第115話「対峙する二人」

 窓から飛び出したハコロクは、少しの逡巡を見せた。

 けれどあきらめたように、外壁伝いに王城南へと移動する。



「逃げてしもてもえんやけど、矛先がな……。ま、しゃあないか……」


 ハコロクは誰に言うでもなく小さく呟いて、外壁を蹴って四間(約7.2m)ほども離れた先の南門を跳び越えた。


 堀に架かる木造の橋へフワリと降り立って――覚悟した筈だったが――やはりその顔に少し後悔を滲ませた。



 ――めちゃくそ怖いやんけ。



 堀の向こう側、まなじりを吊り上げて立つカシロウと目が合ってしまったから。


 少しずつ歩み寄るカシロウに対し、それでもなんとか常の口調で話すハコロク。



「……朝帰りでっか? よろしいでんなぁ」

「……ハコロク殿はこんな早くにどちらへ?」



 どちらへもクソもあるかいや、という心の声は呑み込んで、ハコロクは無理にでも落ち着いた声音を意識して話した。



「そんな地獄みたいな殺気振り撒いといて何言うてまんのや。知ってるとは思うけど、ここは魔王城やで」


「心配せずとも良い。お主が出て来てくれたのでな、とりあえず城には用がない」


 ――せやろとおもてましたがな。


 暗澹たる心持ちながら、常の如くひょうげて見せるハコロク。


「へぇ、ほならワイに用でっか? なんかくれますのか?」

「くれてやる。先が尖ったちょっと物騒な物で良ければだが……」



 カシロウが腰の兼定二尺二寸に手を掛けたと、そこまで認識したハコロクが突然後ろへ飛び退いた。



「ふん。振り下ろしてから飛び退いているぞ?」


 カシロウの言葉の言い終わり、はらりとハコロクの黒装束の前がはだけた。


 眼前を通った剣を感じはしたが、ハコロクの目にそれは全く見えなかった。


「いきなり何しますのや。ワイの可愛いらしい腹に用事ですかいや」


「まぁ実際のところそうなんだ」


「……は?」



 少しとぼけた口調のカシロウだが、その身から噴き出す殺気はひとつも衰えてはいない。

 ハコロクは必死に、カシロウの殺気を掻い潜り、少しでも和ませようと試みる。


「ワイの腹に! そりゃまた変わった用事でんなぁ!」


 朗らかに、努めて明るくそう言ってはみたが、場は全く和まなかった。



「――その腹。帯で締め付ければへこむんじゃないか?」



 ぞわり。


 ハコロクの背に冷たいものが這い登る。


 ――ちっ。ハコミ姉やんか。昔のこと覚えてへんかて、そりゃ殺生やで。



 ほんの一瞬の、ハコロクの動揺を感じ取ったカシロウは、問答無用と先走って結論づけた。



「やはり……お主か――」



 そう小さく呟いたカシロウは二尺二寸を頭上に掲げ、ふくよかな腹を晒したままのハコロクへ瞬く間に接近する。躊躇なくその剣を振り下ろ――



 その時、ドォンという強烈な音が響き渡る。



 それは地響きをも引き起こし、さしものカシロウらの動きさえも止めさせた。


「今度ぁなんやぁ!?」


 そう言いつつもハコロクが、これ幸いとカシロウから距離を取る。けれどそれを冷たく鋭い視線だけでカシロウが牽制する。

 そして音のした方――王城南門へと視線を遣った。



 見るも無残に弾け飛んだ南門の扉。


 その向こう側、小さな人影ひとかげがボソリと呟いた。



「…………やり過ぎたでござるよ……」



 そう言って姿を現したのは、肩を落としたヨウジロウ。



「……ヨウジロウはん? 何してはんのや?」

「いやそれが……門の開き方が分からなかったでござるから……、力一杯叩いたらこんな事に……」



 かなり微妙な空気の流れる中、ヨウジロウは姿勢を正し、改め直して門を潜って言った。



「父上、朝帰りはともかく――母上はカンカンでござったが――、王城にてのその殺気……、あまりにも不届きではござらんか!?」


「帰ったらユーコーには謝ろう。しかし、これはお前には関係ない。帰って寝ろ」


 父と子の視線が絡み合う。


 腹を晒したハコロクだけが、わきで佇みあうあうと所在なさげに視線を彷徨わせた。



「ハコロク殿はな……、リストル様暗殺の実行犯である可能性が高い。いや、まず間違いなくそうだ」


「――――!」


 さすがにこの言葉には驚いたらしいヨウジロウ。

 カシロウを見詰めていた視線をハコロクへと遣ると、ハコロクはぶんぶんぶんとその手を顔前で振っていた。



退けヨウジロウ。私はハコロク殿を斬る。斬らねばならん。しかしそれをお前に見せたくはない」


「………………」

「ヨウジロウ! 言う事を聞け!」



「聞かんでござる!」



 父の叫びに対し、ヨウジロウも負けじと叫ぶ。


 僅かに驚いたカシロウの顔を見遣り、ヨウジロウはゆっくりと歩を進める。そしてカシロウとハコロクの間に割って入って立った。



「父上! それがしは父上を止めるでござる!」


「……な、何を……、此奴こやつはリストル様を――」


「仮にもしそうでも! 父上がハコロク殿を斬る必要は無いでござる!」



 より一層あうあうとするハコロクを尻目に、バチバチと火花が見えるかの様に睨み合い絡み合う親子の視線が、不意に弾けたかの様に凪ぐ。



 ハコロクに対して向けていた、冷たく鋭い目に戻ったカシロウが言う。



「派手にやってくれたせいで時がない。邪魔するというのであれば、お前とて容赦はせん」



 カシロウは右手に持った兼定二尺二寸をだらりとぶら下げて、いつもと同じ、必殺の構えを取った。




 この時、ハコロクの思考はこうだ。


 ――なんやこの地獄の親子喧嘩は。


 はっきり言ってハコロクはここに、最終的にはカシロウに居る。


 それはリストルを暗殺したのが自分であるから、と言う訳では決して無い。


 ただとにかく、ビスツグにその累が及ばぬようにという考えが全てだった。


 なのに事ここに来て、始まってしまいそうなスケールの大きな親子喧嘩。

 これで万が一死人でも出ようなものなら、さらにややこしくなるのは必然。


 だからハコロクなりに止めてみた。



「……あの、お二人さん? ワイのために喧嘩せんかて、良いんやで?」


「次は貴様だ、黙っておれ」

「ハコロクさん、黙って下がってるでござるよ」



 二人に揃って黙れと言われたハコロクは、大人しく口をつぐんで後退り。扉の吹き飛んだ南門の辺りに三角座りで待機した。




 そして、二尺二寸を抜いて立つカシロウに対し、ヨウジロウは鞘ごと二尺を引き抜きハコロクへと投げ渡す。


「どういうつもりだ?」


「それがしは父上を止めてみせるでござるが、父上を斬らんでござる」


「……ふん、舐められたものだ。怪我する前に帰って寝ろ」



 橋の中央。

 対峙する二人の距離が縮まっていった。

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