第38話「渡すでござる」

「……かぁ、たまらんでホンマ」


 きつい訛りの男がそう悪態をついた。


「寒なってきとるのに、何が楽しゅうて水遊びせんならんのや」


 男は王城外周の堀に架かる南の橋の下、城下町側の石積みをよじ登っていた。


「あの糞ガキも聞いてた以上に強いしや、その親父なんやねん強すぎやろ、変な髪型しくさってからに」


 男の名はハコロク。

 姓は捨てたと普段からうそぶく男。誰に話すともなく彼の愚痴は続く。


「ま、兄貴やったら大丈夫やろ。兄貴に勝てる奴はそうそうれへん」

 

 ハコロクは橋の直下まで登り詰め、石積みと橋の下で少しだけひと息つこうと器用にも背と足とを使って自らの体を固定した。



 その時、一羽の鳥が水面の上をスィーっと飛び抜けた。



「なんや? あないなとこが通るもんか?」


 ちょうどハコロクの下を飛び抜ける際、グィッと首を捻った鷹と目が合った。


 ゾクリと嫌な予感と悪寒おかんを感じたと同時――


「ぴぃぃぃぃぃぃ!」と鷹が鳴き声を上げた。



 ――やばいやばいやばいやばいで絶対やばいで!


 ハコロクの本能が、ガンガンガンとけたたましく警鐘を鳴らす中、鷹の鳴き声に呼ばれたものか、強い殺気の篭った視線を感じた。


 ――やっばぁぁ……、さっきの糞ガキに見つかってもうてるやん。


 見遣った先には先ほどの少年剣士。

 ハコロクが潜む橋から少し離れた王城側の石積みに、片手片足で張り付いてこちらを睨み据えていた。


 そこへ鷹が舞い戻り、少年の横を通り抜けてそのまま飛んでいく。


「後はそれがしに任すでござる!」


 ギラリとこちらを睨みつけた少年剣士。


 ――あっかーん! めちゃくちゃ怒ってはるやんけ!


 少年が石積みを蹴り、堀へと真っ逆さまに落ちるかと思わせて、しかし何か不可視の足場を踏む様に空中を駆ける。脇目も振らずにこちらへ走り寄って来る。


「うわわわマジでかオイ! 魔術除けの結界どないしたんや! のんびりしとる場合ちゃう!」


 ハコロクも反転して橋の裏をひと蹴りし、橋の外の石積みへと横へ跳んで移動――


 ゴバンと鈍い衝撃音。


「――へ? なんなんそれ?」


 先程までハコロクが居た場所、石積みと石造りの橋が直径二尺(60㎝強)ほどえぐられていた。


 どうやったのかは分からぬが、どう見てもやったのはハコロクを追い掛ける少年。


「……アレろたら怪我じゃ済まんで……」


 石積みに引っ掛けた両手の指先にグッと体重を掛け、肘を伸ばして膝を曲げ、全身のバネを使ってひとっ跳びで堀端へと躍り出た。


 ゴロリと地べたを転がり素早く起き上がったハコロク、間髪入れずに前方へ跳んで前周り、前周り、前周り。


 再びゴバンと衝撃音。続け様にゴバンゴバンと衝撃音。


「死んでまうやろが!」


 ハコロクはそう罵りながら、前周りからそのまま跳び上がり、見当をつけた方へ三寸(10㎝弱)ほどの鉄針を飛ばした。


 鉄針は少年の眉間へ向けて真っ直ぐ飛んだが、ビタリとその眼前で止まってしまった。



「解毒薬を渡すでござるよ」


 少年は宙に浮かんだまま、眼前に止まった鉄針を左手で掴み取り、右掌を開いてそう言った。


 ――……解毒薬? ……さっきの吹き矢、どっかに当たってたんか?


 カシロウに吹き矢の先を斬り飛ばされたせいもあり、狙い通りに眉間とはいかなかったらしい。

 けれどどうやらターゲットであるビスツグのどこかしかには当たったようだと推し量る。


 ――ほならまだ、やりようあるやんけ。



 ハコロクは片手を開いてヨウジロウへ向け、逆の手で懐をまさぐって小瓶を取り出し、それをそっと地面へ置いた。


「ラスイチや。この瓶が割れてしもたらもう助からんで」


 ハコロクは再び鉄針を手に構え、ゆっくりと後退りしながらそう告げた。


 どうやら糞ガキも理解したらしいとほくそ笑む。

 不可視の足場を消し去り、地面へ降り立つ少年剣士が両手を上げた。


「そや、賢いで坊主。ワイにさっきの変なん投げ付けたら瓶は割る。そしたら王子はんは助からん」


 ――……助けたらへんけどな。


 じりじりと後退り、ハコロクが十分に距離を取り、そろそろ一目散に駆け出そうという時、パァンと軽やかな音を立てて瓶が割れた。


 ――……あ、しもた。仕掛けがちょっと早かったか。


 一目散に逃げるべく、振り向いて駆け出そうとしたハコロクだが、念のために顔だけ後ろへ向けてみて……



 ……後悔した。


 ――あかん、捕まったら殺される……



 体から何か蒸気のようなものを薄っすらと吹き上げ、鬼の形相でこちらを睨んでいる少年剣士と目が合った。



 パパンと両の太腿を叩き――


「死ぬ気ぃで走るで!」


 ――ハコロクはそう呟いて全力で駆け始めた。





⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


 ――そう強い毒ではない、それか当たりどころが良かったか。


 カシロウは長身の男と斬り結びながらも、チラチラと横目でビスツグの様子を見ていた。



 やはり吹き矢に毒が塗られていたらしい。

 ビスツグの顔は青褪めて、ハッハッハと浅くいた呼吸を繰り返しているものの、意識もしっかりとしており言葉を投げればなんとか返事を寄越した。


「どうやら浅かったみたいやな。そんでも長引けば死ぬで」

「長引きはせんよ。心配いらん」


「何言ってやがる。オマエさっきより全然あかんやないか。期待外れにも程があるわ」


 男の名はハコジ。

 ハコロクの実兄である。


 実際ハコジの言う通り、カシロウは先ほどに比べてハコジに翻弄されていた。


 ハコジは剣を遣う。

 それこそカシロウに比べればそう大した腕ではないのだが、とにかく動きが速い。

 加えて、先ほど足首から飛ばした鎖の様に、至る所に仕込んだ暗器あんきが厄介であった。



 斬り結ぶ最中さなか、口から肘から膝から、針や小さな刃に鎖、様々な暗器がカシロウ目掛けて飛ぶ。後手後手ながらその全てをなんとか叩き落としていると言った状態。


 中でも、僅かに隙を見せるとその暗器を、ビスツグを狙って飛ばすのがタチが悪い。どうしても踏み込むのを一歩も二歩も躊躇ってしまう。


 ――ディエスの馬鹿はまだ来んのか!


 心の中でそう悪態をついたカシロウに、待望の援軍が現れた。



『……………………!』



 ギュンと高速で降下したトノがカシロウの体に突っ込んだ。


 そのまま姿を消したトノの様子に一瞬唖然としたハコジが口を開く。


「その鷹……、何やか知らんが……だから何やと言うんや」


「もう期待を裏切らずに済むぞ」


 カシロウ、即座に『鷹の目』を発動。併せて体内の神力を練る。


「もうお主の時間は終わりだ」


 右手に兼定を握り、自らの神力で作り出したを左手に握ったカシロウがそう言った。

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