07.公爵家侍女は遊びに行く

 なんだかんだと、半年が過ぎた。

 季節はすっかり暑季なつも終わりに近付いて、空には稔季あきの空気が色濃くなっている。


 私もようやく一通り仕事を覚えて、見習いから正式に下級侍女に上がった。お茶の淹れ方もだいぶ上手くなったし、お嬢様のお茶の時間に侍ることも増えてきて。ついでに・・・・第二王子殿下にお嬢様の動向をそれとなくお知らせしたりもして。

 お嬢様には「裏切り者!」と謗られたけれど、それはなかなか素直にならないお嬢様がいけないんですよ?どうせ逃げられない、ていうか逃げるつもりもないんでしょう?さっさと諦めて蕩かされちゃえばいいのに。


 ああ、でも、おふたりを眺めてるとちょっとだけ羨ましくなる。私もいつかあんな風に恋する日が来るのかなぁ?

 …………いや、無いわ。多額の賠償抱えた罪人がなに夢見てんだ、って嘲笑わらわれるのがオチね。


 ま、それはともかく、淑女教育の成果もようやく形になってきて、個人的には今すごく楽しい。特に淑女礼カーテシーに関してはもう自信持って人前で披露できるくらい。今のところはマナー学習を中心に教えて頂いているけれど、これからは日数を増やして、国史とか語学とか、教養学習にも力を入れてみようかしら?



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 その日、私はいつものようにオーレリア先輩の荷物持ちとして街に出ていた。とは言ってもこの日は奥様やお嬢様に頼まれた買い物ではなく、お休みを頂いていた先輩のプライベートのお出かけのお供だ。

 いや私は休みじゃないんですが、と断ったのだけど、私が普段からほとんど休みを取っていないことに奥様も先輩侍女の方々も気付いていらして。人手は足りてるから貴女もお休みを取りなさい!とお邸を追い出されてしまった。


 大変にありがたいのだけど、そんな急にお休みになってもどうしていいか困ってしまう。ただでさえお休みの日には先生をお招きして一日中淑女教育を受けていたので、もうすっかり自由時間のない生活が身についてしまっていたのだ。

 そんな私に苦笑しながらも、今日は一日街で遊びましょ!とオーレリア先輩は私の手を引っ張って行く。その勢いに流される形で、方々連れ回されることになった。



 喫茶店サロン・ド・テでお茶をして、劇場テアトルで新作の歌劇を鑑賞して、料亭リストランテで美味しいお昼を食べて、服飾店ブティックで新作の服を見て触って試着して。久々の一日休みは思いのほか楽しかった。

 何だか学園時代に戻ったみたいで、そう言えば同級生の子たちって今頃は最終学年も半ばを過ぎてるのよねえ、なんて思ってみたりもして。仲良しと言えるほどの子はいなかった……正確には居なくなった・・・・・・のだけど、なんとなく懐かしくなってまた会いたくなってしまった。

 まあ、殿下たちと過ごすのが楽しくて、私のほうが彼女たちと縁を切ったようなものだから、今さら会いたいだなんて虫が良すぎる話よね。


「ねえ、聞いてる?」

「えっ?……あっ、はい」

「聞いていなかったでしょう?」

「…………申し訳ありません」


 ヤバい。先輩が何を話してたのかホントに全然聞いてなかった。


「まあいいけど。貴女は他に行きたいところとかないの?」

「そうですねぇ……」


 と言われても、咄嗟には出てこなかった。

 まあ、そもそも学園時代にだって首都で遊び倒したわけではなかったし、行った覚えがあるのも繁華街や商人通り、それに芸術通りくらいだ。どれも何ヶ所もあるけれど、私が行ったことがあるのは貴族街と学園にほど近いところだけ。

 そう考えると、意外と私、首都に詳しくないことに気付いた。今さら?とか思ったけれど、案外“自分の世界”も狭かったんだなあと思い知らされる。


 まあでも、気付きは力だ。

 これも、あの体験から学んだことのひとつ。


「よく考えたら私、首都で遊んだことほとんどなかったです」

「え、本当に?」

「はい。学園に入った頃は友人もいて、遊びに連れて行ってもらったこともありましたけど、私地方出身だからいつも誰かの後をついて行ってた記憶しかないです」


 いやいや、そんな可哀想な子を見る目しないでくださいよ先輩。私別にそれで不幸を感じたことなんてないですから。


「じゃあさ、これからはお互い自由時間にして、好きなところを回ってみるのはどう?」


 どう?と言われても。私本当にどこに何があるのか分からないんですが。


「大丈夫よ、首都ルテティアにはどの広場にも付近の街路図が設置してあるし、貴族街からあまり離れなければ危険も少ないし。もし迷ったとしても“通信鏡”で私かお邸に連絡を入れてくれれば、誰かが迎えに行くから」



 通信鏡というのは、[通信]の術式が付与された鏡の魔道具だ。個人で使うタイプの物は手鏡サイズで、鏡の周りに10個の接続器アンテルプタが配置されていて、それを押すだけであらかじめ登録された別の通信鏡へと接続される仕組みになっている。それで音声や映像のやり取りができるというすぐれもの。

 接続すると、向こうの通信鏡で応答した人の顔が鏡に映し出される。もちろん向こうにはこちらの顔が映るので、それが何となく気恥ずかしい。


 私が持たされている物は公爵家からの貸与品で、奉公する限りは借り続けることができる。接続先は執事さま、侍女長さま、護衛騎士詰所、厩舎までが固定で、あとは自由に登録していいことになっている。

 ただ、私は登録を追加していない。今日出かける前にオーレリア先輩の通信鏡を追加された以外は。



「でも……」


 そんなに甘えてしまっていいのだろうか。

 私はただの罪人なのに。


「気にすることないわ。公爵家に奉公に出た人たち、ほとんど全員一度は迷って救難信号出してるからね」


 いや救難信号て。

 でもまあ、確かに先輩の言うことにも一理ある。何しろここルテティアは人口およそ68万人。西方世界でも一、二を争う巨大都市だから、ここで生まれ育った人でも足を踏み入れたことのない地区なんていくらでもあるだろう。特に周縁部のスラム街ビドゥンヴィルなんかに入り込んだ日には、死体すら見つからなくてもなんら不思議はないし。


 いや別に、死ぬと決まってるわけじゃないけどさ。

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