リアルパニック
腕を伸ばしたのは、本当に咄嗟だった。
今にも首を斬り落とされそうな女子生徒の首根っこを掴み、力任せに引き寄せる。
力加減も何も無いその動作に、潰れたような音が鳴った。
「………………へ?」
「――――――」
女子生徒も何が起こったのか理解できていない様子だ。
それは決して俺に向けられたものじゃない。彼女の視線はずっと白く濁った体躯を持つ骨の骸に対してにのみ向けられている。
そして、それが皮切りだった。
「う、うわああああああああああ!?」
誰かの悲鳴が聞こえた。それはこれ以上無く生気を孕んだ絶叫。
死体や霊からは決してこんな声は出ない。
「へ、え、何!?」
「あ、アイツ……腕が!」
「いやああああああ!?」
どうやら誰かの腕が斬り落とされたらしい。
全員の動きがぎこちなさを増していく。そして、それが恰好の餌食だった。
「動きを止めるな!!」
声の主は黄泉坂。しかしこの中の何人がその指示に従えただろう。
少なくとも俺は大丈夫だった。寸でのところでスケルトンの剣を躱す。
反射的にカウンターの弾丸を撃ちこんだ。
今までよりも大きな爆発が発生し、骸骨の頭が吹き飛んだ。
少々魔力を籠めすぎたらしい。
だがその程度で止まってくれるような甘い敵ではない。首が離れたらその首が青白いエネルギーを纏って浮き始める。
その最中でも身体がカクカクと動き、剣を振るっている。
「舐めんな、んな攻撃効かねぇよ!」
剣をスーツで受け止め、身体を蹴り飛ばす。今度は身体が砕けた。
だがそれでも倒すには至らない。スケルトン系の悪霊はその身体を清める以外に倒す方法は存在しない。
そして今それが可能な手段は俺には無かった。
(サラマンダイルは暫く呼べない……!)
サモンカードには次の使用までインターバルが存在する。
使用直後に再使用しようとすればそのカードは即座に壊れてしまうだろう。上級霊獣のカードともなれば尚更である。
「どうなってんだ!? これってただのゲームじゃねぇのかよ!?」
また誰かが叫んだ。
ああそうだ、そのはずだ。
原作では特に何のトラブルも無くゲームが進み、最後の方で強力なゴーレムが出現、それを今までサボっていた主人公が一撃で倒すというお決まりの展開の一つが繰り広げられるはずだった。
あくまでレクリエーションイベントであるため、多少の怪我人こそ出たものの、それ以外は特におらず、ましてや腕が無くなるほどの重傷を負う者なんて一人も居なかった。
そのはずが、今はまるで真逆の様相を呈している。
実際に起こり得る事態を想定した
不測も不測。もうレクリエーションどころじゃない。
周囲の敵をある程度掃除したら
「……………………居ない」
俺はウィズの居た場所に視線を向ける。
だがそこには居なかった。本来居てしかるべきはずの
(あれ? アイツ一体どこに……)
場所を移したのか? いや、それは無い。
だって他の場にはそれぞれゲームの進行を見守る者が居る。
ウィズは確かに進行役だが、この場で持ち場を離れたら見守る人が居なくなるじゃないか。
ならこのトラブルの元凶にやられた? 無いとは言えない。だが可能性としては非常に低い。
このテロ行為は規模が小さい。勿論そこそこの腕前ではあるのだろうが、それでも彼女を上回っているとは考えにくい。
考えたくないというのが正直なところだ。
「ヤバいって、これ絶対にトラブルだって!」
「ねぇ、ここ出よう!?」
周囲に焦りが広がっていく。
このままでは全員無事では済まない。
「――――――全く、ここには馬鹿しか居ないのか?」
凍った。
周囲に居たゾンビや悪霊の群れが纏めて氷像へと変わる。
創られた月明りを反射させ不気味に輝いているそれらを蹴り砕き、大宮マノは心底鬱陶し気に溜め息を吐く。
「君達の言うように、間違いなくこれはトラブルだ。このままだと私達は全滅もあり得るとも」
マノの周囲には彼女から漏れ出した冷気が揺らめいている。
怒りか苛立ちか、一気に魔力を解放した影響だろう。敵だけでは飽き足らず、他の生徒の何人かをも巻き込んでいる。
それは先程までずっと脅えていた数名だった。
「だがこの程度の場は今後幾らでも起こり得ること。私達こういった場にこそ足を踏み入れ、そして打開しなければならない。だと言うのに一部を除いた大多数はただ情けなく喚くばかり……。彼に負けず劣らずの能無しだ。名門校だと期待して品定めをしていればこのザマとはね」
マノの腕に巨大な爪が形成されていく。
彼女は氷で作られたそれを身体の半分程が凍結した生徒達に向けた。
その瞳は間違っても人に向けるものでは無い。だってそこには、殺意しか感じないから。
「何もできない弱者は存在する価値すら無いんだよ」
「アイツマジか!」
マノがやろうとしていることを察した俺は反射的に走り出した。
今この場で生徒が生徒を殺すなんざ正気の沙汰じゃない。
「やめろ馬鹿犬!」
銃を構え、発砲する。
燃える霊魂が氷像の爪を砕いた。
そして彼女の襟首を掴んで引き寄せる。
「………………君は」
「状況を見ろこのクソボケ! この状況でくだらねぇ癇癪起こすんじゃねぇ!」
「その声、アサヒか? どうして君がここに居る?」
「……今それ重要か?」
「そうだな。少し脳みそを使えばわかるはずだが?」
「……誰?」
俺とは別にマノの前に出てきた者が一人。
この世界の主役もまた彼女を嗜める。
「この程度の凍結では何も解決しない。どうせまた新しいのが生えてくる。聞かれてもいない持論を垂れている暇があったらさっさとここを覆う結界を壊すべきだ」
不遜かつ傲慢。
聞いているだけでイライラさせられる言葉も放つ黄泉坂だがそれでもこの場においては正論も正論だ。
現に今そこら中から悪霊達が湧き出ている。
「……おいマノ、ご自慢の神獣の力はどうした? やるならちゃんと浄化までしやがれ」
「……やったに決まってるだろ。その上から更に上書きされたようだね」
「は? ……マジかよ使えねぇな」
「何だと?」
「やめろ馬鹿二人。今はとにかく死体を散らしてここを出る」
「どうしt「テメェに言われなくても今やるってんだよ! 指図すんなこのボケッ!!」…………」
苛つく、主人公に指示されるとか屈辱以外の何物でもない。
だが間違っていないのも事実。俺が今最も優先すべきことだ。
「結界の壁はあそこか」
生徒の大半はこの事態に動揺している。
まずは邪魔んなアイツ等をここから逃がす。この場でお荷物を抱えていてもジリ貧だ。
黒幕はその後じっくり詰めれば良い。
「来い!」《CALL:Airoid》
呼び出したのは霊獣エアロイド。
今までの妖精や精霊のような霊獣とは異なり、どこか戦闘機染みた見た目をしている。
「邪魔なゾンビ共を吹き飛ばせエアロイド!」
「悪霊は俺が消し去ろう」
黄泉坂の持つ刀が黒く染まり、そこから闇が姿を見せる。
沈めば決して返ってこられない深淵の中に悪霊達が吸い込まれていく。
「……っち、僕を放置して偉そうに。あの壁は僕が砕こうか……!」
「私もやる」
「んじゃ、アタシも乗っかろうかな!」
三人の少女が同時に飛び出した。
一人は氷、一人は炎、一人は青い雷。
それぞれが詠唱を始め、魔力を練り上げていく。
「『氷狼の腕』」
「『
「『雷・虎・咆・哮』ォ!」
放たれるのは最上級の魔力による上級魔法。
どれだけ堅牢だろうと、それらを一点に集中すれば当然破壊される。
「うっそまだ壊せないの!?」
雷属性の魔法を放った深い青髪の女子が驚いたように声をあげた。
信じがたい話だが、どうやら壊れなかったらしい。
振り返って見てみると、そこには大きな亀裂が入りながらもまだ健在の巨壁があった。
「マジかい……」
本当に壊れてなかった。
ありゃ堅牢なんてもんじゃないな。だが流石に後数発で壊れるはずだ。
「なら俺がやってやる!」
俺は特大の
爆発音とほぼ同時に分厚い硝子が砕けるような音がする。
「っし壊れた!」
「ああ! 美味しいとこ持ってかれたぁ!」
雷女子が批難の声をあげるが付き合っている暇は無い。
一部が砕かれたことによって結界そのものが消えていく。
「お前等、とっとと逃げろ!」
「ちょちょ、落ち着いて!」
場所の出口に大多数が群がっていく。
その有様は暴徒そのものだ。
「醜い……」
マノが憎々し気に呟く。だがすぐに意識を切り替えたらしい。
目の前にいる悪霊達を獰猛な瞳で睨みつける。
「はっ、雑魚が幾ら集まっても同じだろうが」
当然俺もここに残る。この事態には驚いたが、他の奴等に俺という存在を刻む絶好の機会じゃないか。
避難も完了したことだし、ここからは好きに暴れても文句は言われないはずだ。
「黒幕は俺がぶっ潰す!」
銃を構え直し、宣言する。身体中に闘志が滾る。
だが、その感情に水を差すように、俺の身体に衝撃が走る。
「うっ!?」
「きゃっ!?」
「ああっ!?」
あちこちから悲鳴が上がる。何者かからの攻撃、しかしその威力は大したことはない。
スーツで守られている俺にはダメージすら入らない。
「おいおいクソガキィ。中々固いじゃねえの」
コツコツと足音が聞こえる。
悪霊達は動かない。まるで自分達の主を待つかのようにじっとその場に立っている。
「流石、あの嬢ちゃんのもとで研究続けてただけはある訳だ。自分で体感してみると感じ方違うもんだな?」
「え……?」
全員が戦闘態勢に入る。
何も無い空間を切り裂いて現れた存在が脅威的な魔力を纏っているから。
だが俺はどういう訳か、構えを取れなかった。
それどころか前に向けていた銃口をゆっくりと地面に降ろした。
「は、何でお前が……?」
目の前に居たのは巨大な蟹。
俺が知っている姿と大きく違う、しかしそこから発せられる声はいつもの日常に流れていたものと全く同じで。
「初めまして名門校のクソガキ共。俺の名はグランキオ。この事件の黒幕に雇われたしがない絶級霊獣だ」
俺はただ、唖然とするしかなかった。
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