2

 永詠422年 7月6日


 銃声で目が覚めるのは別に珍しいことではない。夕星ゆうずつ・アークライトの一日は祈りから始まり、失意に終わる。 


 あれだけ祈ったのに今日も死んでいない。

 

 朝起きたら死んでいますように。夕星が幼い頃から寝る前に欠かさず行っているルーティンだ。けれども、十年間叶った試しがないのは胸の鼓動が雄弁に証明していた。

 

 首を欠いた出来損ないの四肢動物じみた鉄の塊が、人員輸送コンテナを引きずって、廃墟を駆ける。角張ったボディから生えるローラー内蔵の四脚が砂埃を巻き上げた。


 多脚機動装甲兵器、通称“ドール”。機体名DHM-031〈ソルダット〉の駆動する振動をコンテナ内部の壁越しから背中に感じながら、夕星は薄く瞼を開けた。頭上に設置されたスピーカーら一瞬ノイズが飛び、気怠げな中年男性の声が流れた。


『あー各機通達。こちら正規隊。まもなく戦闘区域に進入。これより課外授業を開始する。ブリーフィングで伝えたとおり、本作戦は武装組織夜明けの帚星指導者、ゼファー・ナイトシェードの討伐である。各員、私立傭兵学校セムアーク生徒の自覚を持って戦い抜け。では生徒代表。指揮権を全て委譲する。はあー以上』


 唐突に始まった一方的な通信は唐突に終わった。残された形のない沈黙がありもしない冷たさだけを残した。夕星が搭乗するコンテナを牽引する〈ソルダット〉のガンナーにして生徒代表、カササギ・ヴィータウィングのシニカルな声が告げる。


『生徒代表、カササギ・ヴィータウィング了解』


〈ソルダット〉のコクピットは縦列複座式だ。カササギのすぐ目の前で操縦桿を握る操縦士ヨシノ・スティアーナが曇った声で茶化すように言う。


『課外授業ねえ。委譲っつうか、丸投げ乙』


 それから小さく咀嚼する音とカタカタとコンソールのキーを叩く音がした。夕星の側からは見えないが、今日も狭いコクピットに肥満気味な体型を押し込め、合成スナックを片手にエロゲにでも興じているのだろう。これから戦闘を開始するというのに。


『ヨシノ。解析は?』

『パーでき! ターゲットはあそこの大きい廃ビルの天辺。敵の位置と数は』


 ヨシノは言いよどみ、カササギはそれで察した。


『言わなくていいさ。あれだろ』


 カササギは全体に向け、声を張った。


『カササギだ。ま、いつも通りの“課外授業”だ。戦力差は絶望的。敵の頭を速攻取って、混乱したところをさっさと離脱する。いいな』


 通信の向こうでバラバラに返事が飛び交う。低かったり、高かったり、真面目そうだったり、気怠そうだったり、十人十色の性質だが、いずれも思春期の気配を色濃く放っていた。


『うちとマッハの班で頭を取る。オモト班とミケ班は続け。露払いを頼む。長距離砲撃装備のある部隊は、アリ班中心に後方支援。展開地点は今送った。残りはケレス班を軸に前から来る敵を後退しながら足止めしといてくれ。俺たちが出払った後の細かい指揮はエイハブ、いつも通り任せるぞ』


 カササギが矢継ぎ早に指示を出すと、各班長から返事があり、様々なカラーリングで塗装された〈ソルダット〉が列を抜け、方々に散っていく。


 そろそろ出番だと踏み、夕星は腰を上げた。コンテナ内の中心で忙しく手を動かしていた小柄な少女、アスタ・コーデューと目が合う。アスタは長い黒髪を束ねたゴムを外すと、目下にある長方形のケースに目を落とした。


「整備終わってるよ」

「ありがとう」


 アスタの頬にわずかに熱が差す。夕星はアスタのことを密かに犬のようだと思っている。名前は知らないが、昔街で見た金持ちが連れていた足の短い犬。短い足をぴょこぴょこ振って一生懸命歩いていた。あのショートパンツの上に尻尾が生えていても違和感はないだろう。


「夕星、うなされてたみたいだけど、嫌な夢でも見てた?」


 眠っているとき、何かの光景を見ていた気がするが、何も覚えていない。けれども、何か見ていたとしたらあれは夢ではなく、記憶だろう。


「俺は、夢なんかみたことないよ」


 すぐ側で砲撃が炸裂し、機体が回避行動を取って、コンテナ内が大きく揺れた。夕星は胸元に飛び込んできたアスタを受け止めつつ、隣から飛んできた茶髪の頭も鉄板にぶつける前にすっと手を差し出した。そこには皇城皐すめらぎたかしの幸せそうな寝顔があった。涎を垂らしながらも美形と言える顔が夕星の肩に収まる。セムアークの制服である黒コートが一部分だけ涎で色濃くなった。アスタは顔をしかめるが、夕星は一切気にしない。


「皐、もう出るよ」


 夕星が皐の頬を何度か叩く。その間、アスタはハンカチで夕星に付いた涎を拭き取る。うんと伸びをすると皐は目を覚ました。


「あーよく寝たぜ。亀さんぐらい寝たな」


 戦場に四つ足の鉄塊が犇めく。左右に分かれたドールの隊列が雪崩のようにぶつかり合うと、戦いの火ぶたが切って落とされた。


 廃墟と化したビル群の昼の戦場を、夜のような漆黒を身に纏ったカササギ機が人員輸送コンテナを牽引しながら駆け抜ける。機体上部に装備された二門の30mm機関砲が火を噴き、敵対ドールの足を止める。側部に装備した翼のような二対の大型ブレードが展開され、光りを放ったかと思うと、敵機はすれ違った瞬間、ただの鉄くずと化した。乱雑に暴力を振りかざし、針を通すような繊細さで敵陣形をくぐり抜けていく。


 戦闘開始から十分も経たないうちにあちらこちらに死体が転がる。大概は武装組織の大人だが、子供もそう少なくはない。生徒たちが何人死のうが、早々に戦闘区域から離れたセムアーク正規隊は安全な場所から文字通り高みの見物で動く気配が全くない。彼らは採点しているからだ。


 これは、授業なのだ。


 カササギらドール隊の奮戦の甲斐あって敵部隊の陣形に穴が開く。あふれ出す激流が如く敵拠点である廃ビルを一気に目指す。


『よし。マッハ班は上から攻めろ。うちは下から進入して挟み撃ちだ。オモト、ミケ先輩、退路の確保頼んだぜ』


 指示を受けた三機のうち、二機は反転し、背後から迫り来る敵部隊の対処に当たる。もう一機、マッハ班の青いカラーリングに塗装された〈ソルダット〉はワイヤーアンカーを射出し、ビル上部に打ち込んだ。機体前部の汎用サブアームに内蔵されたパイルドライバーを壁面に打ち込み、バランスを調整し、ワイヤーを巻き取り、上に乗り込んでいく。カササギが振り返る気配がした。


『夕星、皐、出番だ。アスタ、悪いが降ろしている暇がない。このままコンテナを敵拠点にぶち込む。カモミール、その後はフォロー頼んだぜ』

「グワ」


 夕星の傍らにおとなしく座り込んでいたアイガモ型自律思考メカ、カモミールがこくりと頷いた。夕星にはその声が「僕に任せて」と聞こえた。一方、アスタはカササギのどこまでも事務的な指示に小動物めいた悲鳴を上げる。夕星はカモミールを一撫ですると、腰を上げ、先ほどまでアスタが触っていたケースに手を伸ばした。中を開ければ、一振りの剣が収められている。ドールは戦いの主力ではあるが、主役ではない。六合器りくごうきこそが戦場の主役にふさわしい。


 夕星はロングソード型〈騒早そはや〉を片手に透明なカード状の物体、通称タンザクを取り出した。上部に空いた穴に指を通して一回転させ、その表面をタップする。透明だったカードに紋章が浮かび上がると、淡い緑に色づき、音声が鳴った。


“bloodhound”


〈騒早〉の柄部分に備え付けられたスロットにタンザクを装填する。


“alive”


 頭の中に音声が響いた瞬間、夕星の脳がざわついた異物に入り込まれたような感覚に陥る。まるで脳裏で獣が咆吼しているようだ。しかし、その不快感とは打って変わって、思考が急速にクリアになっていく。途端に脳内に起動画面が“視”えた。


 六合器操作体系

 JIT-08“騒早”第3.1版

 大日本技術研究所開発

 

 Tactical

 Adaptive

 Nervous

 System

 Activation

 Card


“bloodhound”

 

 mode:alive

 start-up


『コンテナ射出。五分で落とせ』

 

 カササギが告げた瞬間、体を浮遊感が襲う。転瞬、コンテナを激しい衝撃が襲った。

 

 ハッチが開放されると、混乱する敵兵と砂塵が出迎えた。コンテナ投入でぶち破った壁から風が吹き荒ぶ。黒コートの裾がはためいた。

 

 四百年前、夏は暑かったという。しかし、長い時を経て朽ち果てた廃墟からは薄ら寒い空気が体に纏わり付く。一度首に巻き付けられた枷に指を通し、〈騒早〉を携えた夕星は戦場を睥睨した。


「〈騒早〉、夕星機出るよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る