第2話

 頬に風が当たるのを感じた。まるで撫でるかのような、優しい風だ。目を開けると光があふれてくる。目を馴らし、周囲を見渡すと。ここが、高い木々に囲まれた森の中であることが分かった。


 とおるの体は、森の中で眠るように仰向けになっていた。着ている服が、いつの間にかグレーのスーツではなく、ベージュの布製の服になっている。


「ん…… ここが、異世界なの……?」


 すぐ側で、若い女性の声がした。徹は、慌てて声がする方を見る。そこには、今の徹と同じようなベージュの布製の服を着た女性が横になっていた。


「君は?」「あなたは?」


 お互いに気づいたのは同時だった。徹と女性は、上半身を起こして見つめあう。しばらく無言の時間が流れたが、先に女性の方が口を開く。


「あなたも死んでしまったの? そして、この世界に転生した……」


 その口ぶりからすると、彼女も同じ境遇なのだろうか。徹は答える。


「ああ。俺は、トラックに轢かれて。死んだんだけど…… 女神のような人に会って、異世界に転生すると言われたんだ。それで、気づいたらここにいた」


「そう。あなたもなのね。私も同じ。死んだはずなのに、こうして今ここにいる。その女神のような人にも会ったわ」


 女性は立ち上がった。茶色いロングの髪。堀の深い顔立ちと青い瞳。日本人離れした顔をしている。


 だが、彼女が喋っているのは日本語だ。カタコトでもなく、ごく自然でネイティブな。


「どうせ死んだのだったら、天国に行きたかった。それか、何も無い世界で眠っていたかったわ。まさか、こんなところで生き返るなんてね。嫌になっちゃう」


 女性は、さばさばとした感じで言うと。徹の方に手を伸ばした。


「生き返ったのとは違うか。転生したんだものね。生まれ変わったというべきなのかしら?」


 徹は、女性の手を掴んで引っ張り上げられるように立ち上がった。女性と目が合う。


「私の名前はエリカ。そう、死ぬ前の名前。あなたは?」


「俺の名前は、古賀こがとおる


「徹? やっぱり日本人よね。日本語が通じるから、そうだとは思ったけど。でも、今のあなたの顔。全然、日本人じゃないわよ」


「君の顔も全然、日本人には見えないよ」


 徹がそう言うと、エリカは自分の顔を確かめるように触る。


「本当? 鏡が無いから分からないわね」


 その時、徹は自分が寝ていた場所の近くに、袋のような物が置いてあるのを見つけた。エリカが寝ていた場所の近くにも同じように袋がある。


「この袋は何だろ?」


 徹は、袋を拾って中身を見た。袋の中には、色々な物が入っている。包丁くらいの大きさのナイフ。数枚のコイン。水の入った革製の水筒。干し肉のようなもの。そして、角のある石と鉄の部品。


「あら。これは火打ち石ね」


 エリカが角のある石と鉄の部品を手に持った。彼女の袋にも同じ物が入っているようだ。


「知らない? たぶん、こうやって火をつけるのよ」


 エリカは、石を持つと鉄の部品に打ちつける。カチッと音がした。それを何度か繰り返すと火花が飛ぶ。


「なるほど、そうやって火を起こすのか」


 徹は感心した様子で見ていたが、エリカは神妙な面持ちだ。


「わざわざ火打ち石を使うってことは、この世界にはガスライターも無いってことじゃない? それに、私たちが着ている服。今いる世界の文明は、まだあまり発達してないみたい」


 言われてみると確かに、今着ている服は古い時代を感じさせる。エリカは、火打ち石を袋に戻すと、その袋を背中に背負った。


「とりあえず、この森から出ましょう。村とか町とか、この近くにあるかは知らないけど。私たちは、そういう場所を目指すべきだわ」


「そうだな。ここにいても仕方ない」


 徹はエリカの意見に同意した。同じように袋を背負うと、2人は歩き出した。


 森の中を歩くのは、舗装された道を歩くのと全然違う。木の根や岩や石で、足元は常に不安定だ。気をつけなければ、つまずいてしまう。


 1時間ほど歩いた。相当に深い森のようで。周囲の景色は、変わらず高い木々に囲まれたままだ。


 その時、突然、先頭を歩いていたエリカが立ち止まる。徹の方を振り返って、人差し指を口元に立てた。静かにしろというジェスチャーだ。


 エリカは静かに身をかがめる。徹も同じように姿勢を低くした。エリカが、そっと前方を指差した。


 その先を見て、徹は驚いた。思わず声を出しそうになったのを何とか抑え込む。


 そこにいたのは人間ではなかった。耳と鼻が豚のような醜悪な顔。口の中は牙のような歯が生えており、背は低くボロボロの服を着て、手には斧のようなものを持っている。


「まるで、オークだな」


 徹は小声で言った。エリカが不思議そうな顔をする。


「何、オークって?」


「ゲームに出てくるモンスターだよ。知能が低くて人を襲う怪物さ」


「なるほどね。あれが、そのオークっていうのと同じか知らないけど。近寄らない方がいいみたいね。どう見ても、お友達になれる雰囲気じゃなさそうだもの」


「同感だね」


 徹とエリカは、しばらくオーク(?)の様子を静かに見守った。幸いなことに、オークは徹たちに気づくことはなかった。そして、どこかへ立ち去っていく。


「あんなのがうろついてるんじゃ、もっと注意して歩いた方が良さそうね」


「ああ。見つかったらと思うとゾッとするよ」


「いざとなれば戦うしかないわ」


 エリカは、そう言いながら背中の袋からナイフを取り出した。


 なかなか勇ましいというか、勇気のある女性だ。男の徹でも、あれと戦うという発想は湧かなかったのに。


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