【とある公爵家侍女の話】
01.とある公爵家侍女の1日(1)
侍女の朝は早い。
ただ体臭が気になる場合は軽く香水だけ振りかける。香水と言っても“匂い消し”と言ったほうが正しいかも知れない。アクイタニア公爵家の侍女はお客様の前に出ることもあるため、そういうものが支給されている。とはいえ公爵家では侍女も使用人も専用の湯場があって毎日使わせてもらえるため、体臭が気になることはあまりない。
勤め始めておよそ1ヶ月、この生活リズムにもようやく慣れてきたところだ。
いいところに拾ってもらったと、しみじみ思う。浅はかな、そして大それた野望を抱いてあれだけの騒動を巻き起こしたのだから、本来ならば今こうして生きているだけでもあり得ないのだ。それなのに命を助けてもらったばかりか、仕事も住む部屋も食事も与えられ、しかも聞けば他所より随分とお手当がいいらしい。
本当に、なんと幸せなことだろうか。
「おはよう」
「今日も1日、頑張りましょう」
起きてきた侍女たちが互いに挨拶し合う。公爵家ともなれば侍女の大半は下位貴族のご令嬢で、平民の侍女なんて自分くらいのものだろう。平民だったら普通は使用人止まりだし、なんなら下女であっても不思議はないのに。
「なあに?また『自分には過ぎた待遇だ』なんて思ってる?」
人の顔を見て、先輩侍女がからかうような口調で声をかけてきた。
「いえ、そんな。でも身に余るご恩をどう返していけばいいかと……」
「そんなもの、真面目に働けばそれでいいのよ」
何でもないことのように先輩は言う。伯爵家の四女で、高位貴族のご令嬢だけれどこのままでは平民になるしかない方だ。だけど、彼女は毎日何でもない顔をして仕事に励んでいる。
まあ彼女は私と違って上級侍女だから、ドレスの着付けも担当できるし夜会の付き添いもできる。お茶の淹れ方も上手いし、お嬢様のお茶会にも夜会にも
「まあ、とりあえず貴女はお茶の淹れ方から勉強しないとね」
それにひきかえ私はまだ見習いで、侍女とは言ってもなりたてだから仕事はほとんどできない。先輩たちに教えてもらいながら何とか頑張っているけれど、他にはお嬢様のお話のお相手くらいしか務まらない。
なのに、なんで、私がお嬢様の
だから他の侍女仲間から「えこひいきだ」って妬まれるのよねえ。
まあ、先輩を含めて、私とお嬢様の関係を知ってる人たちは、妬みよりもむしろ同情を向けてくるのだけどね。
もうじき
ただ、お起こしに行ってお嬢様がまだ寝ていらしたということは今のところはない。必ず起きていらして、大抵はベッドに身を起こしてご本を読んでいらっしゃる。ご本にはカバーが掛けられていてなんの本かは一見して分からないけれど、先輩によれば魔物にさらわれた姫様が騎士様に助け出されて幸せな結婚をするという、私でも知ってる有名な童話なのだそうだ。お嬢様が子供の頃から大好きなご本なのらしい。
“完璧な淑女”という二つ名さえ持っている方なのに、意外なところで子供っぽいのだなと、その話を聞いたときにはほほえましくなった。もちろん私がこの話を知っているというのはお嬢様には内緒だ。
コンコン。
「おはようございます、お嬢様」
お嬢様のお部屋の扉を二度ノックして声をかける。「入って頂戴」とお声がかかるのを待って、一緒に来た侍女仲間と部屋に入り、一列に並んでベッドに向かって一礼する。
お嬢様はそれを見て読んでいらしたご本を枕元に置いて、ベッドから足を出して腰掛ける態勢になる。そこにサッと先輩侍女が室内用のお履物を持って近付き、慣れた手つきで手早く履かせると、お嬢様のお手を取って立っていただいた。
今のお履物は私が用意していなければならなかった。気付いた時にはすでに先輩の手の中にあって、また今日も出遅れてしまった。
うーん、難しい。実家ではそもそも侍女なんて何人も雇えなかったし、自分付きの侍女もいなかったから、ご令嬢の日常生活で侍女がどんな動きをするべきなのか、まだ身についていない。早く覚えないと。
「いいのよ、おいおいで。貴女は他に覚えることもやることも多いのだから、そんなに何もかも一度に欲張るべきではないわ」
そんな私の苦悩に気付いたのだろうか、お嬢様がお優しいお言葉をかけてくださる。それは涙が出るくらい有り難いのだけど。
「ありがとうございます。ですが、それに甘えるわけにはいきませんから」
そう答えると、お嬢様は少しだけ可哀想なものを見る目になって、でもすぐに表情を作って「そう」とだけ仰った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
先輩方の手によって身支度も
私はまだ見習いだから、専属とはいえ帯同を許されてはいない。それが許されているのは同じ専属侍女でも上級侍女の先輩方だ。でもお嬢様は幼い頃から王子妃教育をお受けになっておられるので、実のところ侍女は連れて行かれない。王城に着くまでは護衛が帯同するけれど、城門を潜ったら王宮内のお嬢様専属の侍女と護衛に引き継がれる。
お嬢様は私に「貴女がひと通り侍女の仕事を覚えたら、一緒に行きましょうね」と言って下さるけれど、少なくとも私みたいな
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
侍女一同、執事さまの後ろについて玄関先でお嬢様の馬車をお見送りする。広い前庭を抜けて馬車が正門の外に消えていくまで見送ってから、私たちはそれぞれの仕事に戻った。
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