俺と妹とモーニングスター

てるま@五分で読書発売中

 この世で起こる全ての事象には、それが起きた理由がある──と、俺は漠然と思っている。


 例えば、なぜ宇宙が生まれたのか、なぜ善悪の区別ができたのか、なぜ生命は死を迎えるのか、なぜ酢豚にパイナップルが入っているのか──。

 そういう全ての事象にはきっと何かしらの明確な理由があって、いずれはその全てを解き明かす事が人類の存在理由なのかもしれない。そして俺自身も、日常で起こる様々な事象に対して好奇心を忘れずに、その理由と意味を探究していきたいと思っている。


 しかし、今俺はどうしてもその理由を解明できそうにない出来事に遭遇している。それはどのような出来事かと言うと──。


 ☆☆☆


 ある平日の朝、平凡な借家の平凡なダイニングテーブルに、平凡な高校二年生の俺──秋山翔太は座っていた。


 目の前には牛乳のコップと目玉焼きにウィンナーが乗った皿とトーストされた食パンが置かれており、俺はそんなありふれたメニューをいつも通りにモグモグと胃袋に流し込んでゆく。

 一緒に食卓を囲んでいるのはサラリーマンの親父とパートをしている母さん。そして中学二年生の妹──春香だ。

 この家に住むのはこれで全員。平凡な家族構成である。


 平凡な朝の一時が静かに過ぎてゆく。

 すると突然、トーストを口に運んでいた親父がピタリと動きを止めて、それに気付いた俺達も朝食を口に運ぶ手を止めた。

「なぁ、母さん……」

 親父は真剣な表情で母さんの顔を見て、言った。

「この食パン美味いな」

 それを聞いた母さんはパァッと明るい笑顔を浮かべ、「でしょー!? これね、新しくできた専門店で買ったやつなのよ」と、語りだす。すると春香も、「あー、どうりでいつもよりフワフワしてると思ったー。これからもこのパンにしてよー」と、食パンを頰張りながら笑顔を見せる。


 平凡な家族の平凡な食卓での平凡な会話。これはもう平凡ハラスメントだ。ただ、この空間に平凡ではないものがあるとするならば、それは──。


「ねぇお兄ちゃん、このパン美味しいよね?」

「あぁ、うん……」

 俺は返事をしつつ、春香の足元に置かれた通学用リュックに目を向ける。するとそこには、棘付き鉄球が短い鎖で棒に繋がれている物体──モーニングスターが刺さっていた。

 そう、俺が今直面している理由を解明できない出来事──。

 それは妹の春香がいつもモーニングスターを持ち歩いているという事だ。


 ファンタジー系のゲームをする人には馴染みがあるかもしれないが、モーニングスターとは中世ヨーロッパで使われていた、棒と鎖の遠心力で鉄球を振り下ろして敵の鎧を砕くための鈍器である。

 問題はなぜ春香がそんなものを持ち歩いているのかという事だ。女子中学生が『ねぇねぇ、放課後に鎧騎士狩りに行かない?』なんてシチュエーションがあるはずもない。


 春香がモーニングスターを持ち歩き始めたのは、いつ頃からだっただろうか……。小学生からだったような気もするし、なんならもっと前からだったような気もするが、ハッキリとした時期は覚えていない。

 とにかく春香は以前から、まるでスマホやお気に入りのアクセサリーのようにモーニングスターを持ち歩いており、風呂に入る時も脱衣所に持ち込み、寝る時も肌身離さず枕元に置いているのだ。


 因みに春香は武器マニアでもヤンキーでもなく、ケンカの武器として持ち歩いているわけでも無いようだ。むしろヤンキーとは真逆の真面目で大人しく明るい品行方正な中学生である。


 そんな春香がモーニングスターを持ち歩いている事も十分奇妙で不思議な事なのだが、更におかしいのはそれについて誰も疑問を抱かないし、何も言わない事だ。父さんも母さんも学校の先生も友達も、春香がモーニングスターを持ち歩いている事についてなんっっっにも言わないのだ。

 別にモーニングスターが見えてないとかそういうわけではないらしくて、「春香、掃除の邪魔だからモーニングスターどけて」とか、「おい、トイレにモーニングスター忘れてたぞ」とか、そんなやりとりを見る事もある。わけがわからない……。


 もちろん俺も疑問を抱いているからには、春香になぜモーニングスターを持ち歩いているのか聞いてみた事もある。すると春香は「ほぇ?」とアホなプレーリードッグみたいな顔をして、「似合わないかな?」などと言いながら、いつもはぐらかされてしまうのだ。

 これはもう俺がおかしいのだろうか?

 でもセーラー服を着て歩いているおっさんや肩に猫を乗せて散歩している女の人は見た事があるが、そういう人達は周りから奇異の目で見られていたし、ブロードソードやメイスを持ち歩いている女子中学生なんて見た事がない。

 やっぱり日常的に武器を持ち歩くのはおかしい事のはずだ。

 俺は家族の会話を聞きながら、試しにポツリと呟いてみる。


「お、俺もなんか持ち歩いてみようかな……。なんかこう、鎖鎌とか」

 するとそれまで談笑していた食卓が静まり返り、三人がこちらを見た。

「どうした? いじめられてるのか? 男なら相手が何人でも喧嘩は素手でやらなきゃいかんぞ!」

「何か悩みでもあるの? お母さん聞いてあげようか?」

「お兄ちゃん大丈夫? 鎖鎌なんて危ないよ」

 なんなんだこの家族は!? なんでモーニングスターはOKで、鎖鎌はダメなんだ!?

 俺は勢いに任せて両親に疑問を投げる。


「なんで春香がモーニングスターを持ち歩く事に何も言わないんだよ!? おかしいだろ? 女子中学生がモーニングスター持ち歩いてるなんて!」

 すると親父と母さんはキョトンとした表情を浮かべて──。


「そういえばお前も小さい頃にいつもロボットの人形持ち歩いてたなぁ。なぁ母さん」

「……翔太、女の子の持ち物にあんまりとやかく言わない方がいいわよ。そういうの結構気にするんだから」

 なんか俺が悪い事をしたようなリアクションをされてしまった。

 そんな俺に向かって、春香は俺の前に置かれた皿を見ながら言った。

「ねぇお兄ちゃん、いつも思うけど目玉焼きにケチャップって変だよ」

 こうして、俺はモヤモヤを抱えたまま学校へと向かうのであった──。


 ☆☆☆


 昼休み──。

 ジュースのストローを口に咥えた俺は、教室のベランダから渡り廊下を歩く女子達を眺めていた。そして隣にいる悪友の山本に尋ねる。

「なぁ、モーニングスターを持ち歩く女ってどう思う?」

「……恋か?」

 山本はいい奴だが、会話の内容の八割が女の子の事かエロい事である色ボケ野郎なのだ。


「そういうんじゃなくて、妹の話だよ。お前もこの前家に来た時会っただろ?」

「あー、結構可愛いよな。でも中二だろ? 俺はどっちかというと歳上の──」

 だからそういう話じゃないんだよなぁ……。

 俺はかくかくしかじかと、春香がモーニングスターをいつも持ち歩いている事について話した。すると山本はしばらく考えて──。


「よし、じゃああれを見てみろ」

 そう言って山本が指したのは、教室内で男子達にチヤホヤされながら弁当を食べている小柄で可愛らしい女子の片岡さんだった。

「お前は片岡がなんで今時ツインテールにしてるかわかるか?」

「それは……。男ウケがいいからじゃないか?」

 片岡さんのツインテールは元気で可愛らしい印象を与えるチャームポイントであり、それが男子達を惹きつける理由の一つである事は確かだろう。

 しかし、山本はチッチッチと舌を鳴らして、指を振る。


「確かにあのツインテールは男ウケはいい。でも他の女子達からはぶりっ子っぽいって陰口言われてるし、片岡もその事を知ってる」

 片岡さんが女子達からやっかまれて孤立している事は俺も知っていたが、ツインテールの悪口まで言われているとは知らなかった。

「別にツインテールじゃなくても全然モテそうだけどな」

「そう、それなのに片岡は頑なにツインテールを貫いている。それはなぜだと思う?」

 確かに、どうせモテるなら女子達からやいやい言われるツインテールにしている必要はないだろう。それならなぜ片岡さんはツインテールにこだわるのだろうか……。


「それはな、それがあいつのポリシーだからだ」

「ポリシー?」

「そう、片岡はあのツインテールに誇りを持っているんだ。だからそれについて陰口を叩かれても絶対に変えない。片岡の頭から垂れる髪束は、世間の風潮に抗い己を貫くための二本の太刀なのさ」

 山本の言っている事は単なる偏見であり妄想ではあるが、不思議と説得力を感じた。

「因みに男子嫌いで有名なバレー部の霧島がうなじの見えるポニーテールにしてるのは、実はちょっとエッチな内面があるからだと思っている」

「それは知らんけど……。とにかく、春香がモーニングスターを持ち歩いているのは、春香なりのポリシーがあるからだって言いたいんだな?」

 山本は深く頷き、俺はなんとなく納得した。そして山本は少し離れた場所から霧島さんがゴミを見るような目でこちらを見ている事に気付いていなかった。


 ☆☆☆


 そうか、ポリシーか。

 でも本当にそれだけなのだろうか……。

 そんな事を考えながら、俺は家へと向かって帰っていた。

 すると、いつも通る銀行の前に人だかりができており、パトカーが一台止まっているのが見えた。


「さっさと逃走用の車を用意しやがれ! じゃないとこのガキぶっ殺すぞ!」

 銀行の入り口では拳銃を手にした覆面の男が騒いでいる。

 そしてその腕の中では小さな男の子が泣きながらもがいていた。ザ・銀行強盗だ。

 まさかこんな近所で銀行強盗があるとは驚きだ。

 野次馬達に混じって様子を見ていると、肩を叩いてきたのは学校帰りの春香であった。


「お兄ちゃん、何かあったの?」

「銀行強盗だってよ。ほら、見てみな」

 春香は背伸びして銀行の様子を伺う。

 そして人質に取られている男の子を見て焦りの表情を浮かべた。

「大変! なんであんな小さな子が……」

「まぁ、人質だからな」

 俺が他人事のように呟くと春香はしばらく狼狽えていたが、やがて覚悟を決めた顔で呟いた。


「人質って……女の子でもいいよね?」

「ん?」

 すると春香は俺が引き止める暇もなく、小さな体で人混みを掻き分けてズンズンと前に進んで行く。

「ちょっと待て春香! 何する気だ!?」

 人混みの向こうでは、数人の警官達が強盗から距離を取って警戒していた。


「強盗に告ぐ! 今すぐそんな事はやめなさい! 故郷のお袋さんが泣いてるぞ!」

 警官がお決まりのセリフを吐くと、銀行の中からもう一人強盗が顔を出し、「泣いてないよ!」と言って引っ込んだ。どうやら親子での強盗だったようだ。

「クソッタレ!」

 そう言って苦虫を噛み潰す警官の横に立った春香は──。


「強盗さん! 私が人質になりますから、その子を放してあげて下さい!」

 そんな事を言い出して、俺は絶句した。

「なんだてめぇは!?」

「わ、私はただの中学生です! 見て下さい、その子泣いてるじゃないですか……」

 強盗の腕の中では、相変わらず男の子が泣きながらもがいている。


「どうせ人質にするならおとなしい方がよくありませんか? 私は暴れたりしませんから、どうかお願いします!」

 それは、純粋に男の子の身を案じる春香の慈愛の精神から出た行動だったのだろう。強盗は少し考える素振りを見せると、春香に向かって手招きをする。春香は頷いて、ゆっくりと強盗に向かって歩き出した。すると──。

「……ちょっと待て! 何か武器なんか隠し持ってねぇだろうな!?」

「安心して下さい。私は何も持っていません」

 そう言って両手を上げる春香。


「よし、そのままこっちに来い……」

 ちょっと待て! バカかお前は!? 

 春香が背中に背負うリュックで棘付き鉄球がぶらんぶらんしてるのが見えねぇのか!?

 俺は心中で激しくツッコミを入れたが人質交換はすんなり成功して、男の子は無事解放される。

 色々な意味で気が気ではなかったが、俺はただその様子を大人しく見ている事しかできなかった。

「よーし……。オラァ! 車はまだかぁ!?」

 代わりに人質となった春香を腕の中に抱えた強盗はそう叫ぶと、舌舐めずりをする。


「へへへ、それにしてもガキとはいえ、ちゃんと女の匂いがするじゃねぇか」

 そしておもむろに春香の胸に触れたその時だ──。

「きゃあっ!?」

 驚いた春香が反射的に素早く身を捩った。その瞬間、リュックに刺さっていたモーニングスターの鉄球が大きくスイングし、強盗の顔面を直撃する。


「ぶっ!?」

 強盗はよろめき、拳銃を取り落とす。そしてその瞬間、近くの生垣から特殊部隊っぽい人達が飛び出してきて素早く強盗を取り押さえた。

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