第116話「ヨウジロウの拳」
どこかおかしいとは言え、さすがに我が子に対して刃を向けるカシロウではない。
右手にぶら下げた二尺二寸の峰を返し、けれど問答無用で踏み込んで斬り上げた。
ここのところ父カシロウの何かがおかしいと、当然ヨウジロウも気付いていた。
『人を斬った事はない』と、天狗の里を出た日にそう言った父は柿渋の襲撃以降、幾人かを斬った。
よくは分からないがヨウジロウなりに考えた結果、父にこれ以上の人斬りをさせるべきではないと、そう思った結果こうなった。
カシロウが斬り上げた二尺二寸を、ヨウジロウは半歩下がってスレスレで
そして振り上げた二尺二寸を掻い潜り、カシロウの胸へと掌底を叩き込むべく懐へと潜ったその時、左肩へ強い衝撃を受けて
「なっておらんなヨウジロウ。そんな有様でこの父を、しかも無手で止めようとはな」
慌てて飛び
打たれた肩の感じから、どうやら柄尻を落とされた様だと理解した。
それはつまり、カシロウの動きを目で追えなかったという事。
「
「ならば竜の力を使うでござるぞ!」
そう返したヨウジロウは、その小さな全身へ竜の神力を漲らせてゆく。
全身に漲らせた竜の神力。それはヨウジロウのあらゆる能力を底上げする。
特に気張る事もなくやってのけるヨウジロウだが、それは、カシロウが十二年掛けて身につけた『鷹の翼』と同種のもの。
我が子の成長を目の当たりにし、眩しいやら疎ましいやら、カシロウの心は複雑である。
やぁ! と掛け声を上げたヨウジロウが拳を振るう。
今度はそれをスイと体を沈めて躱したカシロウが、ヨウジロウの胴を目掛けて二尺二寸を横薙ぎに斬りつけた。
「――!」
峰打ちとは言えそれを、あろう事かヨウジロウは膝で受けてみせた。
ガツンと硬質な音を立てて二尺二寸を弾き、そしてそのままカシロウの顔面目掛けて拳を振り抜いた。
「――ちっ!」
僅かに頬を拳が掠めたが、なんとか上体を捻って直撃を避けたカシロウ。
後ろへ大きく一歩跳んで距離を取る。
「ヨウジロウ……、兼定を手放したのは……」
「もうバレたでござるか」
悪戯が見つかった子供の様に、ヨウジロウはペロリと舌を出して言う。
「父上とチャンバラをしたんじゃ勝ち目がないでござるからな。ここは竜の神力でごり押しでござる!」
その言葉と共にヨウジロウの全身からより一層の、濃密な神力が噴き出した。
それをヨウジロウは身に纏う様に凝縮させる。
「父上こそ! もう帰って寝た方が良いでござるぞ!」
ヨウジロウの体から、数え切れぬほどの神力弾が放たれる。
――以前、天狗から聞いた話をカシロウは思い出していた。
ヨウジロウの竜の神力は、質や大きさを比較するとトノのおよそ数百人分だと。
その数百人分の神力による弾幕を前にし、カシロウは返していた二尺二寸の峰を戻す。
ズドンズドンと音を立ててカシロウを襲い、たちどころに煙に包まれた橋の上。
橋の長さは大体二十間(約36m)、幅はおよそ四間(約7.2m)。
橋の城側にはハコロク、中央から
ヨウジロウからの弾幕が止んで少し、徐々に晴れゆく煙。
「いや
「それがしの父上でござるぞ? あれしきの事で参るようなら苦労はないでござるよ」
警戒を解かずに煙の中を窺うヨウジロウに対し、さすがに無傷は有り得ないと
ヨウジロウの言葉に応えるように、まだ残る煙から全く無傷のカシロウが勢い良く飛び出して駆けた。
「時間が惜しい! とにかくお主だけは斬る!」
「わわわわワイでっか!?」
カシロウはヨウジロウを避けて橋の欄干を蹴って跳び、一目散にハコロク目掛けて駆ける。
そして振れば切っ先の届く距離まで間合いを詰めたカシロウは、何の躊躇いもなく二尺二寸の刃をハコロクへと振り下ろし――
「父上ぇぇっ!」
――割って入ったヨウジロウが掲げ上げたその腕で、ガィンとカシロウ渾身のひと振りを受け止めてみせた。
「させんでござるよ!」
「ヨウジロウはん!」
カシロウは背にゾクリとしたものを感じて飛び退いた。
ゾクリとした理由――
――割って入ったヨウジロウの動きが目で追えなかった事。
――ヨウジロウが素手で受け止めて見せた事。
――もし受け止められなかったら、愛する息子を叩き斬っていた事。
カシロウはハコロクを斬る事を諦めないが、この我が子が最も強大な壁だと改めて認識した。
カシロウはぎらりと刃を向けたままの二尺二寸の峰を――――返さない。
「
「
カシロウは今の己が唯ひとつ使える『鷹の目』を全力で発動させて、ヨウジロウの動きに備えた上でハコロクを狙う。
しかしカシロウ、攻め込めない。
「……ヨウジロウ、もう一度言う。
「退かんでござる!」
そしてヨウジロウは踏み込んだ。
その体から無数の神力の刃をともに飛ばしながら。
「ぬぅりゃぁぁ!」
カシロウも声を荒げる。
二尺二寸を振ってそれに対処して、
――が。
「父上ぇぇぇぇ!」
カシロウはヨウジロウの繰り出した拳を――完全に目で捉えたにも関わらず――ガツンと頬に喰らって弾き飛ばされた。
「やるじゃないかヨウジロウ」
そう強がって再び二尺二寸を構えたカシロウの頭の中は、絞り出した言葉とは裏腹に大混乱の真っ只中。
――見えてはいた。
しかし全く反応できなかった……?
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