異世界カップリング転生

倉木おかゆ

第1話

 白い。そこは、見渡す限り真っ白な世界だった。大理石の床は白く光沢があり、高くて見えない天井もおそらく白色なのだろう。


 まるで霧につつまれたかのように、真っ白で音の無い静かな世界。ただ、雪の冷たい白さとは違って、どこか温もりを感じさせる白さだ。


「ここは、いったい…… どこなんだ?」


 周囲をキョロキョロと見回しながら、とおるはふと声を漏らす。額から汗がしたたり落ちた。



 古賀こがとおる、25歳独身。商社に勤める、入社3年目の冴えないサラリーマン。


 徹の会社は、繁忙期の真っ只中であり。業務は多忙を極めていた。徹も最近は残業続きで、日付が変わるまで会社にいることが多かった。


 今着ているグレーのスーツも、ろくにクリーニングにも出せずヨレヨレのままだ。さすがにワイシャツは毎日換えているが、家には洗濯物として未洗いのままたまっていた。


 今日は、なんとか仕事をいつもより早く切り上げた。時計の針は午後9時を回っていたが、それでもいつもよりは充分早い退社だ。


 会社を出ると大きく伸びをする。デスクワークは、肩と腰が固まってしまう。伸ばすと、筋肉がほぐれる気持ち良さと痛みで、思わず「ああッ!」と声が出た。


 帰り道に、いつものコンビニに寄る。オフィス街にポツリとあるこのコンビニは、徹と同じようなスーツのサラリーマンやОLの女性などの客がいた。周囲のビルは電気が消えて暗く、このコンビニだけが明るく輝いているのを見ると少しホッとする。


 そこで、徹はいつものロースカツ弁当とチューハイの缶を2本買う。今日の晩飯だ。自炊などは、とてもする気力がないし。手料理を作ってくれる彼女もいない。たまには外食もするが、一番楽なのはコンビニ弁当なのだ。


 会計を済ませてコンビニを出ると、さっそくチューハイの缶を1本開けた。プシュッと炭酸の小気味よい音が響く。徹は、チューハイの缶に口をつけると喉に流し込んだ。グビグビと喉を鳴らす。そして口を缶から離すと大きく息を吐いた。


「ぷはぁーッ! しみるー」


 歩きながらチューハイを飲む。行儀が良くないのは自覚しているが、これがやめられない。この時間のオフィス街は人通りも少なく、注意してくるような人もいない。


 オフィス街から駅を目指して歩く。チューハイを飲んで、だいぶ良い気分になっていた。信号のある横断歩道を気分良く歩いていた。その時だった。


 突然、眩い光に照らされた。「パァァァーッ!」と鳴らされるけたたましいクラクション。徹が、その光が信号無視で突っ込んで来たトラックのライトだと気づいた時、もう全ては遅かった。



「そうだ…… 俺は、あの時トラックに轢かれて……」


 徹は、力が抜けたように床にひざまずく。白い大理石の床の固い感触が膝に感じられた。


 額から汗が次々にしたたり落ちる。混乱した記憶が戻るにつれて、恐怖のようなものが徐々に込み上げてきた。


「トラックに轢かれて…… 死んだ? じゃあ、ここは天国? 死後の世界か?」


 徹の口から言葉があふれてくる。この真っ白な空間が、そうであるならば説明はつく。だが、そのひとつひとつの言葉に、まだ現実感を感じられない。


 しかし―――


「ここは、残念ながら天国ではないわ。ならば、死後の世界かと言われれば、近いけど違うと答えざるを得ないわね」


 突然、徹の背後から、透きとおるような女性の声が聞こえた。落ち着いた優しい声だった。


 徹が慌てて振り向くと、そこに白いドレスを着た銀色の髪の美しい女性が立っていた。まるで彫刻のように整った顔立ち。白く透きとおるような肌。どこか神秘的な雰囲気が、女神を連想させる。


「天国というのはゴールなの。全ての人間が

たどり着くゴール。でもね、古賀徹君。あなたがいるここは違う。ゴールではなく、むしろスタート地点なの」


 この女性は、自分の名前を知っている。いったい何者なのか。徹は、恐る恐る尋ねた。


「あなたは、いったい……?」


「私の名は、セレスティア。あなたがいた世界とは、また別の世界の女神。あなたが、これから転生する世界の女神よ」


「女神……? 転生……?」


 徹は、未だ状況が飲み込めず眉間にしわを寄せる。自らを女神と名乗った女性は、優しく穏やかな顔をしていた。


「古賀徹君、あなたは会社から帰宅する途中、信号無視のトラックに轢かれて死んだわ。今のあなたは魂だけの存在。肉体は死んでしまったの」


「俺は、やっぱり。あの時、死んだのか? じゃあ、ここはやっぱり死後の世界なんじゃ?」


「さっきも言ったとおり、ここはゴールではなくスタート地点。あなたの魂は、これから新しい肉体に転生するわ。新しい世界の新しい肉体に。そうね。異世界と言った方がいいかしら?」


「異世界に…… 転生?」


 徹は、信じられないといった顔をした。異世界に転生するなんて、最近の漫画やライトノベルと呼ばれる小説の話だ。自分が実際にそうなるなんて思いもしなかった。


 女神セレスティアは、静かに目を閉じると右手を前に差し出した。白く細い綺麗な指先が、徹の方へと向けられる。


「そろそろ時間ね。あなたたちは、新しい世界へと転生するわ。今の記憶を持ったまま、新しい世界へと……」


「あなたたち? ちょっと待ってくれ…… あッ!」


 徹が声を出した時、女神セレスティアの姿は宙に溶けるように、スゥーっと消えていった。それと同時に、この真っ白い空間が端から黒くなっていく。そして、あっという間に真っ暗な暗闇に包まれた。


「こ、これは…… いったい……」


 意識がぼんやりとしてきた。まぶたが重くなり、徹は静かに目を閉じた。眠りに落ちるように意識が薄れていく。夜の闇に吸い込まれるように。


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