第37話「賊」

「うぉ……、そんなん有りかよ」


 ディエスの呟きを置き去りに、トノの羽ばたきと共にカシロウの体が浮かび上がって堀も塀も越えた。


「お前も魔術なり使って早く来い!」


 塀の向こうへ姿を消しつつカシロウがそう言うが――


「バカ野郎! この堀は魔術除けの結界があんだよ!」


 ――ディエスがそう叫び、北の橋へ向かって一目散に駆け出した。



 ザッ、と小さな音をたてて中庭中央に降り立ったカシロウ。

 トノの姿は見えない。どうやらカシロウの体へ潜り込んだらしい。


「お主ら、何者だ?」


 カシロウが誰何すいかの声を掛けた相手、全身柿渋色の装束に身を包んだ二人組。

 腕を組んで堀側の塀にもたれる長身の一人。

 さらにもう一人の短身の男は中庭中央付近、カシロウからもほど近い蔓薔薇つるばらに覆われたパーゴラ(アーチ状の植物棚)の上で小さな筒を構えていた。



「父上! 賊でござる!」



 建物側に木剣を両手で構えたヨウジロウ。そしてその背でビスツグが震えていた。


 少し位置関係が悪い――そうカシロウは考えながら、グィ、と兼定二尺を鞘ごと帯から引き抜いて、それをヨウジロウへ向けて放り投げた。


「使え!」


「そうは!」


 短身の柿渋装束が筒へ唇を当て、兼定二尺へ向けてヨウジロウが手を伸ばした瞬間を狙って息を吹き込む。


 半身をズラしたヨウジロウの背後、僅かに現れたビスツグ向けて筒から飛び出した小さな矢――


「それは私がさせんよ」


 兼定二尺を放ると同時、一気に間合いを詰めて跳び上がったカシロウが兼定二尺二寸を抜き打つ。


「…………嘘やろオイ」


 柿渋男の握る筒――吹矢の先端と飛び出し始めの矢をもろ共に斬り払っていた。


 そのままヨウジロウらの前に降り立ち、カシロウが大刀を構えて対峙する。


「もう一度聞く。お主ら何者だ」


 パーゴラの上の柿渋男が慌てて小太刀を逆手に握り、逆の手で吹き矢の先端を覗き込んで言う。


いかついのんが出てきおったで。こりゃちょっとワイの手には余りまんな」


 キツい訛りの短身柿渋男が、チラリと塀にもたれた相棒を見遣った刹那、カシロウの背にゾクリと冷たい波がり上がった。


「ヨウジロウ! ビスツグ様を連れて城内へ戻――!」


 言い掛けたカシロウの声が止まる。

 いや、止まらざるを得なかった。


 長身柿渋男がカシロウの目前、既に剣を突き込んでいたから。


 突き込まれた剣を兼定二尺二寸で横から払うように受けるが止まらない、体を捻って半身で躱し、男の体目掛けて横薙ぎに斬り払った。



 しかしそこに男は居ない。


 既に一間いっけん(1.8m)ほども飛び退すさっていた。



「速いやないか、可笑しな髪型のクセに」

「いやいや、お主も速い。驚いたよ」


 覆面の下、男がニヤリと微笑んだ気がした。



 実際カシロウは驚いていた。

 自惚れでなく、大抵の者となら誰相手でも優位にやれると思っていた。


 男の剣の腕はともかく、動きの速さに関しては、カシロウを凌駕している。

 少し苦戦しそうだと判断した。



「さぁ続けるで――」

「ちょぉ待ち、依頼が先やで」



 短身の男がそう諫めるのを――


「そっちは任せた。ガキ二人や、お前だけで充分やろ」


 ――そう興味なさげに長身の男が返し、誘うように少し後ろへ歩み、剣を構えて腰を落とした。



「ヨウジロウ、少しの間持ち堪えてくれ」


 対してカシロウも、誘われるように歩み寄り、雪駄を踏みしめ足場をならす。



――依頼……、此奴こやつら殺しかかどわかしを生業なりわいとする者共か。


 カシロウは物思いにふけりつつも、巧みに男の剣を捌いていた。

 先ほどと違って『鷹の目』を使ったカシロウなれば、どれほど速かろうと人の振る剣が見えない訳はなかった。


 突かれればその剣を兼定でカチ上げ、袈裟に斬り下されれば半身を入れて避け、軽く牽制の剣を振るってなすに留めた。


 ――出来るならば生け捕りたいが……。


「へえ、アンタ強いやないか。全然当たらへん」

「もう万に一つも当たらない。依頼とやらは諦めろ」


「そんな訳にもいきまへんねや!」


 そう言ったのはパーゴラの上。小太刀とさらに小さな刃物を両手に持って、短身の男が跳び上がりヨウジロウ目掛けて小太刀を振る。


 その動きに一瞬気を取られたカシロウ、その隙を突くように長身の男が何かを放って間を詰めた。


 短身の男は小太刀を逆手に持ったまま、体重を掛けて振り下ろした。


 ヨウジロウ、これを避ける事はできない。

 真後ろ、自分の背にはビスツグが居るためだ。


 兼定二尺を抜き、鞘を左に持ったままで小太刀を迎え打つヨウジロウ。


 ジャリンと音を上げて小太刀を受け止め、続け様、そのガラ空きの胴を目掛けてさやを叩きつける。


 しかしその攻防の中、「ぎゃぁ!」と叫んだのは、あろう事かヨウジロウの背後に隠れたビスツグだった。


「ビスツグさま! どうしたでござるか!」


 鞘で打ち据え吹き飛んだ短身の男を放っておいて、ヨウジロウが叫び、左腕を押さえて蹲ったビスツグに大慌てで駆け寄った。




 投げて寄越した小さな刃物を兼定二尺二寸で打ち払い、続く剣による刺突を体を捻って躱したカシロウに向け、すれ違い様、長身の男が脚を震わせ鎖を飛ばした。


 足首を目掛けて飛びくる鎖を片足を上げて避け、パーゴラに絡み付いた鎖を確認する事なく逆の脚でヒラリと飛んで距離を取ったカシロウ。そのままヨウジロウの叫びへ目を向けた。


「ビスツグさまが撃たれたでござる! どどどどうしたらよよよ良いでござるか!?」


「なにっ!? 吹き矢か!?」


 親子は吹き飛ばされた短身の男を見遣るも、その姿を見つけられない。確かにヨウジロウの鞘がしたたかに叩きつけた筈であったのに。


「くそっ! それよりもビスツグ様だ!」

「お前の相手は俺や!」


 ビスツグに駆け寄ろうとしたカシロウへ、男が苛烈に斬りつける。

 その剣を兼定で受け、なし、避け、そうしながらもカシロウがトノを呼ばわった。


「トノ! 先ほどの矮躯わいくの男を!」


 言い様、トノがカシロウの頭上へ浮かび、嘴をパクパクさせた。


『……………………?』

「構いませぬ! 追って下され!」


 再びトノが何事かをカシロウへ。


『……………………』

「何を仰る、余裕ですよ」


 その言葉を受け、トノの頬がどことなく、ニヤリと笑ったように動くや否や、トノが一息で空高く舞い上がった。


「ヨウジロウ、トノを追え! 毒かも知れん!」

「――毒!? どどどどうしたら良いでござるか!」


「奴を捕らえて解毒薬を持ち帰れ!」

「解毒薬…………、承知でござる!」


 そう言うとヨウジロウは駆け、二間にけん(3.6m)ほどの塀を駆け登り、空高く舞い上がったトノを見詰めてその後を追った。



「良いのかよ? もし追い付いたらオマエの息子、死んでまうぞ?」

「ウチの子の心配は無用だ。お主は自分と、自分の身内の心配をしておれ」


 かつて赤子の頃のヨウジロウに付けられた、右頬の傷がジワリと赤く染まっていく。


 斬られた訳ではない。


 カシロウの気の昂り、または深く集中するとともに、何故か赤く染まるのが常だった。

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