第102話 正しい心とは

 俺のことを恐れる生徒を、有象無象だと思えれば楽なんだろう。ただ、俺には難しい。どうしても、他人をただのガラクタ同然には思えない。


 なんて、何を言っているのだろうな。盗賊達は、ゴミのように殺したのに。所詮、俺は人を色眼鏡で見る存在でしかなかった。ただ盗賊だというだけで、殺しても問題ないと判断する程度には。


 いや、人に迷惑をかけているのだろうし、もしかしたら犠牲になった人も居るのかもしれない。だから、少なくとも法の裁きに任せるべきではあった。見逃せばよかったものではない。それだけは確かだ。


 結局のところ、殺すのが最適解という状況は、どうしてもあるはずだ。その時に迷わず殺せると、ポジティブに考えるべきだろうか。あるいは、自分の正義が暴走するかもしれないと、ネガティブに考えるべきだろうか。


 いずれにせよ、俺は答えを出さないといけない。戦いの場で迷っていては、誰も救えないのだから。


 訓練をしながら、考えを進めていく。そんな俺を遠巻きに見ている人は多い。やはり、近寄りがたいのだろう。


 ただ、俺に近づいてくる人も居た。ミュスカだ。彼女は、俺の今の状況を、どう考えているのだろうか。笑っているのだろうか。喜んでいるのだろうか。バカにしているのだろうか。


 あまり良くない考え方だと分かっていても、どうしても疑ってしまう。俺の心は、弱いよな。信じるとも疑うとも決めきれず、中途半端なままだ。


「レックス君、せっかくだから、私の部屋にこない?」

「お前は、ずいぶんな尻軽なようだな。知り合って間もない男を誘うなど」


 まあ、ある意味では一途な人だと、知っているのだが。原作では、主人公を裏切るためだけに身も心も捧げていた。とんでもない女だよな。だからこそ、今の言葉が怖い。素直に信じて良いのか、分からない。


 ただ、いいかげん、疑いから入るのは終わりにしたい。いつか裏切られる可能性はある。それでも、できるだけ信じていたいんだ。人を疑うのは疲れる。それに、信じられたいのなら、自分から信じるべきだからな。


「流石に、そういう意味じゃないかな。レックス君と仲良くしたいのは、確かだけどね」

「それで? ただ部屋に呼ぶだけじゃないだろう?」

「合ってるよ。レックス君には、落ち着いて過ごす時間が必要だと思うんだ」


 ああ、ミュスカにまで俺の悩みが気づかれていることが、確定した。だから、少なくとも表では、俺の心を癒やすための行動をしてくれる。それだけは、信じて良い。内心がどうかは、疑わしいが。


 だって、いま俺を裏切ったところで、何の意味もない。俺はミュスカを信じ切っていない。それに、状況的に、俺に何かがあれば疑われるのは彼女だ。


 そんな事が分からないほど、愚かな人ではない。それは間違いない。どんな目的であれ、今は過剰な警戒はしなくていいな。


「好きに考えていろ。わざわざお前の部屋に行く利益が、俺にはあるのか?」

「私を好きにできるよ。なんて、冗談だけど。損はさせないよ。信じてくれないかな?」


 信じてくれと言われれば、信じる姿勢を見せるのが大事だろう。俺はミュスカを疑っている。だから、行動だけでも変えることで、いつか本当に信じることができたのなら。そう思う。


「……はあ、仕方のないやつだ。今回は、付き合ってやる」

「ありがとう、レックス君。じゃあ、着いてきて」


 ということで、ミュスカの部屋へと向かう。今は昼間だから、流石に変な行為をすると疑われることもないだろう。


 部屋に入ると、いかにもファンシーといった感じだった。ビビッドカラーの装飾に、ぬいぐるみまである。可愛さを計算して作られた。そんな印象を抱く。俺の知っている性格からして、人の目を意識して選んだことは間違いない。


「いらっしゃい。好きなところに座ってね。あまり面白いものもないけど」


 ということで、あったソファに座っていく。やはり、来客を想定しているのだろうな。貴族は一人部屋になるから、ソファなんて本来は必要ない。いや、天蓋付きのベッドで寝る人も居るし、使用人を雇っている人も居るか。ただ、ミュスカの部屋には見当たらないが。


「ああ。好きにさせてもらう。……どうしてお前は、俺の隣に来るんだ?」

「友達だから、別に良いでしょ? それに、今のレックス君には、必要だと思うんだよね」

「そうか。まあ、好きにしろ」

「うん、好きにさせてもらうね。だから、こうしちゃう」


 俺の頭を胸のあたりに抱えて、背中を手でトントンとしてくる。明らかに、俺を落ち着かせようとしている。まあ、俺が悩んでいることは気づかれているのだから、自然な行動だ。


 というか、ここまで尽くされていると、彼女のターゲットは俺である可能性が高いな。そこは、安心できるような、怖いような。ジュリアが傷つく可能性が少ないのは嬉しいし、何をされるのか分からないのは怖い。


「何のつもりだ?」

「ねえ、レックス君。あなたは、ずっと頑張ってきたよね。私は知っているよ。だから、たまには休憩しても良いんだよ」

「そんなつもりは、俺にはない。立ち止まるなど、凡人だけで十分だ」

「違うかな。ねえ、私を感じて。胸の鼓動を。体温を。あなたに、伝わるかな?」


 とても穏やかで、優しい声だ。実際、言葉にされたことを感じると、少し落ち着く。誰かに甘えるというのは、こんな感覚なのだろうか。相手がミュスカだと思うと、少し警戒してしまうが。


「ふん、生ぬるいな。あまり心地良いものではない」

「強がっちゃって。ねえ、レックス君。さっきは冗談だって言ったけどね。私のこと、本当に好きにしていいよ」


 好きにして、俺を信用させて、その後で裏切る。そんなビジョンが浮かんでしまう。信じるべきだと感じていても、心がついてこない。俺を変えられない限り、ミュスカが敵に回る未来が、確定してしまうのにな。


 彼女は、俺の内心を察することができる人間だ。表面的にごまかしたところで、気づかれて終わりだろう。だからこそ、信頼する姿勢が大切だ。そう理解しているのにな。


 というか、俺の倫理観的には、恋人でもない女と結ばれるのは論外だ。それも、まだ学生だぞ。いくらなんでも、ありえない。


「お断りだ。出会ってすぐの女に身を任せるほど、俺は愚かではない」

「そっか。……結構、楽しそうだったのにな」


 残念そうな表情に見えて、心惹かれそうになってしまう。ただ、今の彼女は、俺に本気で好意を持っている訳ではない。それなのに、受け入れるのはダメだ。お互いにとって良くない。


「俺は楽しめそうにないがな」

「なら、せっかくだから、膝枕くらい、していかない? きっと、心地いいと思うよ」

「断っても、また次の何かを要求するのだろう? 仕方ない、受けてやろう」

「ありがとう、レックス君。ね、こっちに来て」


 ということで、頭を太もものあたりに持っていかれる。そのまま、ミュスカは優しげな顔で俺の頭をなでていく。表情だけなら、聖母か何かにすら思えるな。


「どうかな、レックス君? 落ち着いた気持ちに、ならないかな?」


 実際、ミュスカの顔も相まって、穏やかな気分はある。心のどこかで、警戒はしているが。きっと、原作知識がなかったのならば、彼女に溺れていたんだろうな。そんな気がする。


「さて、どうだろうな」

「あのね。レックス君が元気になってくれるのなら、私はそれで良いんだ。あなたは、優しくて、努力家で、真っ直ぐな人。その人を支えられるなら、幸せだもん」

「物好きなやつだ。お前なら、狙った男をいくらでも好きにできるだろうに」

「誰でも良いなんて、ありえないもん。私が選んだのは、たったひとりだけなんだよ」


 これ以上はまずい。そんな言葉が思い浮かんだので、起き上がる。ミュスカへの疑いを抜きにしても、誰かに頼り切りになるのは、ありえない。俺は俺の足で立つべきなんだから。


「さて、もう良いだろう。世話になったな。俺はもう行く」

「もっと、ずっと居てくれても良いのに。……ちょっと、寂しいな」


 本当に寂しそうで、名残惜しさを感じてしまった。いつか、ミュスカを本当の意味で信頼できたら。そう思える。だけど、まだ遠い未来の話なのだろうな。

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