第22話「父と子」

「あん? ヨウジロウはどこ行った? 誰か知らぬか?」


 板敷きの広い部屋で、可笑おかしな頭髪の男がそう言った。



「ヨウジロウなら……」

「お。知っているなら教えてくれ」


 部屋に並ぶ脚の短い机を運んでいた、十をいくつか過ぎた程の少年が言いにくそうに口を開いた。


「……読み書きの時間が終わる少し前に……、こっそり出て行きました……」


 男はバチンと己の額を叩いて言う。


「あの馬鹿、またか!」


 やや大きめの声でそう言って、壁に掛けられた木剣ぼっけんを二本手に取り奥へと声を掛けた。


「ハル! バカタレを取っ捕まえて来る! 道場は任せる!」

「カシロウさま! ちょっとお待ちを――」


 

 男は履物を履いて建物を飛び出した。


 この男、名をヤマノ・カシロウ山野・甲士郎と言う。



 カシロウは里の中を風を切るように駆け、すれ違う人々らにヨウジロウを見なかったかと尋ねた。


だ、だよぉ。川の方へ走っでっだだぁ」

「おどっづぁんに似て足の速い子だねぇ」


 カシロウもその息子ヨウジロウも、二人とも驚くほどに足が速い。里の中を走る場合はそれでも加減して走っているが、里の連中からすれば神懸かったほどだ。


「あ、いやこれはみっともない所を……」


 カシロウは頭を掻きつつ礼を述べ、川を目指して再び走り出した。

 先程よりもずいぶんと速度を落として。



 カシロウは里から少し離れ、辺りに人の目がないことを確認してから走る速度を上げ、あっという間に目的の川へと駆け抜けた。


 山奥の川であるため川幅はそう広くはないが、流れはそれなりに強い。

 その中ほど、川面から突き出た岩の上に座る下帯ひとつのが、ジッと川面を見詰めていた。


 ――ヨウジロウの奴、あんな所で一体なにを……。


 カシロウが見詰める視線には気がつかぬらしいヨウジロウは、ゆっくりと立ち上がり何も持たぬ右手を高々と掲げた。


 その掲げた右手を勢いよく振り下ろし、そのから、を、水面に飛ばした。


 それを何度か繰り返し、最後に手を振り下ろした勢いのままヨウジロウが川へと飛び込んだ。


 その一連の出来事をジッと見ていたカシロウが呟く。


「あいつめ、すっかり力を使いこなしているらしいな」


 そしてさらに小さな声で、「参るなぁ」と続けた。




 ぷはーっ、と水面から顔を出したヨウジロウが泳ぎ着いたのは、ちょうどカシロウが佇む河原。


「……あ、父上……、見ておられたでござるか……」


 水から顔だけ出して気まずそうにそう言ったヨウジロウに対しカシロウが言う。


「まぁ上がれ。風邪をひいてしまうぞ」

「え……、あ、はい!」


 ざんぶと勢い良く水から上がったヨウジロウの手には、口からエラに草を通した十数匹の川魚がぶら下がっていた。


「さっきのは魚を取っていたのか」

「道場終わりにみんなで焼いて食べようと思ったのでござる」


 ヨウジロウはそう言いながら、手拭いで体を拭い、袖がやや短い藍染の上衣を羽織り、そして同様に藍染の袴を身につけた。


「ヨウジロウ、なぜ道場に出ない?」


 カシロウの言葉に俯き口を閉ざすヨウジロウ。


「剣に飽きたか?」

「……そういう訳では……」


「皆が弱すぎるか」

「……………………」


「ハルでも駄目か?」

「ハルさんは強いでござる。でも…………」


「私とでも同じか?」

「父上なら……、でも、生意気言うようでござるが……五本に一本は取れると思うでござる」



 実際そうかも知れない。


 カシロウはかつて、この魔王国ディンバラで一番の剣術使いと言われていた。それでも十二歳のヨウジロウの言はあながち間違いではない。


 道場でのした剣でならカシロウが負ける事はないだろう。

 しかし手加減のない本気の剣、殺し合いの剣でなら……。



「まぁ、気散きさんじでもしよう。ほれ」


 カシロウはそう言って、道場から持ち出した形稽古用の木剣を一つヨウジロウへ投げ渡し、背を向けて離れ、再びこちらを向いた。



「木剣……?」


「私達ならこちらの方が良いだろう。竹刀しないは軽くていかん」


 ズシリとしっかりした重さの木剣をわずかに見詰め、ヨウジロウが顔を上げた。


「例え当たっても私達なら死なんだろうが、念のため寸止めにしようか」


「……父上……」

「さ、掛かってこい。まだまだお前に負ける私じゃないぞ」


「……はい! 行くでござる!」


 微笑んでそう言ったカシロウに、木剣を掴み直したヨウジロウが駆け出した。





 十二年前のあの日に立てた誓い。

 愛する我が子にいつか刃を向ける為に、カシロウは腕を磨き続けねばならない。


 カシロウ四十歳、ヨウジロウ十二歳。

 暑さも和らぎ始めた頃の事である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る