12

 ルナリアとアスタは、全速力で離脱する〈ラブダック〉のデッキに振り落とされまいと必死にしがみついていた。急速走行で人二人を乗せて安全を保証できる仕様ではなかったが、人員輸送コンテナは負傷者で満載で他に乗るものがない。ルナリアは切るように吹き付ける風を堪えながらアスタに問う。


「何ですか、あれは!」

「六合獣! タンザクってカードに入ってる化け物! とにかくヤバい!」

「みなさんもそれ使ってますよね。こちらも同じように対抗できないのですか!」

「実体化できるのは三等級以上だけ! あいつは能力まで持ってるからたぶん二等級! うちで使ってるの五等級の雑魚だから無理!」


 暴力。圧倒的だった。〈アルクトテリウム〉がひとたび手を振るえば、数トンの重さのある〈ソルダット〉をまるで小石のように吹き飛ばし、人に至っては蟻のように踏みつぶされた。迎撃すべく一斉攻撃を放つも、粒子が瞬き、たちどころに体の傷が再生してしまう。そして、何もない空間から突如出現した岩石が報復として放たれ、一瞬にして無数の命が散った。


 雑音混じりの通信が鳴り、カササギをはじめとした戦う生徒たちの必死な声がした。


『落ち着け! 六合獣が実体化できるのは連続で一分だけだ。しばらくは粒子のチャージでインターバルができる。不用意に攻めないで、隙ができるまで待て。そしたら使役者を潰して終わりだ!』

『でもよ、何であいつらがタンザクを使えるんだよ。向こうにも観測者がいるのか?』

『ユリウスだ! あいつらユリウスを捕まえて無理矢理使わせてやがる!』


 ルナリアは目を見開き、声を詰まらせる。〈クリーガァ〉の上部にシビュラの指揮官が屹立していた。他の兵士とは違う青の制服が嫌でも目を引く。その傍らには物同然に縛り付けられたユリウスがいる。ユリウスの体からは力が抜け落ち、口はだらしなく開きっぱなしで自我というものがまるで感じられない。おそらく何らかの薬物を投入されたのだろう。顔から血が混じった体液が垂れ流れていた。


『くそっ、あいつら許せねえ! ユリウスがあんなもんの情報量に耐えられるわけねえ!』

『焦るな! もう少し待て。助けられるものも助けられなくなる』


 カササギの制止に生徒たちは堪えた。〈アルクトテリウム〉の猛攻に耐えるばかりの地獄の数十秒が、十倍以上の時間に引き延ばされたような苦痛に感じる。


 不意に粒子が淡く雲散霧消した。好機とばかりに、生徒たちは一斉に飛びかかっていく。しかし。


「愚かだ」


 指揮官はこちらから奪った〈騒早〉と二枚目のタンザクを取り出し、タップした。


“Arctotherium”


 間髪入れずに再び現れた〈アルクトテリウム〉が、辺りの命を一瞬で消し飛ばす。縛られたユリウスは虚ろな表情のまま顫動すると、さらに血を吹き出した。指揮官は懐に手を突っ込み、生徒らに見せびらかすようにそれを引き抜いた。


 そこに四枚のタンザクがあるのを認めた瞬間、生徒たちの戦意は潰えた。


 なりふり構わずちりぢりになって逃げ出す生徒たち。しかし、瞬く間に伸びてきた〈アルクトテリウム〉の腕に呆気なく捕らえられ、一瞬で握りつぶされる。さらにその数秒前まで生きていた肉片を地面に叩きつけると、蹴飛ばし、放たれた肉塊の砲弾がまた命を潰した。


 ルナリアは杖を握りしめる。自分の無力さがもどかしかった。見ているだけで何もできない。ただその考えはごく甘いものだということにすぐ気づかされた。自分は傍観者ではない。この息を吸うように命が失われていく戦場の当事者だったのだ。


 突発的な強風が巻き起こったかと思うと、頭上を鉄の塊が飛来した。それはルナリアたちのすぐ目の前に落ちてきた。〈ラブダック〉を操縦するアイガモ型自律思考メカが咄嗟に舵を切り、あわや車体が横転するぎりぎりで回避する。ルナリアはがむしゃらに手すりを掴み、何とか堪えたが。


 長い黒髪が横を掠める。アスタが宙に放り出されていた。ルナリアは咄嗟に片手を伸ばすが、アスタは既に地面に叩きつけられていた。目をやれば、もうそう遠くない位置に〈アルクトテリウム〉が迫ってる。アイガモ型自律思考メカがそれに気づき、〈ラブダック〉を反転させようとしたときだった。


「いいから行って!」

「グワァ」

「行って! 命令!」


 アイガモ型自律思考メカは堪えるように一瞬硬直すると、前に振り返って全速力で〈ラブダック〉を走らせた。アスタの姿がどんどん遠ざかっていく。夕べのアスタの言葉が胸に突き刺さる。けれども。


 ルナリアは意を決して飛び降りた。


 ○


 荒れ狂う戦場を、カササギ機の〈ソルダット〉に追従しながら夕星は走っていた。そこにアイガモ型自律思考メカから半泣き混じりの通信が入った。夕星はアイガモの言葉をそのまま口にした。


「アスタが落ちたってさ」


 しかし、そこは今正に〈アルクトテリウム〉が接近している地点だった。機体に牽引された人員輸送コンテナの中で皐は、その方角を見やって狼狽する。


『助けに行かねえと』

『諦めろ。何も成せずただ死ぬだけだ』


 即断だった。そう告げるカササギの声に感情はない。


「けどさ」

『じゃあ、お前が行くか?』


 通信の向こうで皐が歯を食いしばる様がありありと伝わってくる。夕星が判断するのに一秒もかからなかった。


「俺が行くよ」

『おい! 待て、夕星』


 引き留めたカササギの声は既に遠い。瓦礫が散乱する足下を蹴飛ばし、トレミー粒子の慣性制御能力を駆使して、夕星は地面すれすれを全速力で滑走する。視界に〈アルクトテリウム〉の姿がはっきり露わになった同時に、地面に横たわるアスタと、その前に庇うように跪くルナリアがいた。


 サブタンザクを起動させて、粒子の障壁を展開。〈騒早〉の柄を口に咥えて、両手を空にした。〈アルクトテリウム〉が腕を振りかぶる。そこに滑り込むように飛翔。その一瞬で、夕星は両手にアスタとルナリアを抱えて、かっ攫って跳んだ。血に染まった腕が突進してくる。目の前の障壁が飴のようにあっさりと割れ、砕け散った。


 これはもうだ駄目だな。心は凪いでいた。そして、夕星は微かに笑った。


 障壁を展開したのが功を奏した。刹那ばかりにできた時間のおかげで直撃は免れた。だが、空を切った〈アルクトテリウム〉の腕が大地を震動させた。辺りに皹が迸り、地面が裂ける。吹き飛ばされた夕星たちは、そのまま現れた闇の中に吸い込まれていった。

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