第4話 枯れた英雄②

「ったく!ひどい目にあったぜ……!」


 警備員に連行された後、今日はもう退館するように命じられたカズオは吹きすさぶ冷たい風にコートの襟を立て抗いながら、大きな足音を立てる。


 着いたのはN国の中でも最新鋭の技術と最上の名医を集めた大病院。カズオは躊躇いなく通用口から入って行った。


「あら?カズオさん、今日は早いんですねぇ」


 若い受付嬢がカズオの来訪に気付き、慌ててカードキーを棚から取り出す。


「まぁな。今、大丈夫か?」


「大丈夫ですよ~。さっきお食事が終わったところなので、もしかしたらお昼寝されてるかもですが……」


 カズオは病室のキーを受け取ると、奥のエレベーターへと向かう。大きな箱は屋上一歩手前の十八階で止まり、小さな電子音と共に扉が開いた。


 そこは政治家や経済界の大物のような特別な患者しか入院できない階層であり、待合室で談笑したり廊下を歩く見舞客もどこか気品のある空気を漂わせている。


 そんな中、カズオはトレンチコートのポケットに手を突っ込みながらずかずかと革靴を鳴らし、忌避の視線を浴びながらとある病室の前へと辿り着いた。


 部屋番号は『001』。掛けられた名札には『カドマツ・ゴウ』と記されている。カズオはカードキーを扉のセキュリティシステムに翳し、扉を開いた。


「よぅ。入るぜ」


 狭く、そしてこじんまりとした部屋であった。白い部屋にあるのは多機能医療ベッドが一つ。物置用の台が一つ。そして、台の上では時代遅れのラジカセが聞いたことの無い演歌を小さな砂嵐と共に部屋に流していた。


 そして、ベッドの上には口元の巨大なほくろがチャーミングな一人の老人が濁った緑色の瞳を浮かべ、虚空を眺めながら仰向けに寝ていた。


 鼻には透明のチューブが詰められ、腕と腰には点滴が繋がれている。まるで修理中の機械のような様相の禿げ頭の患者は、カズオの来訪に仄かに頬を緩ませた。しわくちゃな笑みを前に、カズオも似たような笑みを返す。


 交わす言葉は無い。カズオは黙って窓際に立つ。一枚張りの強化ガラスから見える景色は成程、高層ゆえの絶景ではあるが、寝たきりの患者には縁の無い景色であった。


 安っぽい下手糞な演歌が流れる小さな病室で、二人は顔を合わせる事も無く黙っていた。


「じゃ、俺はそろそろ行くわ。また来るぜ」


 数分程経ったところでカズオが二本指を立て『またな』のハンドサインを送る。その際、それまで一切口を開こうとしなかった患者がもごもごと口を動かし始めた。


「ひひは。ひんるひのひひはまらか……」


「入れ歯入れて喋れよ」


 にっこりと、歯の無い口を見せ笑う患者に対し、カズオは眉を垂らし苦笑を漏らした。


「まだだよ。は、まだ来てない。だから、もう少しそこで待っててくれや」


「……」


 その言葉に何か反応を示すわけでもなく、年老いた患者は黙って瞼を閉じ、眠りに着いた。


「……じゃあな、。また来るぜ」


 カズオは壁に掛けられたを一瞥すると、名残を惜しむことなく退出した。


「あら?今日はもうよろしいんです?」


「あぁ、良いんだ。たくさん話はできたしな」


 受付の若い女の子に愛想の良く手を振り、カズオは病棟を後にする。外に出たところで、カズオは振り返り、つい先ほどまで居た病室へ視線を送る。


(……人類の危機、か……。残念だが……)


 つい心の中で漏らしそうになった弱気を押し殺し、カズオはコートの襟を立て歩き出した。身体は寒くない。しかし、彼の空っぽになった心には冷たく寂しい風が吹き荒れる。


 ――ゴウ・カドマツ。


 彼は初代SGPの隊長にして、ライゴウを開発した博士である。破天荒という言葉を体現したかのような人物で、乱暴で荒々しく大雑把な性分であったが指揮者としての腕も天才的であり、時にはクールに、時には熱く部下達をまとめ上げ、数多くの絶体絶命の死地を乗り越えてきた猛将である。


 ……そう。唯一無二の猛将


 あれから半世紀。今年で九十歳を迎える老人に、当時の気迫は欠片も窺えない。今はただ栄養剤と薬剤のチューブに繋がれ生き長らえさせられているだけの肉塊である。


 彼が居なければ人類は滅びていたと言っても過言ではない。だが、時は、時代は、残酷にも彼を置き去りにしていった。それはカズオも、ゲンゾウも同じ事。


「……」


 ゲンゾウが見舞いに行きたくないという気持ちをカズオは理解していた。どうしても、比べてしまうのだ。


 あの頃の、クソッタレで最低で、しかし最高に頼りがいのあったボスの姿を。あの頃の、辛く、地獄のような、しかし生気に満ち溢れていた青春の日々を。比べてしまうのだ。今の現実と。


「……おっ」


 ふと、上空を飛来する影。見上げれば、美しい白の塊が青い空を泳いでいた。第八世代型バベルの最新鋭機、『ベルフェゴール』である。


 パトロールなのか、タブー襲来による出動なのかは不明であったが、カズオには何の興味も無かった。


 今日もまた、静かで退屈な日々が過ぎて行く。ただ時間を浪費するだけの、無為で無駄な時間が流れて行く。


 カズオは振り込まれた僅かな軍人年金を下ろし、コンビニで酒とつまみを買い、アパートへと帰るのであった……。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る