第85話 ミルラ・ティーナ・オレンジの決意

 私は、レックス様の秘書になるために、彼に与えられた仕事をこなすという役割を務めています。正確には、秘書としての仕事からは遠いのですが。まあ、国家における宰相のような役割を任される予定ですから。レックス様の望みを叶えるために、あらゆる手を尽くす。それが、私の使命です。


 つまり、私は評価されている。レックス様が頼る価値があると、認められている。そう実感できて、任務にも力が入るのです。


 誰かから頼られることの幸せは、レックス様と出会って初めて知ったのです。私は、以前はずっと、軽んじられていましたから。


 アカデミーという学術機関で、上から数えた方が明確に早い成績を取っていました。というか、片手の指で数えられる程度。その時は、自信を持っていたものです。


 ですが、その称号は、私の人生では何の役にも立たなかった。魔法が使えない人間は、それだけで要職には付けない。そんな事実を知った時には、世界を恨んだものです。あのまま生き続けていれば、私は生きることを諦めていたのかもしれません。


 ただ、そうはならなかった。レックス様は、私に重要な仕事を任せたいと言ってくださった。出会ってすぐに、彼が手掛ける最も大きい仕事を任された。それがどれほど私を救ったか、彼には分からないのでしょうね。もともと、魔法の天才として認められていた方ですから。


 とはいえ、そんな事は関係ありません。私の能力を評価してくれて、大切に扱ってくださる。それだけで、十分なんです。彼ほど私を評価してくださる方は、他にはきっと居ませんから。


 もっと言えば、強い魔法の力を持っているからこそ、魔法以外を軽んじてもおかしくはなかった。ですが、レックス様は違うのです。その事実は、とても大きなものだと言っていいでしょう。


「レックス様に命じられた任務は、必ず達成すべきことでございましょう」


 アストラ学園の教師である、アイク・ブルースト・ブラウンの調査。その過程において、彼が不自然なほどに地下に通っているという事実を突き止めました。できることならば、その先にある目的も割り出したいものです。


 とはいえ、レックス様は、知っていることの確認かのような態度を取っていました。ですから、アイクの目的は、すでに理解しているのかもしれません。ブラック家としての繋がりから、何かを知ったのでしょう。


 そうなると、アイクの行動を阻止するのが、レックス様の本来の望みなのでしょう。言われずとも、主の希望を叶えるというのが、優秀な秘書というものです。


「ただ、彼はお優しい。私に危険がないように、配慮してくださっています」


 それが理解できぬほど、私は愚かではありません。レックス様は、私が傷つけば、自分が傷ついたかのように悲しむでしょう。それは、私の望むところではないのです。


 私を素晴らしい人であるかのように見てくださる方が幸せで居ることは、私にとっても幸せなのですから。だって、彼は私のすべてを認めてくださっている方だから。


「魔法を使えないことなど、まるで関係のないことかのように。まさか、ブラック家の方が。意外どころではありません」


 ブラック家の評判というか、実態を考えると、レックス様のように育つのは、相当難しいでしょうね。だから、驚きの感情は大きいものでした。ハッキリ言ってしまえば、あの家の中では浮いていると言って良い。それでも、私にとっては問題ではないのです。


「私を信頼してくださって、重用してくださる。それが、どれほど救いになったことでしょう」


 当たり前のことのように、そうしてくれる。だから私は、自分を認められるのです。これまでは、私なんてガラクタだと、そう思い込んでいることが多かったですから。誰からも認められない事実は、間違いなく私の精神を追い詰めていました。


「誰よりも私を評価してくださる方の存在は、絶対に手放せません」


 他に同じような人に出会える保証は、無い。むしろ、レックス様が最初で最後である可能性の方が高いでしょう。それなら、何をしても今の立場にしがみつく。そんな判断は、当然のものだと思いませんか?


「レックス様は、きっと私に悪事など求めないでしょう。それは素晴らしいことです」


 ブラック家の人間だと思えないほどに、善性を持っている方ですから。人を殺すという手段を、当たり前のことだと考えていない。もちろん、それは弱さでもあるのですが。とはいえ、そんな人だからこそ、私を大切にしてくださる。だから、その優しさを失わせないのは、きっと大切なことのはず。


「ですが、私は何でもいたしましょう。人を地獄に送ればレックス様が喜ぶのなら、それでも構いません」


 きっと、現実にはならないのでしょうが。それだけの覚悟があるというだけです。所詮は、私も貴族に生まれた人間。人のことなど、数字に思える人間のひとりでしか無いのです。1000人死んだところで、数字が1000減っただけとしか考えない人間なのです。おそらくは、レックス様には似合わない。それでも。


「もう、過去に戻るつもりはないのですから。誰からも認められなかった、あの頃には」


 今が幸せであればあるほど、過去に戻ることが怖くなる。私に頼ってくれて、信じてくれて、評価してくれる人を、失いたくない。その思いは、どんどん深くなるばかりです。


「レックス様が私を認めてくださる限り、手を汚すことすら、ためらう理由はございません」


 というか、それで褒められたのなら、嬉々として人を殺すのでしょうね。自分のことですから、簡単に分かります。きっと、私を信じてくださったのがレックス様であることは、色々な人にとって、幸運だったと言えるのでしょう。


 私は、自分がここまで醜いだなんて、考えていなかったのです。人を殺すことを、単なる過程と思えるような悪女だとは。でも、悪くない気分なんです。その醜さがあれば、レックス様に足りないものを、補えるかもしれませんから。


「まあ、お優しいレックス様に嫌われそうですから、あまり過激なことはできませんが」


 ただ、彼は身内を疑えない。そんな部分はあるでしょうね。だから、うまくやれば、手を汚しながらも信頼されることもできるでしょう。レックス様にとって都合の悪い人間を、こっそり消したとしても。


「レックス様が堕ちたとしても、私は着いていくだけです。それは、絶対でしょう」


 彼の性質は、分かり切っていますからね。私は認められ続ける。頼られ続ける。彼が悪の道に進むとしても、変わらないこと。


「だって、きっと彼は、親しい人を見捨てられないでしょうから」


 私は、彼にとっては親しい人。それは、彼にもらったネックレスが証明だと言っていいでしょう。私に魔力を注ぎ込んでまで、彼の魔法を使えるようにしてもらったのですから。


 そして、レックス様はずっと、私を身内と思い続けるでしょう。そんな人だということは、疑う理由はないですからね。


「つまり、ずっと私を評価してくださるということ。そんな幸せ、他にはありませんからね」


 他の人は、私の魔法だけを見るでしょう。ただ、貴族に生まれながら、魔法を使えなかった女だと。だからこそ、レックス様から離れるつもりはないのです。


「もう、私の人生は決まりきったも同然です。末永く、よろしくお願いしますね。ねえ、レックス様」


 私の持てる力すべてを用いて、あなたを支え続けますから。どのような未来が待っていようとも、ね。

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