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杜野秋人

01.王子妃となる覚悟はよろしくて?

「ブランディーヌっ!」


 和やかな雰囲気に包まれていたルテティア国立学園の、卒業記念パーティーの会場。そこに響きわたった、よく通る大きな男性の声。

 談笑していた出席者たちが何事かと振り返ったその先、会場となっている大広間の奥に設えられた王族専用の貴賓席で仁王立ちになっていたのは、この国、ガリオン王国の第二王子シャルルだ。

 輝くブロンドの髪をなびかせて、理知的に輝く硫黄色の瞳で会場を見渡すシャルル王子。


 ひとりの令嬢がその声に反応して、貴賓席の前へと進み出る。漆黒の長い髪をなびかせた白皙の美女は、深い澪色の瞳を伏せると、壇上の貴賓席で仁王立ちになるシャルル王子に向かって完璧な淑女礼カーテシーを披露してみせる。

 第二王子シャルルの婚約者、完璧令嬢こと公爵家令嬢ブランディーヌその人である。


 シャルルとブランディーヌはともに16歳。本日の卒業式典で正式に学園を卒業し、この卒業記念パーティーが終われば正式に婚姻準備が進められることになっている。おそらく来年の今頃には、盛大な婚姻式が執り行われることだろう。


「シャルル殿下にはご機嫌麗しく。ご卒業おめでとうございます」


 自身も卒業生の身ながら、ブランディーヌは淑女の微笑アルカイックスマイルとともに王子へ祝福を述べる。

 ただし、彼女がそう言上ごんじょうしたシャルル本人の顔を見れば、お世辞にも『ご機嫌麗しい』とは言えなさそうである。


「相変わらずの澄まし顔だなブランディーヌ。そなたは今、なぜ呼ばれたのか分かっているのか?」

「我ら臣下の身で殿下の御心みこころを推し量るなど、とても」

「分からぬと申すか」

「浅学非才の身なれば。大変お恥ずかしゅうございます」


 社交辞令的に謙遜してはいるが、ブランディーヌは若くして“完璧な淑女”と褒めそやされる才媛だ。婚約者のシャルルを差し置いての学園首席、政治経済歴史に国際情勢と多方面に精通し、筆頭公爵家の長女として、将来の王子妃としてこれ以上はないと、社交界はもとより王家でさえ認める非の打ち所のない逸材である。

 だがそのブランディーヌに向けられるシャルルの目は憎々しげで、どう控えめに受け取っても卒業を祝福し合う雰囲気ではなかった。


「そなたに今日、この学園を卒業する資格は与えられぬ!下級生に嫉妬した挙げ句に陰湿な虐めを繰り返すような、淑女にあるまじき女にはな!」


 シャルルの放った言葉が、一瞬の間を置いてブランディーヌに叩きつけられ、そして会場中に響きわたった。


「そのような者に卒業はおろか学園に在籍することさえ認められない!よってそなたには今日この場で放校処分を申し渡す!」


「なっ……!?」


 突然の宣告に驚き固まるブランディーヌ。完璧な淑女と名高い彼女が、この時ばかりは淑女の微笑も忘れて立ち尽くす。


 会場はシーンと静まり返った。その場の誰も、シャルルの言葉を理解し飲み込めた者はいなかった。

 ブランディーヌ様が下級生に嫉妬して虐めを?まさか、何かの間違いでは?


「お待ち下さい殿下!わたくしには身に覚えがございませんわ!」

「ええい、言い逃れなど見苦しいぞブランディーヌ!証拠も証言も上がっておるのだ!」

「ですが!」

「くどい!」


 シャルルは成り行きを見守っている人々の中から、貴賓席の脇に控えていた教師と、その隣にいたひとりの令嬢を呼び出した。教師は手にボロボロの布切れを捧げ持っており、令嬢は質素なドレスに身を包んで悲しげに顔を俯かせたまま進み出る。

 シャルルは教師の手からボロ布を乱暴に奪い取ると、会場中に見えるよう広げてみせた。


 それは、無残にも切り裂かれたドレスだった。鮮やかな明るい硫黄色の、至るところに金の刺繍を施された、最新の流行を取り入れた豪奢な絹のドレスだが、鋭利なナイフで切り刻まれたのか、もはや着るどころか雑巾に仕立て直すことさえ難しそうである。


「これはここにいるコリンヌに私が贈ったドレスだ。卒業記念パーティーに着ていくドレスがないというので私が贈ったものだが、今朝になってこのように変わり果てた状態で見つかった。犯人も判明してすでに身柄は確保されている」


 コリンヌは男爵家の令嬢で、シャルルやブランディーヌのひとつ下の15歳で学園の2年生だ。卒業記念パーティーは慣例として在校生も出席が可能で、来賓の多く出席する記念パーティーは社交界デビューを目指す在校生の貴族子女にとって、デビュー前の数少ない晴れ舞台でもある。


 そしてシャルルは再びブランディーヌをめつける。


「犯人であるモロー子爵家令嬢アルメルはそなたに命令されてやったのだと、すでに自白しているぞ!」

「そんなっ、何かの間違いでございます!」


 モロー家のアルメルならブランディーヌもよく知っている。コリンヌと同じ15歳の2年生の大人しい人柄で、嘘をつくような娘ではない。

 そしてブランディーヌは、彼女にそんなことを命じてなどいない。


「まだ白を切るつもりか!」

「身に覚えのないことを認めるわけには参りませんわ!」

「この他にもコリンヌに対して数々の嫌がらせや虐めの実態があると学園の調査でも判明しているのだぞ!そして、その多くがそなたの取り巻きたちの仕業であったことも分かっている!」


 そうシャルルに言われて、思わずブランディーヌは周囲を見渡す。その視線の動いた先、彼女とシャルルを遠巻きに見ている卒業生や在校生たちのうち、幾人かが気まずげに顔を逸らすのが見えた。


 ああ。これは言わされ・・・・ました・・・わね。


 ブランディーヌはここに来て悟った。おそらくこれは、誰かがそう仕組んだのだと。

 家門の威光と自身の完璧さでそのような下賤な企みは全て抑え込んでいたつもりだったのに、どうやらまだ漏れがあった・・・・・・と認めざるを得ない。


「もはや弁明も尽きたようだな」


 シャルルが勝ち誇ったように胸を張る。


「正式な沙汰は後日となるが、このような事件が明るみになった以上は私の婚約者のままにしておくことはできぬ!そなたと私の婚約は破棄されると思え!」


 正式には後日、などと言いつつも、シャルルの表情はそれがすでに既成事実だと物語っている。もはやこうなってはブランディーヌにも、公爵家にも覆すのは難しいだろう。

 自身の身の破滅を悟り、ブランディーヌは悔しげに俯くしかない。


「そして私の婚約は、新たにこのコリンヌと結ぶことになる!」

「なっ……!?」


 だがそう誇らしげに宣言するシャルルの言葉に、たった今伏せた顔を思わず上げて驚くブランディーヌ。

 このような場で国王陛下の裁可もなしにそのような宣言をすることもそうだが、男爵家の娘が王子の婚約者になるなど前代未聞。本人にも男爵家にもそのような重責は耐えられぬだろうし、何よりも婚約者の不手際はそのままシャルルの名誉と地位さえ貶めることになる。

 シャルルはそれを分かっているのかいないのか、コリンヌと視線を絡ませて見惚れたように微笑み合っている。なんならちゃっかり手まで繋いでいるではないか。


 ふとコリンヌがブランディーヌに視線をやった。

 その視線に嘲りの色と、勝ち誇ったような昏い感情が見え隠れするのがハッキリと見て取れた。


 ああ、そうですか。なるほど。

 無警戒だったのをいいことに、上手く事を・・・・・運びました・・・・・わね、貴女。


 だがそうと気付いたところで、今さらこの場で何を言おうとシャルルの心に届くことはないだろう。ブランディーヌは敗けを認めざるを得ない。

 だがそれならそれで、せめて一矢報いねば気が済まない。

 勝てないのはいい。だがせめて引き分け、いや痛み分けには持ち込ませて貰おう。幼い頃に大人の都合で結ばされた婚約だから、正直シャルル本人には恋慕の情はない。だが婚約者の務めとして、王子・・の地位だけは・・・・・・守ら・・ならない。


 そして、ブランディーヌはスッと姿勢を正す。


「そうですか。そうお命じになるのでしたら致し方ありませぬ」

「ふん、解ったら疾く立ち去るがいい。もはや学園の敷地内に居座ることさえ赦しがたいからな!」


「ですが最後にひとつだけ、婚約者として仕えさせて頂いた者としてお情けを頂戴したくございます」


 ブランディーヌに真っ直ぐ見つめられ、シャルルはわずかに眉を顰めた。

 正直もう話もしたくなければ顔も見たくない。だがそうまで言われてなお冷たく追い払ってしまえば、自身の王子としての度量を疑われかねない。


「…………よかろう、申してみよ」


 結果、シャルルはそう言わざるを得ない。


「有り難く存じます」


 ブランディーヌはそう言ってシャルルに一礼し、コリンヌの方へと目を向けた。

 自分へと顔を向けられ、居心地悪そうに少々大袈裟に怯えてみせたコリンヌは、だがこの女・・・が一体どんな事を言い出すのかと、黙って聞く姿勢になっている。


「貴女、王子妃となるお覚悟はお有りなのよね?」

「えっ……?は、はい……」


 何を当たり前のことを。

 コリンヌだけでなく、遠巻きに見守るパーティー参加者も、教師たちや給仕係の使用人たちでさえそう思った。シャルル殿下が婚約者とすると宣言したのだから、当たり前ではないか。何故わざわざそんなことを確認するのかブランディーヌ嬢は。


「では一度、お試し・・・で受けてみられますか?“王子妃教育”を」


 そして好奇と懐疑の視線が集まる中、ブランディーヌはコリンヌにそう問うたのであった。

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