ふたりの異世界発電プロジェクト

楠樹 暖

第1話 二人の温度差

 棺の中の典子の肌を触っても私の体温を奪うばかりで元の暖かさには戻らなかった。


 私と典子は大学の同じゼミだった。応用物理科のなかで一、二を争う成績の私達だったが、実際は典子が一で、ずっと間が開いて私が二に固定されていた。それでも学年のワンツーが揃って同じゼミに入ったことで学内でも話題になった。

 典子の話は難しく文章にして書いてもらえば時間をかけて理解ができるが、リアルタイムで反応を返すことができるのはゼミの永尾教授か私くらいしかいなかった。そのため、典子は他のゼミのみんなと話をすることはなく、主に私としか話をしなかった。

「つまりどういうこと?」

 ゼミの発表会で典子が説明をし終えたときのゼミ生の第一声だ。問いかけは発表者である典子に対してするべきだが、目は私の方を見ていた。典子から説明では理解できないので私に助け舟を出してもらいたいのだ。仕方なく私が典子に代わって他のゼミ生のレベルに合わせて内容を咀嚼して解説した。

「やっぱり靖枝の説明は分かりやすいなぁー」

 私は典子のような独創性のある発想は苦手だが既にある理論を理解するのは早く、それを自分なりに消化して他人に説明するのは得意だ。そのためゼミの中では典子の通訳として活躍をしていた。ゼミ生の中では私だけが典子の言葉を聞き、私だけが典子を理解していた。

 典子はファッションには興味がなく、乾かす時間が惜しいという理由で短く切られた髪の毛と化粧をしない顔とでぱっと見かわいい少年に見えてしまう。少女だと分かるのはプリーツの入ったスカートを穿いているからで、実はこれは「まだ穿けるから」という理由で高校時代の制服のスカートをそのまま穿いているだけなのであった。

 勉強以外の生活はズボラかと思われがちだが身なりはキチンとしていて清潔で、朝イチの典子にはいつも石鹸の残り香があった。

 高校時代の典子はやはり友達と呼べる存在はいなかったらしく、休み時間は常に一人で本を読んでいたそうだ。それは典子にとって辛いものではなく、自由に思索が巡らせる心地よい時間だったのだという。

 別に典子は人と話すのが苦手というわけではなかった。同レベルの人がいなくて、相手に話を合わせるのが苦手なだけだったのだ。そんな人達の中でも私は許容できる範囲だったらしい。


 ある日のことだ。

「マシンが立ち上がらない!」

論文をまとめていた先輩がノートパソコンを前に慌てふためいていた。

「どうしよう……。バックアップはとってないよ」

「だからこまめに保存しなさいと」

 教授が先輩に指導をする。

「保存はしてたんです。このマシンに」

「データはサーバーの方にあるから被害は論文だけですか」

「指摘箇所を修正してもうほとんど完成だったのに」

 典子は我関せずという感じで自分の作業に徹している。

「もう一回同じのを書こうとしたら一週間かかっちゃうよ」

「それだと提出期限に間に合いませんね。どうします、今年は諦めてまた来年にしますか?」

「ギリギリまで頑張ります」

「先輩の論文は私も読んでるんで手伝います」

 見かねた私も手伝うことにした。

「靖枝の時間を使ってまでやることないのに」

 それまで無関心だった典子が口を出してきた。

「一週間もかけるなんて無駄です。半日待ってくれたら論文を復旧させます」

 意外にも典子が手伝いを申し出た。

「できるの? ぜひお願いするよ」

「では、先輩はデータの方を準備しておいてください」

 そう言うと典子は自分の席に着いてカタカタとキーボートを打ち始めた。まるで目の前に置かれた原稿をそのまま書き写しているかのように考える間もなく手が動いている。

「すごい典子! 何でそんなに速く書けるの?」

「論文には目を通していたからね。見なくても頭の中のものを書き写すだけさ」

 話しながらも手の速度は落ちない。

 先輩の論文は三時間ほどで復旧した。

「ありがとう! あとはデータから図を起こして入れるだけだ。これなら一日あれば元通りだ」

「ひょっとして典子って一度見たものって鮮明に覚えているの?」

「そうだよ。他の人は違うの?」

「普通の人はすぐ忘れちゃうものよ」

「じゃあさ、私のこのノートパソコンの管理番号って分かる?」

 ノートパソコンの天板に貼られたシールを手で隠した。このシールはこの学校の備品ですよということを示すシールである。このゼミに入ったときに一人一台渡されてその時に自分のマシンの管理番号を読み上げている。

 典子は管理番号を難なく言えた。

「ひょっとして、ノートパソコンのMACアドレスも言えたりする?」

 MACアドレスというのはパソコン一台一台に振られた異なる番号のことである。二桁の十六進数が六つ並んでいる。ノートパソコンを無線LANで繋げるときに許可するマシンとしてMACアドレスを登録していたのだ。もちろん私は覚えていない。

 典子は難なくそらんじた。それだけでなく私のノートパソコンのMACアドレスも言うことができた。今言ったとはいえ自分のMACアドレスと合っているかどうかは分からないので、画面にMACアドレスを表示させて典子にそらんじてもらった。確かに合っている。

 典子の天才たる所以の一端を思い知った。


 三年生の冬休み前の最終日、ゼミのみんなで忘年会に行くことになった。典子は「私は興味ないから」と一人研究室に残って研究を続けていた。典子はゼミの飲み会にはいつも不参加だ。ゼミに入った時の最初の一回は出席したが、以降は時間の無駄だということを悟り、誘いを断り続けている。ゼミのみんなも典子とは話が合わないので無理には誘わない。典子の頭のよさはみんなが認めていることであり、天才とはそういうものだと自分たちとは違う存在ということで一線を引いて私生活では関わらないようにしているのだろう。もちろん、典子の方も自分と他のゼミ生の間に一線を引いて関わらないようにしているように見える。

 忘年会がお開きになり研究室に置いていた荷物を取りにいった。十二月の寒空の下、吐く息は白く、手袋をしていないと手がかじかんでしまっていただろう。研究室の窓からは明かりが漏れている。典子はまだ研究を続けていた。

「寒い! 暖房つければいいのに」

「研究に集中してたから気がつかなかった」

 私は典子の右手を取り、左右の手のひらで挟み込んだ。

「ほら、こんなに冷たくなって」

 私の体温が典子の白い手の中へと染み込んでいった。

「暖かい……」

「でしょ」

 典子自身の手も暖かさを取り戻した。

 その瞬間、典子が何かをハッと閃いた。

「この温度の移動をエネルギーの移動と考えると……」

 典子の頭がフル回転を始めたようだ。私の方を見ているようでも目は別の世界の何かを見ているようだ。

「エネルギー密度の高い世界と低い世界を接触させれば、位相の違いから低い方へエネルギーが流れる。そのエネルギーが発電に使えそうだ。この世界よりも過去の世界、よりビッグバンに近い世界とこの世界を接触させれば……」

「mc二乗を時間の差分で積分したエネルギーが生まれるわね」

「そう! 原子力よりも巨大なエネルギーを得られる!」

「凄い!」

「ありがとう靖枝。靖枝はいつも私に新しい風を運んでくれる!」

 こうして時空位相差発電の基礎理論を思いついた典子は私と二人の連名で論文を書き、応用物理学会で認められることになった。連名と言っても私がしたのは典子の手を握ったことと、走り書きした典子の理論を精査し論文の体にまとめただけなのだけど。

 卒業論文のテーマも時空位相差発電にした。他のゼミ生にも時空位相差発電に関係するテーマで卒論を書くことを薦めたが、その基礎理論を理解できたのが永尾教授と私だけだった。そのため卒論に時空位相差発電を選んだのは典子と私の二人だけだった。

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