柳川麻衣

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 約束の十六時に後楽園駅の改札口で、事前に打ち合わせていた「胸ポケットに黒い羽根」という目印を見つけたとき、榊は目を疑った。

「……都筑……?」

 若いというよりは幼く見える垂れ目は、たしかに旧友のように思えた。少し首を傾げ、どこかぎこちない口調で、ツヅキ、と榊が呼んだ名を転がして、曖昧に微笑んでいる。榊がビジネスバッグを探って茶封筒を取り出し、中にチケットが入っているのを確認して手渡すと、相手は小さく頷いて受け取った。

「もともと妻が行けなくなっちゃったぶんで、僕の隣の席だから、初対面の人に譲るのはライヴ中少し気まずいかなあ、なんて思ってたんだけど、……君だったとは」

 あたりには〈D’ARC〉というバンド名のロゴが背中にプリントされたTシャツやパーカーを着た人々があふれ、皆いちように東京ドームへ向かっている。二人も、人の流れについて歩きだした。

 D’ARCは二十年ほども前、榊が学部生だったころに一世を風靡したバンドだ。ヴォーカルのイツキ、ツインギターのカイとユヅル、リズム隊で兄弟のアヤトとユキト、それぞれにタイプは違うが美形揃いで、ヴィジュアル系に分類されていたこともあった。とくにイツキは透明感のあるどこか儚い歌声と相俟って老若男女を問わず絶大な支持を得ていた。

 なんとなく音楽サークルに入り、子どものころピアノを習っていたから、というだけの理由でサークル内のバンドでキーボードを担当していた榊が、初めて生で見たロックバンドがD’ARCだった。同じバンドでドラムを叩いていた都筑がチケットを取って、連れてきてくれたのだ。そのときも会場は東京ドームだった。二階スタンドで、メンバーはかろうじてその存在を肉眼で確認できる程度にしか見えなかったが、目まぐるしく色を変えるライトと腹の底から突き上げる轟音と五万人の熱狂、それらが混ざり合った膨大な熱量のなかをつきぬけてゆく歌声に、榊は夢中になった。

 学業そっちのけでバンドに熱中した日々も、朝から晩までヘッドフォンをかぶって聴いていた音楽も、仲間たちも、すべてが遠くなってしまった。D’ARCからも遠ざかり、イツキの体調不良を理由に活動休止したことも、そのままなし崩し的に解散したことも、風の噂で聞いた。知った瞬間は寂しく思ったが、そんなささやかな感傷はすぐに日々の雑事の合間にのみ込まれた。

 そのD’ARCが、一夜限りで再結成ライヴを行うという。「伝説」と呼ばれる大物ミュージシャンたちの復活・再結成ビジネスが流行するご時世、あのD’ARCもそこに乗るのか、と冷静に見ているつもりでも、懐かしさがこみあげた。結局、近い日付の結婚記念日にかこつけて、妻のぶんとあわせて二枚チケットを取ったものの、直前で義母が入院して妻は実家へ帰らなければならなくなった。

 仕方なく、駄目で元々、と余った一枚のチケットを譲渡したいとインターネットの掲示板に書き込んだ。運良くすぐに反応があり、ライヴ当日、現地で直接受け渡しをすることに決まった、その相手が、まさか。

 元気だったのか、今はどこで、何をしているのか、仕事は、結婚は、子どもは。都筑に訊きたいことは山のようにあったが、榊は切り出せなかった。先方も、榊にあまり話しかけてこない。機嫌が悪いとかこちらに悪感情を持っているとか、そういう気配はなかったが、口数は少なかった。

「二階席なんだ、大した席じゃなくて悪いな」

「構わないけれど」

「いつ来ても、ここから落ちたら死んじゃいそうで、怖くなるな」

 なんだか、初めてD’ARCを見に来たときもそんなことを言ったなあ、と榊は既視感に襲われた。

 開演時刻をまわると、待ちきれなくなったファンが立ち上がり、激しく手を叩きはじめた。メンバーを呼ぶ悲鳴のような声も止まない。ステージに誰もいないうちから、ドーム内の熱は膨張していく。テンションが最高潮に達したところで客電が落ち、暗闇が叫び声で充満した。切り裂くように真っ白いレーザーが飛び交った。

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