第22話「懐かしい顔」
目的を果たし、それを父に知らせるためにドラジェ邸に急ぎ戻らねばと帰るアメデオを見送った私たちは、邸へ戻ろうと振り向いた。
「ジョサイア……ごめんなさい。こんなことになってしまうなんて」
本当に、まさかだわ……私の元婚約者のショーンがあんなことを主張するなんて、夢にも思っていなかった。
「……いえ。大丈夫ですよ。レニエラは、このことをどう思いました?」
落ち着いた口ぶりのジョサイアは、まるで妻の気持ちを確認するように聞いたので、私は素直な気持ちをすんなりと答えることが出来た。
「とても、迷惑ですわ。私はショーンを好きだった時期は確かにありましたが、彼に対して何ひとつ気持ちは残っておりません」
私の言葉を聞いて、ジョサイアはホッと大きく息をついた。
もしかして、何か不安に思っていた? 嘘でしょう!
今の私は、ショーンがまだ私のことを好きだと土下座をしても、何ひとつ心を動かさないと思うわ。
だって、好きな気持ちなんて、特に何もせずに永遠に続くはずがないもの。あんな別れ方をしていたら、なおさらよ。
「それを聞いて、安心しました。さっきレニエラに、色々と買ってきたので見ますか? 新婚の妻にひとつも贈り物も出来ずに、本当に申し訳なかった」
私たち二人は先ほど使っていた応接室へ戻り、山とつまれた大量のプレゼントへと私は目に留めた。
高級店の包み紙や、よく聞くようなお店の名前ばかり。ジョサイアは本当に金額なんて気にせずに、お金を使うんだわ。
私はモーベット家の財産の額を知らないけど、彼の振る舞いを見ていれば、きっと天文学的な数字のはずよ。
「いいえ。私は事情も、何故かは良く知っておりますし、大丈夫ですわ。ジョサイアは結婚してからずっと、日中お店の空いている時間に、動くことは出来ませんでしたものね」
ジョサイアが自分と向き合わなかった仕返しだとばかりに、新婚の彼を多忙にさせていたオフィーリア様の現在の恋人は、一国を動かすことの出来る大富豪。本当に、すごいわ。
「正直、レニエラがオフィーリアに会いに行ってくれて……本当に助かりました。僕も与えられた役割での仕事であれば、文句を言わずこなさねばなりませんし……」
ジョサイアは私のおかげで、何度も繰り返し終わらない激務から解放されたと嬉しそうだ。
彼女に会いに行った理由は彼がまだオフィーリア様に気持ちが残っているのではないかと、そう思ったんだけど……そんな心配なんて、まるで不要だったみたい。
「オフィーリア様は、素敵な女性でしたわ。私もあんな風になりたいです」
自分がやりたいことをして輝いている人だし、世間からどんな非難を受けようとも、絶対に凹んだりしない人だと知っている。
「……レニエラが彼女になりたいと思うことは止めませんが、出来れば態度より言葉で言ってくれれば助かります。今までのように」
ジョサイアはオフィーリア様に何も言われずに、いきなり逃げ出されたことを言いたいのかもしれない。
何か言いたいことがあるのなら……言葉で伝えなければ、伝わらないと。
「もちろんです。あの私……ジョサイアのこと、好きなんです。結婚式前に言ったことを、取り消させてください」
愛して欲しいなどと望んでおりません、なんて……そんな訳はなかった。ただの強がりだ。
彼に愛されたいし、望まれるのならずっと傍に居たいと思った。
私が顔を熱くしてそういうと、ジョサイアは嬉しそうに頷いた。
「そう言って貰えると嬉しいです。僕らは一年後には、離婚しなくて済みそうですね」
そう言って、ジョサイアは私のことを抱きしめた。私も遠慮がちにだけど、彼の背中に手を伸ばして抱き返せば、耳元で掠れた声が聞こえた。
「良かった……本当に嬉しいです」
顔合わせをした当初からジョサイアは私になんて、もったいないくらいの人だと思っていた。だって、あまりに揃い過ぎていて、パッと話を聞けば胡散くさい話だと思ってしまうくらいだもの。
強がってしまうのも、仕方ないとは思う。ただの言い訳だけど。
また、いつ捨てられるか怯えるよりも、自分の方が先に諦めて仕舞えば……その方が楽だもの。
けど、ジョサイアは私が良いと思って求婚してくれたと知った。結婚式はひと月前だけど、やっと私たちは夫婦の道を歩み出したのだ。
ちょうどその時、扉を叩く音がして私たちは慌てて離れた。
「入ってきても良い……なんだ?」
「旦那様、城からの呼び出しです」
城からの呼び出しであれば、恐らく陛下だろう。一度帰ったはずの彼を呼び出すなんて、何かとんでもないことがあったのかもしれない。
空気の読める若い執事は邪魔をされたと思っている様子のジョサイアの不機嫌を感じ取ったのか、慌てて扉を閉めた。
「すみません。レニエラ。先に眠っていてください」
ジョサイアは事態を察したのか、ため息をついてそう言ったけど、私は微笑んで首を横に振った。
「いいえ。謝ることはありません。お仕事ですもの。仕方ないですわ」
「ええ。これから、僕らにはいくらでも時間はありますからね」
そう言ってジョサイアは自然に近づき、私に結婚式以来のキスをした。
◇◆◇
結局昨夜帰宅したジョサイアは、深夜遅くの帰宅だったみたいだけど、今朝は朝食も一緒に食べることが出来た。
なんでも、先方がこれで良いからと指定した提出するはずだった正式な書類に不備があったらしく、彼が責任者だったから帰らざるを得なかったらしい。
だから、オフィーリア様はジョサイアの担当であることを知りつつ、それを仕掛けたのなら本当にすごい女性だと思う。
オフィーリア様への贈り物は、昨日私が手持ち無沙汰になり、すぐに早馬に載せて送った。彼女が今滞在している港町シュラハトは、馬車で行っても三時間ほどで到着出来るし、単騎の馬が駆ければ、使いの者はすぐに帰ってくるだろうと思ったからだ。
けれど、オフィーリア様は私へのお礼の手紙をすぐに書いて今朝早馬で送り返してくれた。
私も驚いたけど彼女の手紙の中身を読めば、その理由は知れた。
彼女の恋人である大富豪の彼が、私が商品化して売り出そうとしている精油を気に入り、私が販路を必要としているなら協力しても良いと言ってくれたそうなのだ。
船団を持っている大富豪にそんなことを言って貰えるなんて……まるで、羽根でも生えて空でも飛んでしまいそうだった。
だって、商人としての彼のジャッジは、正確なはずだ。利にさとく売れる商品に鼻が利かなければならない。
でなければ、あれだけの大富豪になんて、なれるはずがない。
もし、彼に認められたのなら、成功は約束されたようなものだもの。
何種類かサンプルを用意していると書いていたら、出来たら少量でも良いからと持ってきて欲しいと言ってくれた。
私が農園にまで足を運べば、今は果汁を酒の原料として使うために大樽に入れて、出荷の準備で大忙しな様子だった。
「……忙しいみたいね。こちらのサンプルを持って帰るわ」
「レニエラ様! お相手出来ず、すみません。ここ一週間ほどのことですので」
私は謝るカルムに、首を横に振った。
「気にしなくて良いわ。私が勝手に来ただけだもの。私の事業が上手くいけば、カルムたちにも良い暮らしをさせてあげられるわ。上手くいくように、祈ってて!」
彼ら一家をドラジェ伯爵家から引き抜いたのは、この私だ。事業家になるのなら、誰かの一生を背負うことになる。
私は一度覚悟を決めたのだから、ジョサイアのように頼りになる夫の後ろ盾を得られたことを良いように考えて、前に進まなければ。
「僕は事業が成功すると良いとは思っています! 僕たちが良い暮らしも出来ることもそうですが、レニエラ様がご自身への自信を取り戻せれば良いと思います」
「……ありがとう」
そうだ。ショーンにあんな風に婚約破棄されてから、落ち込んでしまった私は自分に何度も何度も言い聞かせねばならなかった。
……私は一人でも、大丈夫って。
これからはジョサイアと夫婦として二人で歩いていくことになるけど、私だって一人で立つことが出来れば、よりしっかりとした足取りで歩むことが出来るはず。
カルムに手を振って、馬車に向かって歩こうとした時に、信じられない人を見かけて私は絶句した。
「ショーン……そこで、何をしているの?」
自分でも思ったよりも、心の中は平坦だった。
随分と懐かしい顔だった。
この私だって、そうだけど……彼は私と再会を懐かしみたいだけではなさそう。
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