スパート

小狸

短編

「なんで人は比べ合うんだと思う?」


「唐突な問いだね、お姉ちゃん」


 ごろごろとしながらタブレットを操作していた姉が、ふとそんな風に話の端を発した。


 いつだって姉は唐突である。


 天才型、と言えば聞こえは良い。


 聞こえだけは。


「いやさ。今度、あたしが投稿してる絵のサイトで、コンテスト? っぽいものが開催されるのね。それで、読者賞? っていうの? まあ、Xでいうところの『いいね』の数の如何いかんで、表彰されるの」


「それって、一人で複数アカウントを開設して、『いいね』の数を水増しすることもできるんじゃない?」


「相変わらず嫌な所に手が届くねぇ、刈子かるこは」


「手が届くのは『痒い』所でしょ。で、どうなの? その実は」


「一応運営側から、複数アカウントの開設は禁止されているんだよね。発見し次第即削除されるよー、結構その辺りの治安はまともなサイトなの」


「ふうん、そうなんだ」


 意外、でもないか。


 大抵の場合は私の言葉で折れるのに、絵に関しては、姉は妙に拘泥する。


 というか、実際それだけ拘っているのだろう。姉の夢はイラストレーターである。私はほぼ門外漢なので何も分からないが、こと絵についてだけは、姉はいつも、他の追随を許さないほどに上手い。


「でも『いいね』の数ってことは、大本には閲覧数があるよね。Xのフォロー、フォロワーみたいに、相互的に繋がっているシステムがあるってことで――例えばそのフォロー数、フォロワー数が多い人、あるいは古くからそのサイトを利用している人が有利になるよね」


「全く刈子はどうしてそう神の首を取ったように言うかなー」


「そんな恐れ多いことをしてるつもりはない……それ、『神』じゃなくて、『鬼』だから」


「良いじゃん通じてるんだしー」


「私以外には通じないから駄目でしょ。で、その辺りの公平性はどうなの?」


「公平性ねぇ。いや、どうなんだろ、分かんにゃい」


 適当だな、この姉は。


「分かんにゃいから、あたしもどうかなって思っているんだよね。いや、実際ね。刈子が言うよう、フォロー数とか、いつ始めたかによって左右されちゃうんだと思う。フォロー数が多いってことは、まあ企業系とか、海外の怪しいアフィ系のアカウントじゃない限りは、その人の絵が見たい――その人の絵を推している人がそれだけいる、とも考えられるじゃない? そしてそれだけ人望? があるってことなんだよね。上手い人は、上手いだけの理由があって、それだけ人目に留まる。今はAIが台頭してきたりもしているけれど、結局人がそれに飛びつくのだって、『上手い』から、っていうただそれだけの理由なんだよね。どうしようもない実力主義。それが社会だし、それが世の中だと思うよ。でもさ、それだけじゃないじゃない、あるじゃん、世の中にはさ。埋もれちゃう才能っていうのが」


「…………」


 相変わらず分かりづらい、こちらが全てを理解していることを前提に話をしてくる、いつもなら会話を放棄しているところだが、珍しく私には、姉の言いたいことが分かった。


「フォロー数もフォロワー数もなく、始めた時期も遅く、ただ上手いだけじゃあ、駄目って言いたいの?」


「そう。そう、そうそうそうそう。流石刈子。それが言いたかったの。ただ『上手い』ってだけじゃなくて、例えばSNSを使うんだったら、ある程度のネットリテラシーは必要だし、絵ってなったら、それだけで見る側に与える情報が全てだから、過激な表現とかは控えたり、そういう倫理観も必要になって来る。それに、たまたまその時期その瞬間に始めたら、企業の目に留まった、なんてことも――要するに、運も、必要だよね。私の知り合いにもいたよ、企業からDMが来て、イラストレーターとして契約した人」


「へえ、すごいじゃん」


 ネットが世を席巻するこの令和らしい話である。


「まあ、その人、過労で絵描くことやめちゃったんだけど」


「…………」


 自営業の、過労。


 一体どんな状況だったか。


 想像を絶する状況だったのだろうことは、想像に難くない。


「最近のジャンプのアニメも、どんどんクオリティ上がってるよね。作品名は挙げないけど、それが水準になりつつある。それでもって、絵って、基本的に誰でも始められるわけ。描ける環境さえあればね。ただ、それを当たり前みたいに使い捨てられるのは、私は嫌だと思うし、そういうイラストレーターにはなりたくないと思う。唯一になりたい。でも、企業とか会社が求めるのは、絵を描ける誰かであって、私じゃない。それが、悔しい」


「……何の話してたっけ、お姉ちゃん」


「あー。そうそう。どうして人は比べ合うんだろうなって話だった気がする。紆余曲折ありすぎたね。折れ曲がりだね」


「人が比べ合う理由については、私も考えたことあるなぁ。でも、最終的には『結局自分の気の持ちようだよね!』って話を強制終了させられることがほとんどなんだよね。気の持ちよう。そうなんだよ。そうなんだけど、それでも人は自分と他人を、他人と他人を比べ合う。そうすることで、自分の下に誰かがいるって、知っておきたいから。安心したいから。それで、本来ある位置よりちょっと上に自分を配置して、理想と現実の落差を無くしたいんだよ、そう思う。だから、人は人と比べるんだと思う」


「相変わらずの鋭角的な表現だねー、刈子」


 鋭角的、という言葉はない。


 姉は造語症である。


「実際その通りだと思う」


「あれ、お姉ちゃんにしてはすんなり認めるね」


 絵に関しては一家言あるという設定はどこに行ったんだ。


 この数ページでキャラをぶらせないでほしい。


「いやいや、キャラとかじゃなくてね。あたしも思うところはあるわけ。『描きたい』と『描ける』の間には、どうしようもなく溝みたいなやつがあるっていうかさ。自分の頭の中をそのまま出力できる人がいたら、それはもうまさしく、天才って奴だよね。そして、大抵の人は天才ではない。でもさ、席は、一つじゃないと思うんだよね」


「席?」


 またお得意の造語か?


「あー、うん。成功とか、案件貰うとか、そういうのじゃなくて、何かで壇の上に挙がることができるのを、あたしは『席に着く』って表現しているのだけれど、知ってたよね」


「だからその前提条件止めて、私はお姉ちゃんの全てを理解していない」


 ただ、その比喩を理解はできた。


 大勢の人々が、その席に群がり、這い寄り、集い、集り、応募する。


「でも、実際に受賞するのは一人でしょ。だったら、席は一つじゃん」


「そうだけどさー、そうじゃないっていうかさー」


 姉は言葉を濁す。言いたいことを表現しきれないのだろう。その気持ちは分からないでもなかった。だから、待った。姉が一番伝えたい言葉を見つけるのを。


「ああ、そっか」


 どうやら思いついたらしい。私は耳を傾けた。


「例えば、賞にしたって、来年、再来年も開催されるわけじゃん。その一回に全てを懸ける――って言葉は、威勢は良いけれど、その一回が駄目だったら筆を折るってことにも等しいわけでさ。絵の世界は、そういう人多いんだよね。あたしは唯一になりたい。できるのなら、一等賞をかっさらいたい。でも、それだけじゃない。一等賞じゃなくっても、壇上には多分、もっと他にも席がたくさんあるんだよね。絵を発表できるサイトだって、令和の今じゃいくらでもあるわけだし、絵という形も、漫画賞とか、イラスト賞とか、多岐に渡る。あたしもさ。分かってるよ、世の中広いし、あたしより幼い頃から絵描いてる人とか、絵を描く環境が整ってる人、機材が揃ってる人、一杯いる。――今は輝けなくとも、舞台に立ちたい、しがみつきたい。そして少しずつ、一番を目指したい」


「……なんか、解決しちゃってるじゃん」


 柄にもなく、姉の言葉に、感銘を受けてしまった私がいた。


「あ、そうだね、解決だね! 無事解決だ、あはは! 続き描こー」


 そう言って、まるで今の話など無かったかのように、さっと立ち上がって部屋へと戻っていった。


「…………」


 静かになったリビングで、私は一人になった。


 筆を折るとか言われたらどうなるかと思ったけれど、あれで自己解決できる姉だ、問題はないだろう。


 問題があるのは、私の方だ。


 、である。


 年に一度、私が小説を投稿しているサイトの中で、『大賞』『読者賞』が選ばれる祭典の応募受付が開始されるのは、丁度、明日の正午からである。


 私は、陰鬱な私小説を書いている。


 フォロー数もフォロワー数も姉と比べれば雲泥の差で、もう才能がないどころか、向いていないという言葉を投げられてもおかしくないレベルである。というか実際にダイレクトメールで「お前は小説家には向いていない~」などという長文が、見知らぬおっさんから届いたことがある。


 自信なんてない。


 自分なんて、もっとない。


 でも。


 それでも。


 壇の上に乗るためには。


 まず、書かなければ、描かなければ、始まらない。


 それは、絵も小説も、同じである。


 一等賞じゃなく、、か。


 うん。


 ちょっとは、前を、向けた。


 そんな気がする。


 だったら。


 それなら。


 私も――始めて、みようかな。


 机の上の、パソコンを起動した。


 小説を書こうと、私は思った。


 令和5年の、11月30日のことである。




(「スパート」――はじまり

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