第3話 契約彼氏の憂鬱
千歌からの取引を承諾したことによるメリットは一つ。建前であっても、そこに恋愛感情がなくても美少女の彼女ができる。以上。
デメリットはいくつかある。
女子からの好感度が底値を割ったことと、「クラスで三番目に可愛い女の子」と期限付きとはいえ付き合うことになったことで英雄視されていたのが一転、クラスの男子から「裏切り者」のレッテルを貼られたことだ。
これが果たして釣り合ってるのかそうでないのかはわからない。
あのあと、学校から帰って家の中でも布団の中でもあれこれ考えていたけど、正直千歌と付き合うビジョンは浮かんでこなかった。
千歌のことが嫌いだとか、あいつが実は腹黒くて裏ではなにかとんでもないことを考えているだとか、そういうことはない。
ただ、小さい頃から友達同士としか、悪友としか言い表しようがない関係性で結ばれていたはずの俺たちが、いきなり男女関係になるなんて、予想できるはずもなかったし、想像さえしていなかったのだ。
「……そうだよなあ」
千歌と俺を結ぶ言葉から「幼馴染」を引き算したら、イコールの向こう側に残るのは「悪友」の二文字でしかない。
一緒にバカなことやったりとか、テストの結果を見せ合って一喜一憂したりとか。
そういうことをするのは正直楽しいし心地いい。
でも、そこから先は断崖だ。道はどこにも繋がっていない。
だから、この三ヶ月もそんな風に終わるんだろうと、そんなことをぼんやり考えながら目覚まし時計を止めた矢先のことだった。
「おはよー、空!」
「うわああああっ!?」
ばたん、と部屋のドアが大きく開け放たれたかと思うと、そこから姿を現したのは、制服の上からエプロンをつけている千歌だった。
「ちょいちょい、なにさ! 朝から変なものでも見たような顔して!」
「十分変なもん見てるわ! なんでお前がエプロンつけて俺の家にいるんだよ!?」
父さんと母さんはこいつを止めなかったのか。
いや、冷静に考えればおかしかったんだ。いつもは俺に「朝だから起きなさい」と口酸っぱく言ってくる母さんの声が今日は聞こえなかった時点で。
つまるところ、それは。
「んーっとね、お
「そういうことだろうと思ったよ!」
それは、早い話が父さんと母さんは千歌に全てを任せて先に出かけてしまった、ということだった。
幼馴染が急に献身に目覚めたことを疑問に思わなかったんだろうか。思わなかったんだろうな。
それでいいのか。父さん、母さん。あといつの間にか義理の父母にされてますよ。
「泣いて喜べー? 夢にまで見た美少女の朝ごはんと送り迎えだぞー?」
「そうだろうけどよ! そうだろうけどさあ!」
客観的に見たら事実だからなんもいえねえ。
クラスで三番目といわれてはいるが、千歌の顔立ちは正直なところ水上さんに迫るくらい整っている。
ぱっちりとした丸く大きな赤みがかかった瞳も、ばさばさのまつ毛も、形の整った小さな鼻も、リップグロスが引かれた薄い唇も、全てが高水準な領域でまとまっている。
だからこいつを美少女と呼ぶことに違和感はない。
問題は抵抗があることだ。
「ふんふーふふふーん♪」
苦悩する俺を横目に、千歌は壁にかけてある制服に手を伸ばして、鼻歌まじりにハンガーから外していく。
君が持ってきたBlu-rayじゃないんだよ。
──ちょっと待て、制服を外す?
「ちょっと待て、お前なにしようとしてんの?」
「着替えだけど?」
雨が降ったら傘をさすような調子で、千歌は答える。
「いや俺さ、主語ってもんがほしいんだよ」
「彼女だけじゃなくて主語までほしいとか空は欲張りさんだなあ」
「会話に主語を求めることはそんなに欲張りかなあ!?」
いや、なにしようとしてんのかは大体予想つくけどさ。
でもそれをやられたら俺の尊厳とか社会的生命とかそういうのが音を立てて崩壊する気がするんだよ。それをわかってほしいんだ。
視線で力強くそう主張したのも虚しく、千歌は制服を手ににじり寄ってくる。
「それじゃあ着替えよっか、空!」
「わかった! わかったからせめて一人で着替えさせてくれ!」
「えー? 小さい頃とかよく一緒にお風呂入ったりしてたじゃん、今更空のパンツ見たって気にしないって」
「そういう問題じゃないんだよなあ!」
その、なんだ。
生理現象の問題がだな。かといってこれ説明するのも恥ずかしくてだな。要するに。
要するに、今お前に着替えさせられたら俺の社会的生命は死ぬ。ついでに尊厳もセットで死ぬ。そういうことなんだとわかれ。
「女の子に着替え手伝ってもらうのがそんなに不満かー? 欲張りさんめ」
「もう欲張りでいいから一人で着替えさせてくれ……」
「んー、仕方ないなあ。それじゃ下で待ってるからね」
そう言い残して、千歌はぱたぱたと一階へと続く階段を駆け降りていく。
我が家は二階建てで、俺の部屋が二階に鎮座している都合上のことだった。
そんな軽やかな足音を聞きながら、俺は溜息まじりに寝巻きを脱いで、あの野郎が床に放置していった制服一式に袖を通す。
「下で待ってるってことは……まあそういうことだろうな」
朝ごはん作るとかって言ってたからな。
千歌が料理してるところを調理実習以外で見たことがないけど、果たして大丈夫なんだろうか。
そんな不安を抱きながらネクタイを締めて、俺もまたリビングがある一階へと降りていく。
「遅いよ、空! 女の子を待たせたら減点だぞー?」
「いや、それは普通にすまなかった」
これでも結構急いで着替えてきたんだけどな、と言い訳をするのはやめておこう。
女の子を待たせるもんじゃないっていうのは確かだからな。
そして、食卓の上に載せられている器はただ一つ。
六角形の皿だ。そこへ半球状に盛られた炒飯が異様な存在感を放っている。
おかずの類も見当たらない。つまるところ、この炒飯が朝飯だと見て間違いないだろう。
「なあ、千歌」
「どしたの、空」
「朝から炒飯なのか?」
「カニカマよりかまぼこ入りの方がよかった?」
どっちも練り物じゃねえか。
朝から炒飯を食べるということに対してはなに一つ疑問視することなく、小首を傾げて千歌は問い返してくる。
疑問文に疑問文で返したらテストは零点だぞ。いやそもそもこれが家庭科の「朝ごはんを作りなさい」という課題だったら先生が額に青筋浮かべてるぞ、多分。
「むー、しょうがないじゃん! 私が作れる料理なんて炒飯ぐらいだし!」
「なのに自信満々で朝飯係を買って出たのか」
「いいじゃん炒飯。前に読んだラノベでも女の子が炒飯作ってたし、空もそういうの好きでしょ?」
空想と現実を混同するのはやめろ。
というか、その話は朝飯にも炒飯出すほど炒飯に狂ってなかったはずだぞ、俺の記憶が正しければだけども。
「食べないなら私が二人分食べちゃうよ?」
「いや、食べるよ……せっかく作ってくれたんだし」
朝から炒飯は重いかもしれないけど、我が家の家訓は「出されたものは食え」だ。
それが客人からのものであれば尚更だ。だから、朝から炒飯を食べる必要がある。
それだけの話だった。
俺はレンゲを手に取って、微妙にもそもそしているそれを咀嚼する。
うーん、ご家庭の炒飯って感じの味だ。
ぱらぱらしているようでしていないもそもそした食感と、塩胡椒と醤油の味。あとは微妙に中華風調味料が入ってるか?
「どう? 私の手料理は」
「ご家庭の炒飯って感じの味」
「褒めてんのそれ」
貶してはいないぞ、少なくとも。
俺が作っても家庭用のコンロだとかフライパンだとか調味料だとかの都合で多分似たような味になるってだけで。
「そっかー、うーん、めっちゃ複雑な気分」
「美味い方だとは思うよ、多分家庭でこれ以上作れって言われたら中華鍋とか必要だろうし」
「じゃあ素直に美味しいって言ってよ、もう……」
不貞腐れて頬を膨らませる千歌を不意に可愛いと思いかけたのは、きっと気のせいだろう。
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