第16話 三等分の食卓

「……」

「……」


 気まずい。なんというか、圧倒的に空気が重い。

 普段は知っての通りお喋りな千歌もさっきから笑顔を引き攣らせたまま固まっているし、水上さんはそんな俺たちのことなどお構いなしに、憮然とした表情で風呂敷包みを解いていた。


 どうすんだよこれ、どうしてくれんだよこれ。

 俺は助けを求めるように千歌へとアイコンタクトを送ったものの、ついには匙を投げたのか、千歌も肩を竦めたまま視線を逸らす始末だった。


「千歌、食べる手が止まっているようですが」

「えー、いやいや……雪菜こそどしたのさ? なんか今日、いつもよりぴりぴりしてるじゃん?」

「別に……これといって特別なことはありません」


 例えば私だって機嫌のいい日と悪い日があっても別におかしくはないでしょう、と、水上さんは至極真っ当な正論で続く言葉を見事に断ち切る。

 うーん、いや、本当に仰る通りなんだけどさ。

 もしかしなくても水上さんは不機嫌なんだろう。原因はわからないけど。


「なんだよぅ、雪菜ー、今日もしかして機嫌悪いの?」

「ただの例え話です」

「とりつく島もないね!?」


 やっぱり機嫌が悪いんじゃないのかと、らしくもなく俺に助けを求めてきた千歌の視線にはそんなやり切れなさがこもっていた。

 なんだろうな、ここは邪魔者の俺が穏便に退場しておくことで収まらないだろうか。

 俺は嫌われたままでいいから、友達同士でギスギスし合うのは正直やめてほしいしな。


 そんな具合で、俺がこっそり弁当を持って離席しようとしたときだった。


「……なんですか」

「えっと……それなに食ってんの?」


 水上さんは風呂敷包みの中身と思しきものを口にしていた。だけど、それは。


「お弁当です」

「カロリーブロックは弁当って言わないんじゃねえかなあ!?」


 確かに小腹が空いたときとか、カロリーを効率よく摂取するときとかに食べるものではあるし、昼に食べてれば昼飯なんだろうけどさ、カロリーブロックを弁当と言い張るのは無理があると思うんだよ、俺。


「失礼ですね、家から持ってきてお昼に食べていればお弁当でしょう」

「百歩譲ってランチまではいいとしてもそれは間違いなく弁当じゃない、携行食とかそういうのだよ」

「表現の違いなんて些細な問題です」


 淡々とそんなことを言ってのけた水上さんは、表情ひとつ変えることなく、もそもそとカロリーブロックを頬張っていく。

 えっ? なに? 水上さんの食事って俺が気づいてなかっただけで、いつもこんな感じなのか?

 困惑する俺に、その通りだよ、と千歌が苦笑と共に首を横に振る。


 別に他人の食事にケチをつけたいわけじゃないけど、やっぱりそれを弁当と言い張るのは無理があるよ水上さん。

 俺は脱力して、思わず机に突っ伏していた。


「お、今日はバニラ味なんだ」

「ええ、昨日はチョコレート味だったので」

「思うんだけどさぁ、雪菜ってそのカロリーブロック、どこで買い溜めしてるの?」


 苦笑と共に千歌が問う。

 もそもそと、小さな頬袋を作っていた水上さんは水筒の中身で食べかけのカロリーブロックを流し込むと、こほん、と小さく息を整えて答える。


「その都度学校の自販機で買っています」

「家から持ってきてすらいないじゃねえか!」


 思わず、突っ込まざるを得なかった俺を誰か許してほしい。でもさ、同じ状況に置かれたら八割ぐらいは同じこと言うと思うんだよ。

 わざわざ学校の自販機で買ったカロリーブロックの箱をバンダナで風呂敷包みにしている光景を想像すると、シュール極まりない。


「家のお金で買っているのでお弁当です」

「おっと、定義ブレたねー?」

「なんですか、私がなにをお昼に食べていようと自由だと思いますが」

「それは……そうかもしれない……」

「うん、それはそうだよ、空」


 どことなくむくれた感じがする水上さんは新鮮だったけど、どこぞの学校で爆破騒ぎを起こす軍曹殿じゃないんだから、少しは弁当らしい弁当を食べてもらいたいものだ……と思うのも、多分余計なお世話なんだろうけどな。


「……ところで、土方さん」

「俺?」

「はい、あなた以外このクラスに土方、という名字の方はいないと思いますが」


 そりゃそうだよ、有名だけど結構珍しい方な名字だし。どことなく持って回った言い方をした水上さんは、氷像のような無表情を保ったまま、続く言葉を紡ぎ出す。


「あなたに一つ質問があります」

「俺が答えられるものであればいいけど」

「難しいものじゃないです。ただ一つ、確認したいだけですから」

「ならいいんだけど」


 確認、か。

 なにを確かめるのかはわからないけど、少なくとも今朝方から向けられていた敵意の解消につながればいいな、と淡い期待を馳せつつ、俺は水上さんの次の言葉を待つ。


「先日、千歌と一緒にゲームセンターにいませんでしたか」

「昨日のことなら」

「……そうですか」


 淡々とした調子で喋る水上さんの言葉が、少しだけブレたような気がした。

 そして、今朝のように鋭さを取り戻した視線が俺を打ち据える。

 なんだ、どういうことだ。恐らく地雷を踏んだことには違いないんだろうけど、千歌と一緒にゲーセンに行ったところのどこに地雷が埋まってたっていうんだ?


「確認したかったことはそれだけです」


 困惑する俺たちを置き去りにして、水上さんは二袋目のカロリーブロックに手をつけた。

 なんだろうな、会話を。この際会話をしてくれって贅沢は言わないからさ、せめて話の主語ないし目的語ってもんがほしいんだよな、俺は。


 俺と千歌が一緒にゲーセンにいたからなんなのかを結局最後まで語らないまま、水上さんは俺たちの間に鎮座してもぐもぐとカロリーブロックを咀嚼していた。

 あれだな、うん。申し訳ないけど非常に気まずい。

 浮かれ切っていた千歌もすっかりカレカノモードの熱が冷めて、困ったような笑みを顔面に貼り付けたまま、もそもそと弁当を口に運んでいる。さすがにこれは不憫極まりなかった。


 もしかしたら。

 もしかしたらの話でしかないんだけど、水上さんは。


「……?」


 小首を傾げて、千歌がシャドーボクシングをするときのように小さな敵意を込めた目を向けてくる水上さんを一瞥して、頭を抱える。

 もしかしたら、水上さんは俺たちが思っているよりも、遥かにポンコツ……といったら失礼だけど、割と残念な人なのかもしれなかった。

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