第86話 前に進むために

 アイクもミュスカも、原作では悪役だ。だからといって、この世界でも必ず悪いことをすると決まった訳じゃない。とはいえ、悪事に走られると、とても大変ではある。どう行動するのが正解なのか、全く分からない。


 あいつは悪人だと告発するような動きは、証拠がなければ無意味だし。そもそも、悪巧みをしているだけなら、別に悪人とは言えない。現実に悪事を実行するならともかく。


 だからこそ、慎重に動くべきではあるんだが。それでも、本気で原作の事件が起こるのなら、未然に防ぎたいという思いもある。


 何を選択したところで、失うものはあるのだろうが。それでも、できるだけ被害を少なくできる方向に向けて動きたい。それが一番難しいんだが。


「君、レックス君だよね。何か困りごと? 私に話してくれても良いんだよ?」


 急に話しかけられて、ビックリした。知らない声というか、知り合いじゃない声だ。というか、顔に悩みが出ていたのだろうか。確かに学園の敷地内ではあるのだが、外の方だし、人は来ないものとばかり思っていた。


 というか、顔を見たら、原作キャラに見える。男の制服を着ているが、女の人としか見えない。赤い髪とか目とかも含めて、活発っぽい印象が強いな。そう考えてから思い返してみると、昔にどこかで聞いたような声な気もする。


 まあ、知らない人なんだから、名前を言い当てたらおかしいよな。俺の考えが正しいにしろ、正しくないにしろ、普通にしていれば良いか。


「誰だ、お前? 悩み事があるとして、初対面の相手に言う訳がないだろう」

「それは正論だね。でも、私は口が硬いつもりだから。言うだけでも、気が楽になることってあるよ?」


 この感じだと、本当に俺が悩みを抱えているように見えたっぽいな。まあ、事実ではあるのだが。


 ただ、悩んでいる内容は、人に言えるものでもないんだよな。アイクが何かを企んでいるとか、ミュスカが裏の顔を持っていそうだとか。前者は危険だし、後者は広まったら俺の方が困る。


「何も問題はない。お前が気にすることじゃないな。そもそも、お前は誰なんだよ」

「これは失礼。私は、セルフィ・クリシュナ・レッドだよ。レックス君の先輩で、カミラさんのクラスメイトかな」


 やはり、原作キャラか。それなら、今の状況は納得できる。セルフィは、困っている人を放っておけない性格だというのは、細かく描写されていたからな。誰かを助けるのが好きで、人の相談に乗ることも多かった様子だ。なぜ男装しているのかは、ずっと分からないままだったが。


 となると、俺も困っている人だと認識されたのだろうな。まあ、否定はできない。とはいえ、相談するのは難しい。セルフィが口が硬いというのは、原作での描写を見る限り、合っている可能性が高い。


 それでも、相談したところで解決する問題じゃないし、本気で俺の言葉を信じられても、それはそれで困る。さて、どうしたものかな。


「それで、姉さんつながりで俺のことを知ったと? あの人に友達がいるとは聞いていないが」

「私は、ライバルにもなれないからね。注目されないのは、仕方のないことだよ」


 まあ、今のカミラは、確かに強すぎる。まともな手段で勝つのは、相当難しいだろうな。だから、納得はできる。とはいえ、セルフィが負けるというのは、原作ファン的にはショックかもな。


「だから、将を落とすために馬を射ると? 単純なやつだ」

「それは否定できないけど、レックス君が心配なのも本当なんだ。何か、大きなものを抱えている気がするからね」


 原作知識は、とても大きなものなのは間違いない。だが、人に相談して解決する問題ではない。俺の転生について話しても、頭がおかしいと思われて終わりだろう。それくらいなら、黙っている方を選ぶぞ、俺は。


「まあいい。好きにしろ。俺は俺のやりたいようにやるだけだ」

「そうさせてもらうよ。会って分かったけど、放っておけないからね。カミラさんにもよろしくね」


 そう言ってセルフィは去っていく。原作キャラが味方になってくれれば、心強くはある。ただ、どうすれば正解なのか、全く分からない。セルフィを味方にする手段も、悪事の発生を防ぐ手段も、いい考えが思い浮かばないんだよな。


「バカ弟、あんた年上まで狙うようになったの? 本当に節操無しなのね」

「全くですわよ。レックスさんは、女の人に目が無いようで」


 カミラとフェリシアが話しかけてきた。どの段階から、俺の様子を見ていたのだろうな。人気の少ない場所で、ゆっくりと考え事をしていたつもりだったのだが。


 というか、俺は何だと思われているんだ。何度も言われるのだが、そんなに女を口説いてばかりに見えるのか?


「姉さんも、フェリシアも、からかわないでくれよ」

「からかってないわよ! あんた、もう少し節度を覚えなさいよね!」

「最後にわたくしのもとに戻ってくださるのであれば、よそ見も構いませんわよ?」


 いつの間にフェリシアの恋人になったんだか。まあ、いつものように、からかわれているのだろうが。本当に恋人になったのなら、それなりに幸せだろうとは思う。それでも、恋愛対象として見ては居ない。少なくとも今は。


「婚約者でも何でも無いんだよな……」

「ブラック家とヴァイオレット家だもの。流れとしては自然じゃないの?」

「そうですわね。わたくしと結ばれるのは、きっと幸せですわよ?」


 とりあえず、俺は自分の意志で結婚できるのだろうか。話はそこからなんだよな。フェリシアをどう思うかより先に来るのは間違いない。


 恋愛結婚に憧れる気持ちはあるが、現実にするのが難しいのなら、早々に諦めた方が良い。その方が、傷が浅くて済むからな。できることならば、あまり傷つきたくないものだ。


「まだ、俺達には早いだろうさ。入学したばかりで、結婚もなにもないだろう」

「つれないですわね。わたくしは、こんなにあなたを想っておりますのに……」


 フェリシアの悲しそうな顔を見ると、どうしても苦しい。俺をからかっている可能性もあると分かっていても。というか、親しい人が悲しい顔をしていれば、それは嫌だよな。


 だから、顔を作っているのだとしても、俺のやることは決まっている。どうにも、手のひらの上のような気がするが。


「そう、つまらない顔をするな。お前は、くだらない話をしているくらいがお似合いだ」

「わたくしの泣き顔を見たくないなど、やはりレックスさんは、わたくしが大好きですのね」

「まあ、フェリシアなら、悪い相手じゃないわよ。よく知っている相手だもの」

「お姉様も、認めてくださいますのよ……?」


 さっきまでの顔が嘘みたいに、悪い笑顔をしている。これは、からかわれたのだろうな。まあ、本気で悲しんでいなかったのなら、それでいいと思ってしまう。俺も大概だな。


「認めたとは言っていないでしょうが! バカ弟は、あたしのものよ!」

「どっちなんだよ、ややこしい。困ったものだな、姉さんは」

「そう言って、お姉様のことも大好きなのでしょうに。分かっておりますわよ」


 まあ、正しい言葉ではある。カミラのことは、失いたくない大切な家族だと思っているからな。でも、フェリシアに言われると、否定したい気分にもなってしまう。そうしてメリットはないから、素直に乗っておくか。


「うるさいやつだな、フェリシアは。まあ、いまさら気にすることでもないが」

「そうですわね。わたくしが居ないと、レックスさんは泣いてしまいそうですもの」

「全く、情けない弟だことだわ。でも、そんなやつでも、あたしの弟なんだからね」


 やはり、俺は親しい人が大好きだ。それを実感できる。だからこそ、みんなを失わなくて済むように、今後も頑張っていかないとな。


 難しいことはいくらでもあるが、負けていられない。今回の問題も、無事に乗り切ってみせる。

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