が俺に向ける視線だけが、ひたすらに俺を害していく。
それだけで理解した。理解させられてしまった。
一体どうしてこんなことをしたのか。そんな理由なんてどこにも無いはずだと、俺の心が感情的に訴えかける。
しかし同時に彼女しかあり得ないというどこか冷静な俺が居るのも事実だ。
だって、グランキオを召喚したのは俺だ。俺以外にアイツを操れる人間なんて、それこそ一人しか居ない。
「……なあウィズ。初めてグランキオを召喚した時のこと覚えてるか?」
口から声が漏れる。
それは積年の疑問であり、努めて考えないようにしていた思考の掘り起こし。
「勿論ですよ。アサヒくんが私の助手になることが決定した記念日ですね」
「あの時、違和感があった。どうして俺は気絶したんだろうって」
「…………」
「今思い返せば色々思いつく。寸前で見えたデッカイ影とか、あれ以降は別に気絶なんてしてないのに、どうしてあの時だけ気絶したんだとか」
ずっと、魔力が空っぽになってしまったんだと思っていた。
そう、自分に言い聞かせてきた。
だけどそんなはずが無いんだ。
だってそれを行うもっと前に俺はその経験をしていたんだから。
ウィズが『反重力』の魔法を使ったあの時、床には多数の煤が転がっていた。
魔力のコントロール方法も碌にわからず、ただひたすらに流しては魔法陣を駄目にしていた俺は夜通し魔力を使ってせいで魔力を使い果たし、糸が切れたように眠っていた。
それ以降も俺はウィズの指導も下で色んな魔法陣を作っては機動を繰り返してきた。
そんな俺が纏めて一度とは言え、あの程度の消費量で気絶なんてするだろうか?
わからない。自分一人ではどうにも確信を得られない。
だから俺は手を上げた。
「……先生、質問がある」
自分でも驚くほど落ち着き、かつ震えた声。
だが心臓の鼓動は加速を止めない。
「はい、どうぞ」
「あの時気絶したのは俺が魔力を消費しすぎたせいか?」
「いいえ。私がアサヒくんを気絶させました」
そうか。これで一つ疑問が解消された。
「次の質問。グランキオがあそこまで小さくなっていた理由は? そもそも俺と契約していたのか?」
「アサヒくんと契約していたのは間違いありませんよ。ですがそれはあくまで魂の一部です」
「魂の一部?」
「ここからは教科書には乗っていない項目なので順を追って解説していきますね。まず召喚獣との契約は大きく分けて二つの種類があります。一対一で行う単独契約、そして多対一で行う多重契約です。アサヒくんはずっと前者だと思っていたようですが、実は後者だったんです。私が最初にどうしてもやっておかなくてはいけないことがありましたから」
ウィズの口調は今まで通りだ。今まで俺に多くの知識を与えてくれた先生と全く同じ、厳しくもどこか優しい、そんな口調。
「やっておかなくてはいけないことというのは霊獣グランキオの魂の切り分けです。私にとって邪魔になるであろう彼の霊格の大半を持った魂を器に移しました。アサヒくんが召喚したのだと思わせる証拠も必要でしたしね」
「……魂の切り分けなんて聞いたこともない」
「霊獣グランキオの能力ですよ。絶級霊獣が共通して持つ冥界と現世を自在に行き来できる力とこの世に漂うあらゆる魂を集め自在に操る固有能力。私にとって必要なのはその二つでしたから。そうして残った霊格だけが新たな肉体に宿った結果、あの小さな個体が生まれたということです」
つまりあの時大量に出てきた悪霊やゾンビ達はグランキオの力って訳か。冥界には大量に死体が放置されているとの話を聞いたことがある。自在にアクセスできるのなら、そこからゾンビを無限に生み出すことも可能って訳だ。
「おまけで教えておくと、その個体には認識阻害をかけておきました。最初に魔力を正確に測れていなかったのはそのせいですね」
「……随分と回りくどいことをするんだな」
俺がグランキオを召喚したのなんてもう随分前だぞ。小学校低学年だったはずだ。
その時にはもう、始まってたってのか。
「急がば回れ。一見遠回りに見える手段こそが最適であると、教えたはずですよ」
そうだったな。
全くどうしようもなく懐かしく思えてくる。
まだ俺十五なのに、感傷なんて不相応じゃないか。
「これが、最後の質問だ」
「はい、何ですか?」
この質問に、きっと意味は無い。
もうほとんど結論は出ている。だからこれは最後の質問。
師匠と弟子の関係でいられる、最後の瞬間だ。
「この状況を作り出したのは、一体誰だ?」
先生は聞きたいことがあるなら質問をするようにと、いつも言っていた。
だから聞く。例えそれが下らないもの、つまらないものであったとしても。
ほんの僅かな疑問であっても、それを解消することは決して無駄にはならないのだと。
「私です」
だけど、その先が望んだ結末とは全くの正反対なものだとしたら。
そこに意味なんて、果たしてあるのだろうか。
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