第32話「母と子」

 魔王城内一階。ヨウジロウは自宅の扉の前でウロウロと行ったり来たりを繰り返していた。


 夢にまで見た母との再会ではあるが、なにせ七年ぶりである。

 十二歳のヨウジロウに緊張するなという方が土台からして無理な話だ。


 深呼吸を繰り返し、ノブを掴んで回そうとしたその時、廊下の方から大きな声でヨウジロウを呼ぶ声がした。


 ビクッと体を震わせたヨウジロウ。


 母は外出中だったかと、呼ばれた先へ視線を向け、そしてヨウジロウは固まった。


「ヨウジロウちゃん! 貴方ヨウジロウちゃんね!」


 そう言ってこちらへ駆け出した女性がひとり。


 最後に会ったのは自分が五歳の時。確かに面影はあるが、少し薄れた母の記憶よりもずいぶんと年老いて見えた。


 記憶よりも老いた母とおぼしき女性に、駆けた勢いのままに抱きつかれ抱きしめられて、やはり、少し嬉し――


「ヨウジロウちゃん! 会いたかったわ! お婆ちゃんよ!」


 ――かったのだが、母ではなく祖母であった。


「フミリエお婆さまでござったか! ご無沙汰したでござるよ!」


 確かに記憶にきちんとあった。


 フミリエは当時五十五歳、現在六十七歳である。

 ではあるが、魔人族ゆえさほど様子に変化は見られず、歳の割には若々しさを保っていた。


「ディエスさんに聞いてたの、そろそろ戻るって。だから毎日こっちに顔出してたのよ~」


 そう言ってヨウジロウの頭や顔、腹に胸まで撫で回してはギュウギュウと抱き締めるフミリエ。


「ちょ、ちょっとお婆さま! 苦しいでござるよ!」


「あら、ごめんなさいね。あんまりヨウジロウちゃんが可愛いものだから……。さ、ユーコーも首を長くして待っています。顔を見せてあげて」


 フミリエが抱き締めたヨウジロウを解放し、そっと扉の方へヨウジロウの肩を押した。


 フミリエの顔へ向け、ひとつ頷いたヨウジロウが緊張した面持ちで扉をノック。


「どうぞ」


 という返事が聞こえ、ヨウジロウは震える手でノブを捻り扉を開いた。



「お帰りなさい。大きくなったわね」



 そこには当時の記憶となんら変わらない、凛とした姿勢で佇む、美しい母が微笑んでいた。



「……ただいまでござる、母上」


「さぁ、抱き締めさせて」

「母上!」


 駆ける様に母へ近付いたヨウジロウをユーコーが抱き締める。最後に抱き締め、抱き締められた七年前を思い出し、ヨウジロウの、ユーコーの、その瞳から涙が溢れて止まらない。


 廊下側からそっと扉を閉めたフミリエがホッと吐息を漏らす。目尻に涙を溜めつつニコリと微笑みその場を後にする。


「しばらくは二人っきりにしてあげましょ。明日はお婆ちゃんともお話ししましょうね、ヨウジロウちゃん」






⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎


「ヤマノ・カシロウ、ただいま戻りましてございます」


 カシロウが床に片膝をついてそう述べた。


「うむ、長らくご苦労だった。天狗殿の教え、宿り神の力をしかとご教授頂いたのだな?」


 リストルの口調がやや硬いのは二白天がいるためである。

 公式の場で素の口調で話すと序列二位ブラド・ベルファストがうるさいからに他ならない。


 王の間、この場にいるのは玉座に座るリストルに加えてその脇に立つ二白天の二人、三朱天のウナバラ、それにディエスとカシロウ。


 この場に居ない者には「リストルが宿り神の存在を知って興味を抱き、軍を持たないカシロウを天狗の下へ派遣した」という説明が為されている。



「はい。確かに」

「よし、披露せよ。ユウゾウ、相手をしろ」


「畏まりました」



 ウナバラは類稀なる頭脳で下天へとのし上がった男であるが、御前試合――魔王国最強決定戦――でカシロウが優勝するずっと前の大会の覇者でもある。

 魔術も相当に使うが剣の腕もかなりのものだ。



「ヤマノ、ルールはどうする?」

「なんでもありで。魔術も結構にございます」


「……ここでか?」


 ウナバラが周囲を見渡しそうこぼす。


「構わん。ブラド、やってくれ」


 リストルに指示されたブラドが頷いて、「仕方がありませんな」と呟いて両掌に魔力を籠め始めた。


 淡く輝く両掌を合わせ、「光の精霊よ、力を貸せ」そう言いゆっくりと掌を開くと、拳大の光球が現れた。

 ブラドが何気ない素振りでその光球をカシロウらの背後、広間の中央に向かってポォンと放る。


 僅かにカッと光を放ったかと思う間に、直径およそ十間じゅっけん(約18m)弱、高さも同程度の透明な半球状の膜となった。


「結界の硬度はマックス、思う存分やれ」



 カシロウとウナバラが結界へと歩む。


 ぷ、つぅん、と小さく音を立てて結界を通過した二人が、中央で向かい合って小さな声で話し始めた。


「おいヤマノ。ホントに大丈夫なのかよ? お前は宿り神とやらの力を使う修練を受けただけじゃねぇのかよ?」


「もちろんそうですが問題ありません。宿り神の力は闘いにも直結します。さらに、お見せするのはだけです」


「一段目な。まぁ良い。せっかくだから楽しもうじゃねぇか」


 ウナバラは今年五十二歳。側頭部の髪に白いものが目立つ様になってきた。

 それを無造作に後ろで束ね、紐でゆわえる。


得物えものはどうする?」

「腰のもので結構です」


ぁった――」


 そう言い様、腰を落として刀を抜き打ったウナバラ。


 ――神速の居合いあい――


 抜く手も見せぬ居合い。彼のその、若い頃の二つ名は伊達ではない。


 錆びついた様子を微塵も見せぬ太刀筋ではあるが、明らかに間合いが遠い。

 にも関わらず、カシロウはその太刀筋をユラリと上体を半身にする事で躱し、カシロウの背後でバチっと結界が音を立てた。


「お? 初見で避けたか」


「さすがユウゾウさん、ちょっと冷や汗をかきましたよ」

「余裕でかわした癖に何言ってやがる」


 ニッと笑ってウナバラが刀を鞘に納めて腰を落とす。


「オマエは抜かねえのかよ?」

「ええ、このままで」


 特に気負う事なくカシロウが真っ直ぐに立ったまま言った。


「よっし、目にもの見せてやろうじゃねぇの」


 ふぅぅ、と息を吐いたウナバラが、抜いた刀をきらめかせる。


 一つは先程と同じ太刀筋が飛ぶ、さらにその太刀筋とは異なる三つの斬撃が合わせて飛ぶ。

 先ほどよりも明らかに速い、菱形を象った斬撃が神速を以ってカシロウを襲う。


 けれどカシロウ、一つも慌てる事なくヒョイと跳び、膝を抱えて小さく丸まり菱形の中を潜り抜けた。


「……参ったなオイ、今のに反応するかよ……。ってかよ、見えてんのか?」


 パンッと音を立てて結界が消えた。

 どうやらブラドが結界を解いたらしい。


 それを確認したウナバラが刀を納めてリストルらの方へ向き直る。


「ぶっちゃけ何をやっているのか速すぎてちっとも分からん。どうなんだユウゾウ」


「どうなんですかね? 俺にもよく分かりませんが、今のヤマノに斬撃を当てられる気がしない、ってぇ事だけはよく分かりました」


「どうなんだカシロウ。それがお前の宿り神の力なのか?」


「はい。私の宿り神、鷹の力はこの『目』でございます」

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