世の中はたいていままならない

 当たり前だけれど、人の心は簡単には数値化できない。


 好感度79が80になった瞬間「好きっ!」とはなるとは思えない。

 一目惚れとかの例外を除けば、恋とは日頃から積み重なった親近感、居心地の良さ、親愛の情がある日身を結ぶもので、数字は目安に過ぎないはず。

 だから、好感度が80を超えたからといって即座に恋仲にならなくてもいい、とシルヴィアは考えていたのだけれど。


『あたしが男だったらなあ』


 これはさすがに一線を超えちゃったんじゃないだろうか。

 見ればクレールもどこかぼんやりしていて、自覚があるのかないのかわからない。

 それでも、美少女からの告白まがいに心はちょっとときめいて、


「止めなさい。万一、大人の耳に入ったら誤解されますわ」


 ぴしゃりと、公爵令嬢の声が二人に釘を刺した。

 我に返るとすぐ、隣でクレールが仏頂面をして、


「結婚がどうとか、エリザベートが言いだしたんじゃない」

「……否定して欲しかったのですわ」


 公爵令嬢の呟きは小さく、その場にいた四人以外にはおそらく届かなかった。

 ぴろんぴろん。

 なぜかエリザベート、イザベルの好感度が上がって。

 シルヴィアはこの二人もただちょっかいをかけにきたわけではないのだと悟った。

 今さらながら周りの視線を気にしつつ「話を戻してもいい?」と声をかけて。


「そうですわね。……わたくしも、こんな話をしに来たわけではありませんの」


 ダミアンからのプレゼントがそんなに気になっていたのか?


「賭けの件は話のついでです。用件はまた別」

「ふうん。で、その用件って?」


 尋ねるクレール。公爵令嬢はカトラリーから手を離して。

 びしっ! と指を突きつけたりしなかったのはさすがお嬢様。

 けれど。


「クレール・エルミート。わたくしと勝負なさい」


 続いて発せられた言葉はなかなかに刺激的で。

 はっきりとした対戦要求に、周りの生徒までもがざわつき。


「公爵令嬢がエルミート伯爵令嬢に宣戦布告……?」

「まさかエリザベート様までがシルヴィア・トーの争奪戦に名乗りを?」

「違いますわっ!?」


 違うのか。とりあえずそれを聞いてシルヴィアもほっとした。



    ◆    ◆    ◆



 話の続きは授業の後に持ち越しとなった。

 個人的な訓練は推奨されており、屋外訓練場はイベント等で埋まっていなければ自由に使える。

 複数人で集まるのも珍しいことではないので、広い訓練場の隅に集まってしまえば野次馬に見つかる心配もあまりない。

 四人のうちエリザベートとクレールは共に訓練着姿だ。

 騎士見習いである以上、公爵令嬢と言えども戦うのが当たり前。エリザベート・デュ・デュヴァリエも「カトラリーより重い物など持ったことがない」箱入りとは違う。その立ち姿はシルヴィアよりもよっぽど様になっている。


 たぶん、基本的な性能が違うんだろう。

 鶏が先か卵が先か。神から騎士に任じられた者には騎士を務められるだけの能力があるのだ。


「試合するのはぜんぜんいいけどさ」


 さて。

 対人稽古なんて慣れっこのクレールは自然な動作で模擬剣を構えて、


「剣、抜かないの? エリザベート」


 対する令嬢はどういうわけか模擬剣を鞘に収めたまま。

 薄い布のグローブを装着すると拳を握って構えてみせた。


「構いませんわ。手を抜いているわけではありませんので」


 邪魔にならない位置で観戦することになったシルヴィアは隣に立つイザベル・イスト男爵令嬢の耳に顔を近づけて、


「珍しいよね、徒手格闘術なんて」

「はい。あの、エリザベート様は最近格闘術に熱心なんです」


 見た目通りの性格らしい少女は恐る恐る、といった様子で答えてくれる。

 剣は儀礼用としても重宝するため、騎士学校ではどの生徒も剣の扱いを覚える。上級学校に行くまで徒手空拳や他の武器の扱いは軽く触れる程度なのだが。

 お嬢様の構えは思ったよりも堂に入っている。

 個人的に鍛えたのだろう。

 試合開始と同時の踏み込みも力強く、とてもご令嬢の嗜みとは思えなかった。

 彼女は臆することなく前進、剣を持つクレール相手に拳を振るい──。


「なにか、事情があるんですね」


 けれど、最近、めきめきと実力を伸ばしているクレールは公爵令嬢を一蹴した。

 拳と蹴りのラッシュを軽いステップでかわし、隙をついて剣先を突きつける。

 時間にして一分。慣れない格闘術に目が慣れてしまえばあっという間の出来事だった。

 エリザベートはため息と共に降参を宣言。


「参りましたわ。この力の差、やはり、模索する方向が間違っているようですわね」

「そうだね。剣を使ってる時のエリザベートのほうが強かったよ」


 イザベルと共に互いのパートナーへタオルを渡しながら、シルヴィアは令嬢のしたかったことをなんとなく察した。


「エリザベートさん。もしかして恩恵絡みですか?」


 令嬢は少し驚いた様子を見せてから「ええ」と頷き、そして微笑む。


「あなたが尋ねてくるということは、やはり、クレール・エルミートにはあなたが入れ知恵をしたのかしら?」


 これにはクレールがむむ、と眉をひそめた。



    ◇    ◇    ◇



 クレール・エルミートは神から与えられた『騎士の適性』に満足している。

 職業神託は五歳の時。

 さすがに細かいことはよくわからなかったけれど、儀式の後、玩具のような木剣を与えられて振り回すようになるとすぐそれにのめり込んだ。


 国のため、民のために戦って悪い奴をやっつける。


 わかりやすくてとてもいい。

 剣の腕だって強いほうだと思う。七歳で入学した頃は男子とだって対等に張り合えた。女の子だって戦えるんだっていう想いは自信になって今でも助けてくれている。

 騎士にならない自分なんて想像もつかない。

 ドレスを着て礼儀作法を学びなさい、なんて言われたら「絶対嫌!」と実家を飛び出してしまうかもしれない。

 たぶん、普通の貴族令嬢とも気は合わない。


 けれど、寮で同室になった少女──シルヴィア・トーはクレールとはまるで違う子だった。

 平民出身とは思えない綺麗な銀髪と、青い目を持った子。

 出会った時はその銀髪も汚れて艶を失っていたけれど、大浴場で髪と身体を毎日洗えるようになってからは見違えるほど綺麗になった。

 貴族令嬢と間違えそうなくらい色白で、伯爵令嬢のクレールよりも力がない。

 戦略家適性の彼女はとても頭が良くて、剣が苦手で、争いごとも好きじゃない。騎士学校では浮いていて友達も少ない。

 当然気は合わない、はずだったのに、気づくと仲良くなっていた。


 シルヴィアは不思議な子だ。

 シルヴィアは優しい子だ。


 出会った時から自分のことは自分でできて、慣れない寮生活を助けてくれた。

 下手なお嬢様よりよっぽど気配りができて落ち着いているのに、クレールがだらしない態度を取っても嫌味ひとつ言わなかった。

 仲良くなってからは小言を言ってくるようになったけど、その時にはもう、距離の近さを「嬉しい」と感じるようになっていた。


(友達。ううん、あたしの親友)


 四年目になる長い付き合い。今では家族の次に慣れ親しんだ相手になっている。

 いつからだろう。

 気づいたら「この子と離れたくない」と思うようになっていた。

 実の姉妹のように。いや、それ以上にシルヴィアが大切になっていた。


『誰にも言わないでね?』

『わたしの騎士様がきっと勝ちます』


 秘密を共有して、互いに信頼しあった。

 彼女と出会ったのはきっと運命だったのだ。

 だから。


「エリザベート。シルヴィアにつき纏うのやめてくれない?」



    ◇    ◇    ◇



 一日の授業が終わった後の教室にて。

 悠然と寄ってきたかと思ったら「シルヴィア、帰りましょう?」とのたまう同級生をクレールは睨んだ。

 あいにく当人には効果がなかったものの、代わりに後から令嬢を追いかけてきたイザベル・イスト男爵令嬢が「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。

 シルヴィアは怖がってしまったイザベルを見て申し訳なさそうに苦笑して。


「いじめちゃだめだよ、クレール」

「イザベルが臆病すぎるんだよ」


 不満に思いつつも表情を和らげれば、ふん、と胸が張られた。


「別にシルヴィアはあなたのものではないでしょう?」

「シルヴィアはあたしのだもん」


 小柄で柔らかな身体を抱き寄せれば、どこかから「子供の喧嘩か」と呟きが聞こえる。

 気にしない。実際、まだ子供なわけだし。


「なんでシルヴィアにこだわるのさ」

「決まっています。その子が気になるからですわ」


 クレール、そしてエリザベート当人が言う通り、あれ以来、公爵令嬢はなにかにつけてシルヴィアに声をかけてくるようになった。


 朝晩の食堂で。

 授業の合間や終わりに。

 時には暇な時間に寮の部屋まで尋ねてくることも。


 それはまあ、以前から「うるさい!」と怒鳴りこまれたりはしていたのだけれど。

 偉そうで面倒臭いエリザベートと、親分の陰に隠れておどおどしているイザベルの二人は正直、話しづらいから苦手だった。

 シルヴィアも(波長が合うらしいイザベルはともかく)エリザベートのことはどちらかと言うと避けている。

 なのに、ここしばらくは「シルヴィア」「シルヴィア」「シルヴィア?」。

 普通に声をかけられる分には親友としても悪い気はしないのか普通に応じたりするのだけれど、その度にクレールの胸には原因不明の痛みが走る。


「迷惑なんだけど? 用がないなら話しかけないで」

「あの、クレール? ちょっと言い過ぎじゃない? エリザベートさんにも悪気はないんだし」

「シルヴィアは黙ってて」


 親友に硬い声を出すのは本意ではないけれど、こういう奴に甘い態度を取るのは逆効果だ。

 公爵令嬢だろうがなんだろうが学校内では対等なんだし、譲る気はない。

 毅然と立ちはだかれば、返ってきたのは意外なことに真摯な声で。


「用ならあります。……あなたたちがはぐらかすから拗れているのでしょう?」


 正論で返されると言葉に詰まってしまう。


「どうして、そこまで」


 分が悪いのを承知で尋ねれば、エリザベートはどこか痛みを含んだ笑顔で、


「お分かりになりませんか? この国において、いいえ、人間という種族において女が強くあるには拠り所が必要だからです」


 告げられた事実は、貴族令嬢としては例外的なまでに奔放で能天気なクレールであってもさすがに理解している、痛感せずにはいられない事実だった。






 貴族でも平民でも、女は男より立場が低い。

 理由はいくつかある。

 身体能力が男より低いこと。妊娠・出産のせいで活動が制限されること。そして、多くの女がまともな職業を持っていないこと。

 五歳で受ける職業神託において、多くの女は「大工の妻」「伯爵夫人」といった適性を与えられる。これは神から「結婚して子供を産め」と命じられたに等しい。

 言い換えれば「何もせず家事と育児だけやっていろ」という意味だ。

 社会を構成する要素として数えられない大半の女によって、女という性自体が「男を助けるのが仕事」と見做されている。


 騎士は比較的男女格差の少ない職業だけれど、それでも白い目で見られることは多い。


「良かったの、エリザベート? 教室であんなこと言っちゃって」


 お嬢様を放っておけなくなったクレールはエリザベートとイザベルを部屋に招いた。

 四人もいると少し手狭に感じるものの、公爵令嬢は特に文句を言うこともなくシルヴィアの淹れた紅茶を口にした。

 騎士学校の寮では基本的に使用人の運用は禁止されている。

 クレールもお茶の淹れ方くらい覚えているけれど、何度やっても良い味が出ない。こういうのはシルヴィアの圧勝だ。


「別に構いませんわ。あの程度でしたら女性騎士見習いの虚勢の範疇です」

「虚勢、かあ。公爵令嬢でも苦労するんだ」


 しみじみと呟けば「当然でしょう?」とため息交じりに返答された。


 実力がものを言う騎士の世界において女性騎士は男性以上に強くあらねば生きていけない。

 実技最下位のシルヴィアが他の生徒から舐められているように、逆に剣術大会で好成績を残したクレールが令嬢から羨まれているように、腕っぷしさえあればある程度一目置かれることができる。

 それが無理ならせめて気持ちで負けてはいけない。


「公爵家出身の女騎士など使いづらくて仕方ありません。わたくしの行く道は茨に覆われていることでしょう」

「まだ十歳なのにいろいろ考えてるんだ」

「あなたが考えなさすぎなのですわ。ねえ、シルヴィア?」

「わ、わたしに振らないでくれない!?」


 慌てたシルヴィアは「でも、そうだよね」と肩を落として。


「わたしたちは好きな相手と結婚することもできないんだ」


 これは「女」に共通する悩みだ。

 そういう意味で、いくら性格的に合わなくとも通じ合える部分はある。

 騎士学校に通う女は少ないから猶更。


「あー、もう! 結婚なんて今から考えたくもないよ!」

「嫌なら実力を示すことですわ。そうすれば──」

「結婚しなくてすむの?」

「少なくとも若いうちは働かせてくれるのではないかしら?」


 ティーカップを置いたエリザベートはふん、と鼻を鳴らした。


「そっか。だからエリザベートは強くなりたいんだ」

「そうですわね。……もちろん、単純に負けっぱなしが悔しいというのもありますけれど」

「意地っ張り」

「あなたに言われたくありませんわ!」


 通じ合える部分があってもやっぱり性格的には合わない。

 ともあれ、話はわかった。

 シルヴィアにつき纏っていたのもそこに繋がるわけだ。


「あんたの急成長、恩恵の力なのでしょう? そして、何かしているとすれば単純馬鹿のクレールよりシルヴィアではなくて?」

「根拠としてはちょっと弱いと思いますけど……」

「十分ですわ。あなたはどこか普通とは違うところがありますもの」


 うん、親友には悪いけれどそれについては同感だった。


「恩恵の力でなくとも構いません。シルヴィアの入れ知恵で訓練方法を変えたとか、何か理由があるのなら教えてくださいませ」


 困った。クレールは「そう言われてもなあ……」と背もたれに身を預ける。

 推測が合っているのが困る。とはいえこの秘密は勝手に言うわけにもいかない。

 ちらりとシルヴィアのほうを窺えば、公爵令嬢がぎらりと目を輝かせ、


「やっぱり、シルヴィアになにかあるようですわね」

「え、なんで急に」

「クレール……。そんな『どうしよっか?』みたいに目配せされたらあからさまに怪しいよ?」

「申し訳ありません、エルミート伯爵令嬢。こうなったエリザベート様は誰にも止められないかと」

「ええー……?」


 やってしまった。

 それはまあ、エリザベートには同情する。女同士一緒に頑張っていけたらいいと思うけれど、だからってシルヴィアの秘密を教えたくはない。

 バラしたら二人きりの秘密じゃなくなってしまう。

 けれど、シルヴィアは「しょうがないなあ」とばかりにため息をついて真剣な表情に。


「エリザベートさん。……いいえ、デュヴァリエ公爵令嬢。そしてイスト男爵令嬢。これから話すことは内密にお願いします。家の人間にも、国王陛下にも言わないでください」

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