第40話「ハコジとハコロク」

 ヨウジロウの足取りは重い。

 けれどそれでも出来るだけの速度で駆け戻った。



 背の低い柿渋男を追い、もう少しで追い付くかと思ったその時、ヨウジロウの体はなんだかよく分からない煙に体を掴まれた。


 ヨウジロウの胸を、胴を、手足を、ガッチリと掴んで離さない煙。


 どれだけ暴れても叫んでも願っても、その煙がヨウジロウの体を解放することはなかった。


 そして昼三つの鐘が鳴り日没を告げた途端、フイッと煙は姿を消してヨウジロウを解き放った。

 ちょうど屋根から屋根へ飛び渡る空中で捕らえられていたヨウジロウは、そのまま家と家の間に落下した。


「……え? あ……? うわわわわでござる!」


 幅一尺(30㎝強)ほどの隙間にずっぽりと落ち、そのまま地面に着地。ズリズリと壁に体を擦りながらなんとか通りへ出た。


 肩や頭、背中も腹も、ほこりだらけのヨウジロウ。


 日も暮れて、通りを行き交う人の多さにヨウジロウは目を丸くして、肩を落として、慌てて兼定二尺を鞘に収めた。



 どこをどう駆けたものか皆目見当もつかず、王城への道を聞いては駆け、聞いては駆け、それを何度か繰り返して日暮れ過ぎ、ようやく帰ってきた。


 王城南の橋のたもとに父らの姿を見つけて駆け寄った。


「ヨウジロウ! 無事だったか!」


「ちちち父上! びびびビスツグさまは……、ビスツグさまはごごごご無事でござるか⁉︎ そ、それがしはあの者にまままかれて――」


 汗と涙でびしょ濡れの真っ青な顔、ヨウジロウがつっかえながらそう言った。


「おう、案ずるな。ディエスがシュオーハ殿を連れて来てくれたのでな。今はもう毒も完全に抜けて大事ないそうだ。悪かったな無駄骨折らせて」


 あの者にかれて――と聞いてひとつ安堵の吐息をついてそう返した。



 序列五位、三朱天のひとりラシャ・シュオーハ。

 トミー・トミーオと並んでウナバラの右腕とも左腕とも呼ばれる男であり、さらに国内最高の治癒術士である。



「ディエスの奴、全然助けに来やがらんと思ったらシュオーハ殿を呼びに走ってたそうだ。ま、結果オーラ――」


 カシロウが言い終わらない内に、ヨウジロウはヘナヘナと腰を下ろしてしまっていた。


「……良かったでござる……、本当に良かったで……うぅぅぅ、ぅああぁぁあ良かったでござるよぉぉぉぉ――」



 突っ伏して地面をバンバンと叩きながら泣いて喜ぶヨウジロウを見遣るカシロウとディエス。

 二人はお互いの顔を見て少し微笑み、カシロウがヨウジロウの背をさすって続けた。


「お前もリストル様への報告へ行かねばならん。立てるか?」


「…………はいでござる!」




⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


「自分の変装のお陰であの子をけた、そう思ってる?」


 肉を囓り取ったヤキトリの串を、天狗がハコロクへ向けてそう言った。


「ななな何を言うとんのか分かりゃしまへんな」


 ハコロクも負けじとヤキトリを喰らい、酒で喉を潤し、どもったことを誤魔化そうと試みる。


 何が何だか分からぬなりに、この『テング』を名乗る老爺が只者でない事だけはハコロクも理解していた。


 戦っても絶対に負ける、という確信とともに。



「あの子が兄さんに追いついちゃってたらさ、間違いなく死んでたよ。あの子でなくて兄さんがね。だから足止めしてあげたのさ」


 色々と諦めたハコロク。観念したように一つ溜め息をついた。


「はぁぁ……。そうやとしてやで、なんで爺さんはワイの味方してくれるんや?」


「味方? してないけど?」

「なんでや。あのクソ餓鬼の足止めしてくれたんちゃうんか?」


 指をひとつ立てた天狗が首と一緒にそれを振り振りして言う。その様子にハコロクがイラッとしたのを全く忖度せずに。


「ちっちっち、兄さんの為じゃないの。あの子に人殺しさせたくなかっただけ。あの子の為、ひいてはこの世界の為さ」


「そうでっか……。ほなワイの事どないするつもりだんねん?」


「どうしようね? とりあえず……、そうだね、兄さん達の事教えてよ。悪いようにはしないからさ」


 けっ! と心でハコロクが唸る。


 片目を瞑ってニコリと笑顔の天狗にイラッとしたから。





 ハコジとハコロク、生まれはディンバラより北西の民王国ダグリズル南端の山間やまあい


 兄弟は上からハコイチ、ハコジ……ときて六番目のハコロク、さらに下に二人。

 母は物心ついた頃にはおらず、兄弟姉妹は全て、父から忍術ニンジュツという名の闘うすべを叩き込まれていた。


 ハコロクらの父は、『転生者』だった。


 転生前に生きた世界はどうやらカシロウやウナバラと同じ世界。前世では乱破らっぱと呼ばれる間諜、隠密を担うものだったそう。


 その時の知識や技術、それをハコロクらへと伝え鍛えたらしい。


 なぜ兄弟の名が「ハコ」なのか尋ねた際、父は「前世で好きだったから一文字貰った」と、そう興味なさげに答えた。


 訓練は厳しくとも、それはそれでそれなりに、ハコロクは割りと楽しく過ごしていた。けれどハコジは違った。


 ハコジは忍術よりも剣術に傾倒し、自らの剣の腕を試したいと常日頃口にして、そして不意に居なくなった。


 父も兄弟たちも、いつかそんな日が来ると思っていたから特に追わなかったのだが、数年後ふらりと戻ってハコロクをして去った。



「拉致? 物騒だね」


「せや、酷いもんや。けど、そんなにワイは嫌じゃなかった。兄弟ん中でも、特に兄貴はワイに優しかったしな」



 ハコジはハコロクに、『兄弟の中じゃオマエが一番腕がええ。手ぇ貸せ』そう言った。

 自分が思う程には剣の腕は大したことがなく、剣術と忍術を併せてようやく一人前の自分ひとりでは裏稼業で生計たつきが立たんと、ハコロクの拉致に至ったそうな。


 二人で盗賊の真似事から始めて、この何年かは主に依頼を受けて殺しを請け負っていた。


「まぁ、ワイがヤったんは片手で足りる程度や。他はぜぇんぶ兄貴がヤった。ワイは金のためにそないな仕事しとったけど、兄貴はどやろな」


「そっか。兄さんらにも色々あったんだね」

「せやな、色々や。んでも兄貴死んだらしいし、どないしょかなぁ」


 ドンと自分の胸を叩いた天狗が言う。


「僕、良いこと思いついちゃった。任せといて」


「良いことって……?」

「まだ内緒。とりあえず支払い済ませてよ」


「うぇ? おたくはん払ってくれるんちゃいまんの?」


「お代は一緒にする、とは言ったけど僕が払うなんて言ってないよ? 僕お金持ってないし」

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