あの夏の魔女の森へ

鬼容章

第1章 魔女の森入り

第1話 魔女の森入り(1)

 幼馴染の裕希ゆうきが、俺の肩を揺さぶっている。

 彼女は、新人看護師として働く成人女性だ。

 だけど今、彼女の落ち着きない口調は、小学校の頃を思い出す。


「大変! きょうくん、起きて!」


 ディーゼルエンジン音のする秋田内陸線あきたないりくせんの車内で、俺は目を覚ました。

 お尻がずり下がっていた。

 冷静なフリをして、席に座り直し、俺は彼女に尋ねた。


「なぁ、裕希ゆうき。ここは阿仁あにのどの辺?」

前田南まえだみなみって見えたんだけど、目的の駅過ぎちゃったかも!」

「うーん、そうみたい」


 俺たちは秋田内陸線あきたないりくせん経由で、森吉四季美湖もりよししきみこを目指していた。

 阿仁前田温泉あにまえだおんせん駅、目的の駅は過ぎている。

 この先の阿仁合あにあい駅は有人駅だ。

 たぶん、運賃の清算も出来るだろう。何なら駅員さんから戻り方を教えてもらえるはずだ。

 パニックになった裕希ゆうきに、猫みたいな笑みで俺は応えた。


「心配すんなって。阿仁合あにあい駅まで行って戻ろうな」

「本当に……戻れるの? 内陸線ないりくせんって、自動運転する列車だっけ?」

「いや、そんなことは……記憶の限りではないとは思うけど……」


 奇妙な現象に、俺も歯切れが悪くなる。

 今、車内に運転手がいないのだ。

 俺たちが乗り込んだときには、運転席に座っている男性運転手がいたはずだ。

 列車が止まらない場合は、どうやってブレーキをかける? 

 そうだ、緊急連絡だ!


 iPhoneを取ると、8月32日(金)11時52分、圏外の表示。

 

 人生オワタ!

 無情にも、車内に電子音声が流れた。


『つぎは阿仁合あにあい阿仁合あにあい ザ ネクスト ストップ イズ アニアイ』


 俺たちの心配をよそに、無人列車はちゃんと停まってドアが開いた。

 駅の窓口まで行くと、駅員はいなかった。運賃の清算はどうしよう。

 俺が驚いたままの顔をしていると、後ろから裕希ゆうきが心配そうに話しかけた。


きょうくん、大丈夫?」

「にゃわーッ!」

「あ、猫さん? ふふッ」

「おーい、裕希ゆうきさんよー。ここは笑うところじゃないってばー」


 不思議な話だ。阿仁合あにあい駅の中に誰一人いない。

 神秘的な場所だから、逆に俺たちが阿仁あにから神隠しされたとか。


 そりゃ、俺も猫みたいに驚くよ。

 再会後はじめて、裕希ゆうき屈託くったくない笑みを見せた。

 大きい目が細くなるんで、相変わらず可愛い顔だな、と俺は思った。

 まじまじと見過ぎていたのだろう。

 彼女は不思議そうに、俺の顔を見返す。


「何を見ているの?」

「ごめん。混乱して、思考停止していた」

「ねぇ、きょうくん。森吉山もりよしざんから見れば、何か分かるかな?」

「高いところだし、何か分かるかも。で、どうやって、移動するんだよ?」

きょうくん、車の運転免許証は?」

「フリーターだけど、一応持っているよ! もう~!」


 不安になった俺は、怒りっぽい。

 一方で、裕希ゆうきは冒険する前の楽しそうな顔だ。

 これ、迷子がする反応だ。


 車内の揺れが心地よくて、寝てしまった結果がこれだよ。

 今のところ、フリーターの俺に良いところなし。

 不甲斐ふがいなくて、床に視線を下ろす。


 すぐに裕希ゆうきが励ましてくれた。


きょうくんと一緒なら大丈夫だね!」

「ペーパードライバーの俺が山道を運転するってかい。そもそも、車はどうすんのさ」

「駐車場で借りよう」

「他人がいないのに、車が借りられるってかー。都合良すぎるぜ、裕希ゆうきさんよー」

「その通り! さすが、きょうくん!」


 謎のハイテンションな裕希に手を引かれて、恐る恐る、阿仁合あにあい駅の外へ俺は出た。

 やはり他人の気配がせず、町全体が異様な感じだ。

 今の結論。

 ここ、異世界の阿仁合あにあい

 

 俺が眉間みけんにしわを寄せて考えていると、裕希ゆうきは駐車場の方から元気な声を上げた。

 俺は怖がりながら喜んだ。


きょうくん、この車、鍵かかっていないよ! 鍵を車内に置きっぱなしみたい!」

「おお、良かったじゃん!」


2人とも、正気を失っていた。

車が手に入れば、さっさと国道105号線で鷹巣たかのす方面へ逃げ帰ればいいのだ。

森吉山もりよしざんへ向かうなんて、回りくどいことはしない。


 でも、異世界だと鷹巣たかのすまで道路つながっていなさそう。

 うーん、山へ行くのが安パイか。


 俺は裕希ゆうきを助手席に乗せて、森吉山もりよしざん阿仁あにスキー場方面へ車を動かした。

 車の運転はかなり久々だったのに、夢のような感じで上手く出来た。

 ここ、現実と夢が半々の世界なのかな。

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