彼女は「世界が危機に染め上げられている」と言った。
ゆのみのゆみ
「世界の危機が迫ってきている」
「は?」
思わずそう呟いてしまった。いや、そう呟かざる負えなかったというべきだろうか。私にとってそれは、そうする以外どうしようもないほど衝撃的な話だったし、それ以上にそんな話を彼女がしたことが衝撃的だった。
彼女は私の親友で、この学校に入ってからもう2年の付き合いになる。朗らかで優しく明るい、私とは正反対の人だったけれど、どことなく気が合ったというのだろうか。魔力形質が似ているのもあるのだろうけれど、とにかく私達は仲良くなった。
そんな彼女が、突然こんな話をするとは思えなくて、私は疑問符を浮かべざる負えなかった。
「やっぱり、少し難しかったかな。まぁ、そうだね。端的に言えば危機だよ。世界の危機が迫ってきているんだ。だから、ワタシはここにいる」
彼女はまるで子供を見るような様子で私にそう語りかけた。
いや、少し待って欲しい。
世界の危機? 今日もいつもと変わらないというか、変わり映えのない日々だったし、今も昨日と同じように学校から帰っているのに、世界の危機が来ているって、そう言っているのか? そんなわけはない、そう一蹴するのは簡単だけれど、なんとなくそれに乗ってみようと思った。彼女がこんな冗談を言うのは珍しいし、付き合ってあげようと思ったのだ。
色々と世話になっているし、それぐらいならいいかと思った。
よく考えてみれば、この時から多少予感めいたものはあったのかもしれない。
「危機、危機ねぇ……で、それをどうするんだよ」
「止めるのさ。それがワタシの使命だからね」
彼女はそう飄々と、何でもないことのように語った。
「どうやって」
彼女の中でどのような設定なのかはわからないけれど、もしも世界の危機が迫っているというのなら、それは世界統括機構の特務機関の案件だろう。それこそ魔法使いのような存在が出張る話なのではないだろうか。いや、そういうものですら対処できないからこその世界の危機なのだろうか。
「それは場合による。まぁでも、今回の危機の場合は殺すことになるのかな。簡単に言えば。多分、少し違うのだろうけれど」
「なんだよそりゃ。世界の危機ってのは、なにかしらの生き物ってわけか」
少し笑ってしまった。
もう少し仰々しいものが出てくるのかなと思っていたら、ただの生物だというのだから。ただの生物、もしくは魔法生物にしても、現代の魔導技術なら簡単に対処できるのではないだろうか。
「生き物……まぁ、そうなるのだけれど、やっぱり最初の話は聞き流してしまったのかな。ワタシは最初に言っただろう? 今回の危機は、魔法使いだって」
彼女は呆れたようにそう言った。
白状すれば、彼女は最初にこの辺の話を説明していたのである。いや、説明していたのであろう。
けれど、下校中に隣で歩いていた彼女が急にそんなことを言い出したところで、私の思考はそれを受け止めきれず、ほとんど理解ができなかったのだ。こういうところで、勉強のできるできないの差がでるのだろうなと、少し思う。
「魔法使い……人間なのか、そいつは」
「まぁ、そうかと聞かれるとあまり肯定はできないが……まぁ、そのようなものだ。魔法使いといえば、君とそれにこの身体もそうなわけだが、それとは違う。もっと……そうだね、言うなれば原初の魔法使いだ」
この時、おやとおもった。
何か変だなと。
けれど、そこで今日は終わりだった。
「それじゃあ、また明日」
彼女の家についたからである。
私の家は2駅先だが、彼女は学校の近所に住んでいる。
だからいつも駅に向かう途中の分かれ道でお別れということになる。
そして次の日は普段通りの日常で、彼女といつものように過ごした。
いつもの朗らかな彼女で、昨日の冗談はもう終わったのだなと思っていた。いや、私は朝にはもう忘れていたのだ。昨日の冗談など。
「は?」
だから、また驚いてしまった。
下校中に彼女がそれを言った日には。
「おや、聞こえなかったかい? 世界の危機が行動を開始したようだね。と私は言ったのさ」
「いや、それは……なぁ、あんた、だれだ?」
二度目となれば、流石に私も気付いた。
彼女ではない。普段接しているのとは別の誰かが、そこにはいる。そう感じた。それが昨日に感じた違和感の正体であると、今更に流れに合点していた。
「おや、それは昨日に説明しただろう? やはり聞いていなかったんだね。ワタシは君の良く知る者ではない。この身体の正当な所有者ではなく、言うなれば間借りしているだけの存在だと」
言われてみれば説明をされたような気もするが、そんなことは関係なかった。その時はそんなことを気にしている余裕はなく、演技かもしれないという可能性を考えることもなかった。いや、恐らくこの時点で私は確信していた。
彼女とは別の何かが話しているのだろうと。
「なんで、そんな……」
「それはワタシにもわからない。偶然だろう。それか適合したのだろう。たまたまそういう魔力だったというだけの話で、それ以上ではないんじゃないかなと思っているよ。そんな顔しなくても、彼女を乗っ取ったりはしない。時期にワタシは消える。無論、世界の危機を殺すことができればだがね」
多重人格、というやつなのだろうか。
体内の魔力が不安定であったり、分裂している人にはそのようなことが起きると聞いたことがあるけれど、彼女がそのような状態であったとは聞いたことがない。あるいは言わなかっただけかもしれないが。
「……危なくないのか?」
「危ないだろうね。もちろんワタシだって最大限この身体には気を使うが……どうしようもない時はある」
まるで当然のことのように語る彼女に私は怒りを覚えていた。
もう冗談などとは考えていなかった。いや、恐らく最初から冗談だとは思ってなどいなかったのだ。ただ目を背けていただけで、彼女が真実を語っていることはわかっていた。
「ふざけるなよ! そんなの、酷いだろ……! なんで、こいつなんだ……別の人だって」
「この子のことが大切なんだね」
そう言われて、私は言葉を詰まらせるしかなかった。それが図星で、あまり触れられたくないことであったから。
特に彼女には。
「それは良いことだ。誰かを特別に想い、大切にしたいという心というのは、素晴らしいものだ。時には曇り、歪んで、捻じ曲がり、どうしもようもなく苦しい結果を生むこともあるけれど、それでもその感情では綺麗なものだ。曇ることも、歪むことも、捻じ曲がることもあるのだろうけれど、それでも綺麗なものだ。けれど、世界の危機がくれば、それはできなくなる。だからワタシは世界の危機というものを殺さなくてはいけない」
それから何を言えばいいのかわからなくてなって、ただ私達は歩みを進めた。
夕暮れが空を赤く染めていたのがよく見えた。昨日は気にも留めなかったのに。
「それじゃあ、また明日」
そう言って別れた。彼女は右の道へ、私は真っすぐ駅の方へ行く。
少し歩いた後、何かを言わないといけない気がして、曲がり角まで戻ったけれど、そこにもう彼女の姿はなかった。
明日。
「昨日は、悪かった。いきなり怒鳴ったりして」
「いいや、謝ることはないさ。不可抗力とはいえ、ワタシがこの子の身体を使っているというのは事実なのだから」
それはそうなのだが、私は謝りたかったのだ。彼女だって、不可抗力だっただろうに、そんな風に言われるのはどうにも理不尽だと感じていた。
「それでどうなったんだ? 世界の危機というのは」
今回は私から聞いてみた。
というよりも私と彼女の間に話題はそれしかなかったからともいえる。今思えば、彼女自身のことを聞いても良かったのかもしれないけれど、その時はその話をしようと思った。いや、しなければならないと思ったというべきだろうか。
「まだ、いる。ワタシも探してはいるが、まだ発見できてはいない。尻尾ぐらいは掴んだと言えるのかもしれないが」
「よくわからないんだが、それは結局のところあんたがやらなくちゃいけないことなのか? 世界統括機構のようなものに頼ることはできないのか?」
「無理だね。いや、完全に対処できないということではないのだろうが、それは彼らの領分を遥かに超えたものになるだろう。だからこそワタシが出てきたと言えるのだけれどね」
彼女のことをよく見てみれば、彼女とは全然違う。彼女というのはつまり、身体の本来の持ち主の親友のことだけれど、同じ見た目でも違う顔をしている。別人なのだから当然なのかもしれないが。
「思ったんだが、君はどうなんだい?」
「私?」
それがどういう意味なのか分からず、言葉をこぼした。
「ワタシは世界の危機と戦えばそれで終わりだが、君には終わりはないだろう? 正確には死という終わりはあるだろうが、それはまだまだの予定だろうし、つまりは君はこれからのことをどう考えているのかと聞いているんだよ」
「どうって……」
あまり具体的な想像ができるわけじゃないけれど、私はたぶん就職か進学か、もしくはそのどちらもできないか、その3択であろうことはなんとなくわかっている。けれど、彼女は恐らくそういうことを聞いているのではなく、もっと別のなにかを聞いている。そんな気がした。
「どうなんだろう……わからないな」
「それは無理もない。いや、結局のところみんなそうなのだろう。大概の人は、これからのことなんて考えられない。そんな余裕なんてないのが大概のものだろう。けれど、実際のところ、人は何かをしなくてはいけない。それは人によって違うのだろうし、ワタシにはそれが何かわからない。けれど、そういうものが大事なんだよ。世界にとってというよりも、君たちにとっては、それが大切なことなはずだ。
世界の危機はワタシがなんとかするが……君たち自身のことは、君たち自身でしかなんとかすることはできない。それはワタシが助けることのできないことだ。君たち自身が頑張るしかない。いや決して頑張る必要はないのだけれど、ともかく何かしらをしなくてはいけないということだ。何もしないということをするのでも構わないが、ともかくそれを少し考えてみるのも面白いじゃないか?」
なんだか難しい話で、最初に彼女が世界の危機について説明したときのようだったが、あの時とは違い、割とすんなりと頭の中に入ってきた。私のことに関して話しているからだろうか。けれど、私にとっては世界の危機よりもずっとそちらのほうが印象に残った。
「それじゃあ、また明日」
それからというもの、下校時間は彼女と話すことになった。
他愛もない話もしたが、もっぱらそういう……言うなれば小難しいことだった。それらは私にはよくわからなかったが、それでも少し思うことはあった。まだ子供と大人の狭間に過ぎない私でも、それが答えがない問題ということはわかったけれど、でも、同時に何かしら回答を書かなくてはいけないというのはわかった。
「そういえば世界の危機が来ているというのに、こんなことをしていていいのか? それに対処できるのはあんただけなんだろ?」
「こんなことというのは心外だな。まるでさぼっているようじゃないか。これも活動の一環なんだよ。わかりやすく動いてはいないが、けれど動いていないわけではない。それに対処できるのがワタシだけということもないだろう。まぁそれがワタシの歩みを止める理由にはならないが。それに、急ぎすぎては事を失敗する可能性は著しく上昇する」
そしてその日がやってきた。
夕日も落ち切った日に彼女は右に曲がらなかった。
「あれ、今日はこっちなのか?」
「まぁね。少し用があるからね」
「用ってまさか、世界の危機か?」
「まさか」
そう言って彼女は私と同じ駅から、同じ魔車に乗り一駅先で降りた。
私はそれを追った。追わなくてはいけない気がした。多分好奇心といえば、ただそれだけなのだろうけれど、私としては使命感のつもりだった。
「よし帰ろうか」
彼女は近くの公園の椅子に手紙か何か、そのようなものを置いた。
私は流石にそれを勝手に見るわけにもいかず、駅で彼女と別れた。
「それじゃあ、また明日」
そして次の日、彼女は学校には来なかった。
何かあったのだろうか、そう心配したが、放課後の教室の前に彼女はいた。
もうすでに彼女は世界の危機と戦う彼女になっていて、一緒に帰ろうといつもの調子で言ってきたのだ。
「どうしたんだよ。今日は」
「少し忙しくてね。けれど、終わったんだ」
私はその意味が最初、わからなかった。
何のことを言っているのか、少し考えて。そして気づいた。
「終わったって……もしかして、世界の危機を倒したっていうのか?」
「あぁ。無事に……とは言いずらいが、少なくともこの子は無事で終えることができた」
「それは、良かった……心配だったんだよ」
それは身体を操られている彼女のことが心配だったというのもあるし、さらに言えば多分私はきっと。
「今日はお別れを言いに来たんだ」
「え?」
「世界の危機は殺したからね。まぁ全部ワタシがしたわけではないが……ともかく今回の役目は終わりだ。だからもう会うこともないだろう」
たしかにそうなのだ。
そうなることは最初から分かっていた。
最初から彼女は世界の危機を殺した後はいなくなると言っていた。最初から時間制限付きであると、彼女は言っていた。
「でも、そんなの……そんなのって……」
「おや、喜んでくれると思ったが。もう彼女の身体を間借りすることもなくなるわけだからね。これからは君たちの時間だ。ワタシが現れるよりも以前のように」
たしかにそれは良いことだと思う。
彼女のことは大切な親友だし、危険なことに巻き込まれないことは良いことだと思う。でも同時に私は、彼女の身体を間借りし世界の危機と戦う彼女のことも友達だと思っていた。
「でも、少し嬉しいよ。ワタシもこんな風に人と話したのは久しぶりのことだったからね。ワタシの感じている小さな友情を君も感じてくれているのなら、こんなに嬉しいことはない。けれど、私達の友情はまだ小さいものだが、同時に頑強なものでもある。そうだろ? そんな顔しないでくれよ。この前も言ったが、ワタシはここで終わりだが、君はこれからだ。ワタシには想像もできないほどの苦労や苦難が君には待っていることだろう。世界が危機に染め上げられているからね。挫けることもあるだろうし、折れることもあるだろう。けれど、何も思わなくなっちゃいけないよ。思い、想うことが、それ自体が可能性だと私は思う。そしてそれが、危機に染め上げられた世界に抗う唯一の方法だとね」
「そんなこと、言われても」
ふと思い返してみれば、こんなに話した人は私も久しぶりだったように思う。
私は彼女という親友はいても、本当のところ私にとって彼女は友達ではなかったということは薄っすらとわかっているし、今の友達というのは、世界の危機と戦う彼女以外いないのだから、こんなにも寂しいと思っているのだと気づいた。
「それじゃあ」
いつもの曲がり角で彼女はまた明日とは言わなかった。
それを私はただ眺めていた。どうしていいのかわからなかった。
静寂。
「まって!」
私はとにかく声を張り上げて、彼女を呼び止めた。
すると彼女は少し困ったように振り向いて、私を見つめた。その顔を見て私は確信する。もう世界の危機を倒した彼女はそこにはいない。いるのは私の大切な親友だった。
「どうしたの?」
「いや、その……」
呼び止めたはいいものの、結局何をすればいいのかわからない。けれど、私は彼女の言葉を思い出していた。
「君たち自身が何かをしなくてはいけない」
私は一歩を踏み出す。
「今日は私もこっちから帰ってもいいかな」
「いいけれど……遠回りだよ?」
それでもいいんだ。
そう言って私達は右に曲がった。
彼女は「世界が危機に染め上げられている」と言った。 ゆのみのゆみ @noyumi
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