第23話「改心」

「ショーン……良く私の前に、顔が出せたわね。自分が私に何をしたか、覚えているの?」


 いきなり現れた男を見て、私は自分の言葉の単語ひとつひとつを、噛み締めるようにして言った。


 確かに私は以前、目の前に居るこの男、ショーンのことが好きだった。


 それなのに、公衆の面前でひどい振られ方をして、誤魔化したくて感情を裏返し、好きではない傷ついてもいない大嫌いだったと、何度も何度も数え切れないくらいに自分に言い聞かせてきた。


 あの頃は、好きだったはず……そう、今は確実に異性として好きではないけど。


 ショーンは黒の巻き髪に、意志の強そうな同色の瞳。少しだけ生意気そうな顔をした青年だ。


 背は高く以前の体型はひょろりとしていたけれど、騎士になったという話の通り、今は鍛えられた身体付きになり、貴族らしい服を纏っていた。


「レニエラ。悪かった。あの時のことは、俺は本当に後悔しているんだ」


 意気揚々と私へ婚約破棄を告げたあの時の姿なんて、今では想像もできないくらいにしおらしく反省の弁を述べたショーンに、まるで予想外だった反応をされた私は、あらと首を傾げた。


 ……どうしたのかしら。やけに大人しいわ。ここで私の言葉の十倍くらいの分量で、言い返されると思っていたのに。


 一年間に王都から離れて辺境で騎士として生活をしていて、何か思うところでもあったのかしらね。


 今思うとショーンは、周囲からとても甘やかされていたわ。両親からも婚約者の私からも。


「では、どうして私と未だに婚約継続しているなんて、両親に言い出したの? あまりにも、有り得なさすぎるわ。それに、お金で済むのなら私の夫が支払いたいと言っているの。私だって、もう貴方とのことを大事にはしたくないわ」


 あのジョサイアだって、オフィーリア様のことで、好奇の目に晒されるのは懲り懲りだと言っていた。


 私は大きくため息をつきつつ、何を思っているのか顔を顰めているショーンへ言った。


「レニエラが、モーベット侯爵と結婚していると聞いて、激しく動揺して……なんとか、抗議したいと考えて、あれは我慢が出来なかった。すまなかった。悪かったと今では思っているし、ドラジェ伯爵と夫人にも謝罪もするつもりだ」


「……私はもう既に、モーベット侯爵夫人なのよ。過去に婚約していたことがあったからと、貴方になんて構っている時間はないの。婚約は破棄が出来るけど、私たちの結婚は成立済で破棄も解消も出来ないんだから……悪いけど、もしお金で済むのなら、金額を言って欲しいわ」


「いいや……お金がいらない。どうかしていたんだ。わかってるよ……本当に、悪かった。とても反省しているんだ。レニエラ」


 ショーンは以前の偉そうな態度なんて、まるでなかったことみたいに、何度も謝罪の言葉を口にした。


 ……あら?


 何か罵り言葉の前振りかと思っていたんだけど、これは、本当に反省しているみたいね。


 さっきまでの私は正直に言ってしまうと、ここで大声で罵り合いでも始めるつもりなのかと思っていた。彼の態度と言葉に肩透かしを食らったようで、拍子抜けした。


 あまりにも話が早過ぎて、少し怖い気もするけれど……問題となっていたショーンが、こうして私の前にまで来て反省してくれているなら、アメデオや私たちが昨日あんなに心配して話し合ったことなんて、全部無駄だったことになるわ。


 大袈裟に考えすぎだったかしら?


 よくよく考えれば……私がもし、ジョサイアと結婚することにならなければ、実業家としての道を歩み、一生独身のままで過ごすと思っていた。


 そこに騎士として戦功を収め戦場から帰って来たショーンが、事業を始めた私に「実は俺たちの婚約は、継続中なんだ」なんて、言い出したとしたら……?


 その時の私は、もしかしたら、絶望していた両親に泣きつかれて結婚出来るのであれば……と、改心した様子のショーンと結婚するかもしれないし、社交界も色々あったけど、結局元の鞘に戻ったのねと好意的に思う人だって多いだろう。


 え。待って……止めて止めて。嫌過ぎる。最悪だわ。


 そういった意味でも、私はオフィーリア様に感謝しなければいけない。ジョサイアと結婚した今では、私が一生を添い遂げる人はあの人でなくてはと思うもの。


「そっ……そうなの? 実家のドラジェ伯爵家も昨日は大騒ぎだったようだから、そうやって反省してくれていて、本当に良かったわ。婚約解消についての手続きは、私の方でさせて頂いても良いかしら?」


 なんたって、一度ちゃんと確認もしたというのに、嘘をついたのよ。ここで改心したように見えたとしても、絶対に信用なんて出来ないわ。


「いや、実はここに会いに来たのは、それに君自身の署名が書類には必要だからなんだ。今度こそ、俺たちの婚約解消については書類上もちゃんとさせて貰う」


 ショーンは今までになく、しゅんとしたしおらしい態度を見せていて、本当に反省しているようだ。


 嘘でしょう。こんな彼が見られる日が来るなんて! 心を入れ替えた彼を見て、私は本当に感動していた。


 ……しかも、気がつけば、ここまで私に一度も暴言を吐いていない。大体は初見で「なんだ。その似合わないダサいドレスは」と言い出すのが定番だったのに……?


「まあ……ショーン。良かったわ……貴方、騎士になって、変わったのね」


「そうだ。女性はか弱く、守らねばいけない存在だ。それに気がつくまで、長い時間がかかってしまった」


 騎士道で、性格まで変わることが出来たの?


「まあ、ショーン! 素晴らしいわ。貴方がそんなことを言い出すなんて……嘘みたい」


 目頭を押さえた私はなんだか、わがまま一杯に育った幼馴染でもあるショーンの親戚にでもなった気分だった。


 久しぶりに会った子が、良い方向に変わったのを見て、本当に感動してしまったもの。


「今までの俺が、どれだけレニエラの心を、ひどく傷つけていたか理解したんだ。俺だって、ちゃんと反省するよ」


「それは……とても良いことだと思う。そうね……書類に私が署名をすれば良いの?」


「ああ。こっちの馬車に用意してあるから、良かったら来てもらえないか。何。一筆書くだけで、すぐに済むから」


 ショーンは私にそう言って、自分の乗って来たらしい馬車を指し示した。


「わかったわ」


 私の名前を署名をするだけなら、すぐに終わってしまうはず。


 オフィーリア様へ商品例となる各種の精油を急ぎで送らなければいけないけど、それくらいの時間ならば大丈夫だろうと私は頷いた。


「レニエラ。綺麗になったな」


 ショーンはそう言って、馬車に乗り込む私の手を取った。


 そんな紳士的なことを、あのショーンがするなんて! 信じられないわ。もしかしたら、良く似た別人なのではないかしら。


「ありがとう……良い結婚相手が見つかって、本当に良かったわ」


 貴方にあんな風に、婚約破棄してもらったお陰だけどね。今は嫌味になってしまうから、心の中で思うだけだけど。


 ディレイニー侯爵家の馬車は、侯爵位にあるだけ流石に広く高級だった。毛足の長いふかふかとした、ゆったりとした座面。


 長距離移動でも出来そうなくらいに、快適な居心地だった。


「……レニエラ。すぐに書類を出すよ。少しだけ、待ってもらえるか?」


 外を覗っていたショーンは、自分も乗り込んで扉を素早く閉めた。


 あら……私は署名するだけなんだけど。


「あ。わかったわ。別に慌てなくて良いわよ」


 私はショーンが鞄の中に手を入れたのを見て、私物を取り出すのを見つめるのもどうかと思ったので、窓へ目を移した時に、口元に何か布を当てられたのを感じた。



◇◆◇



 ゆらゆらと身体全体が、揺れている。


 あまり路面の状態の良くない場所を、馬車で走っているようだ。


 ……どこへ行くの?


 暗闇の中に沈んでいた意識が急に浮き上がるのを感じ、私はパッと目を覚ました。


「レニエラ。おはよう」


「ショーン? 何故」


 私は書類に署名が必要だからと彼に呼ばれて……だから、馬車へと乗り込んだのに。


「何故って? お前だって、ここまで来たら俺が何をしたいか、知っているだろう?」


 馬車の中を照らす薄い灯りはゆらゆらと揺れていて、既に窓の外は真っ暗だった。


「誘拐、したの? 私は、モーベット侯爵の妻なのよ」


 ジョサイア・モーベット侯爵こと、私の夫はわかりやすく、この国では大きな権力を持っている。


 妻の私を攫って、どうするつもり? もし、この先もこの国で生きようとするのなら、それは絶望的なはずだ。


「それが、どうした? 最速で異国にまで逃げれば良い。どんなに探しても、お前はもうこの国に居なければ、あの男が大きな権力を持っていたとしても同じことだ」


 にやにやとした嫌な笑みを見て、私はクズ男の演技にまんまと引っかかった事を知ったのだった。

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