彼女を見つけて
彩亜也
出発
寂れた街の片隅にある喫茶店。扉に嵌ったガラスには『喫茶ヤマベ』の文字が貼ってある。扉をくぐり抜け店内を見渡せば観葉植物を越えた先、窓際のテーブル席で見覚えのある男がコーヒーを啜っていた。
「何名様ですか?」
年の割にハキハキと喋る女性店員さんに声をかけられ、私は窓際に座る父を指差して待ち合わせであることを伝えた。
「彼方のお客様ですね、ごゆっくりどうぞ」
女性店員はそう言うと他の客の相手をしに行ってしまった。
私はそのまま父の元へ歩いて行くと父も私に気がついたようで「やぁ」と声を掛けてきた。私も同じ調子で「やぁ」と鸚鵡返しをして向かいの椅子に腰を下ろす。斜めにかけていた鞄を隣の椅子に置いたところで父は前置きなしに話し始めた。
「これから大陸に渡る」
まるで冗談めいた内容だったがその顔は真剣そのものだった。
「何で?」
当然の疑問に父は一枚の写真を取り出す。
それは去年撮った家族の集合写真だった。真ん中の方にナガサキの親戚がいて右端にぎこちなく笑う私が立っている。その隣に兄と後ろに両親がいた。父はその写真の中で画面の中央左側にいる少女を指差す。おかっぱ頭のその子はいつも母親について回る人見知りの激しい子という印象だった。その証拠に声を聴いた記憶は無い。少なくとも私には懐かなかったのは確かだ。
私が「この子?」と尋ねると父は頷いた。
「この子が行方不明なんだ」
ただ事では無いなと私も唾を飲み込む。父は淡々としていたがその表情はどこか強張っている。私はそんな父の表情に苦笑した。
「また頼まれたの?」
「ああ」
「もうしないって言ってなかった?」
「今度は身内だし……」
私はそこで耐えきれず息を吐いた。お父さんの悪い癖だ。昔から探し物が得意だったお父さんはよく近所の迷い猫探しをしていた。それがある時行方不明になった私の友人を発見してから一気にその手の頼み事が増えてしまったのだ。しかし、半年ほど前に突然思い立ったように「もう依頼を引き受けない」と宣言した。それはお父さん自身への負担が大き過ぎたから。そもそも本職はデスクワークが中心で地道な聞き込みなんて柄じゃない。適性がどうのとこの半年食い下がる人たちも大勢家に押しかけてきたが全て突っぱねていた。本来は警察案件なのだから父が自分を犠牲にする必要などどこにもなかったのだ。だから私も安心していたのに。
私は脳裏に焼き付けるように少女を見て最初の一言を思い出し父に視線をずらす。
「大陸っていうのは?」
「目撃証言とパパの勘」
普通なら笑ってしまうこの言葉も私には頭痛の種だ。父がそういうからにはきっと大陸で間違いないのだろう。そこまでは良いのだが——どう言うわけか父は私に同行しろと言っている。父の思惑なんてわからない。ただ私には断る理由が無かったのだ。手帳は去年から真っ白のままだから。
「まあ時間は余ってるからね、いいよ行こう」
私の言葉に父は表情を曇らせた。後に続く言葉くらい私にも想像できる。
「またダメだったか」
父の言葉に苦笑して私は席を立った。父はそんな私を見て口を真一文字に結ぶ。
なんて事はない、就活が失敗しただけの話。それだけでここまで不快になれるほど仕事というものは人間の生活に密接に関係している。それはいつも私のような不器用な人間を排除するのだ。父の声色、表情、間の取り方。全てに吐き気がするほど居心地が悪い。それもこれも生きることに適性の無い私の問題だが。
「それより行こう。私の事よりその子の事でしょ」
無理に逸せば父が眉を顰めた。けれど何も言わない。父なりの気遣いはこの店のコーヒーのような味がした。
私達はまず陸路でナガサキへ向かった。新幹線で本州の端まで行き、その後橋を使って九州へ。そこからさらに車でナガサキへ移動するとそこには少女の家族が待っていた。彼らは父に挨拶するものの私には何も言わない。ふと思い出す去年感じた疎外感に私の笑顔は底冷えのするものになっていただろう。父と彼らがいつまでも玄関先で話すものだから夏の日射を浴びる私は汗がとめどなく溢れてくる。母方の親戚の家に行けば「お茶をどうぞ」と冷蔵庫で冷やした物を出してくれるのに、この家には残念ながら気遣いと言う概念が無いらしかった。結局家には上がらないまま私たちは親戚の家を後にした。
「あの人達好きになれないわ」
駅へ向かうタクシーの中でつい口をついて出てしまった。父は顔を顰めるでもなく笑うでもなくどうでもよさそうに「何で」と聞く。
「だって、私の事見下しているんだもん」
「それは流石に被害妄想ってやつじゃないか?」
ちょっと小馬鹿にするような父の言い草に私は反発する気も起きなかった。
「そうでなきゃよっぽど視野が狭くて男尊女卑が当たり前なんだね」
父の言葉には返さず続けるように言った。
私が思い返しているのはさっきの事だけではない。去年訪れた時も私や母に対してあまり声を掛けてこなかった。反面、父や兄には擦り寄るのだ。それは見ていて感じが悪いったらなかった。けれど男らしく鈍感な父には伝わらなかったようで楽しそうに語らい、兄だけは避難とばかりに私や母と駄弁っていた。
「まあ別に良いけどさ」
頻繁に会う間柄でも無いし。そう付け加えれば父は相変わらず適当な相槌を打った。
タクシーはやがてターミナル駅に着くと私たちを下ろした。ターミナルとは言え地下に広がっているためか地上階は五メートルほどの硝子の箱があるだけでそこからやたらと長いエスカレーターが地下深くへ続いている。
今から百年ほど前のこと、私たちの住む日本と大陸を結ぶ海底電車が開通した。電車とは言ってもその外観は新幹線のそれだが、海底トンネルの中に線路を渡しているため水族館のような景色が人気だった。飛行機とは違い観光色が強く内部には食堂車や寝台車がついている。
立ち食い蕎麦屋で遅めの昼食を食べていると父が三等客室の切符を手渡してくる。腹も膨れた頃、私たちは改札を潜りぬけ荷物らしい荷物もないまま乗り込んだ。
「着替えは持ってこなかったのか?」
向かい合うように腰を落ち着けると早速雑談が始まった。
「下着だけここに入ってる。お父さんは?」
「パパは下着とシャツを持ってきた」
流石は親子、現地調達で事足りると理解している。
「改めて今後の流れを話しておこう」
父はそういうといつも持ち歩いている手帳を取り出した。そこにはこれまでの捜しもので培った全てが記載されているのだ。父は新しいページを開くとペンで今わかっていることを簡単にまとめた。
外では普段見ることの無い魚達が光に吸い寄せられるように窓の方へ近づいてくる。それは注意深く見ないと気付かないほど深海の景色に同化していた。
「まず誘拐されたのはスズちゃん、小学三年生。誘拐された日に着ていた服は青いワンピースで花のついたサンダルを履いてた。写真は一年前のものだけど定期的に髪を切っているから誘拐当時も長さはそのまま」
父が説明をしながらささっと書いていく絵はイメージを掴むのにぴったりだった。職業柄描き慣れているだけのことはある。
「最後の目撃者は同じ保育園に子供を預けているママさんでスズちゃんが一人で公園にいるところを目撃した。その際父親らしき男性と楽しそうに遊んでいたらしい」
「あれ?でも……」
「そう、スズちゃんの父親は三年前に亡くなっている」
去年遊びに行ったときに聞いた話。墓参りも済ませて近くに住むスズちゃんの祖母の家に行った。一般的な一戸建ての家のリビングで繰り広げられる近況報告と言う名の雑談の中でさらりと触れた話題の中にスズちゃんの父親の話があった。
二年前、交通事故で病院に運ばれたスズちゃんの父親が適切な処置を受けたにも関わらず突然死したらしい。当然病院側の過失だとして訴えを起こしたと聞いたがその結末が語られる前に話題は父の近況へ無理矢理変えられてしまった。
だから父親のはずが無い。実際そのママさんも帰宅後スズちゃんがいない話を聞いて思い出したのだとか。
「でも不思議だよね、スズちゃん人見知り激しいのに」
私の疑問に父も頷いた。
「それで目撃者の
渡された紙には軽くスケッチされた男の絵があった。重たい瞼にゴツゴツと際立った輪郭で歯が少ない。
「片言の日本語で日本人らしく無いんだってさ」
父が肩をすくめて言った。
「確かに大陸顔だね」
私も合わせるように笑う。
大陸顔と一口に言ってもさまざまだが親子だからこそ通じるノリと言うやつだ。
「見つかると良いね」
ふと私は窓の外を見た。深い深い海の底を這うように進んでいくこの機械の中で押し潰されそうな不安を吐き出したかった。それはまるで私達の今後を暗示しているようで私は夕食も取らぬまま眠る事にした。
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