第44話 日々の生活と信仰心は連動しない
「いらっしゃいませ、お好きなお席にどうぞ」
カランカランと心地の良い音がして開いた扉に向かって声をかける。ここはダンジョンの8階にある街の食堂だ。サービスは地上にある食堂と同じである。ただ一点、違いがあるとすれば、接客を行っているのが一般人だということだろう。ダンジョン入り口前広場にある食堂と宿屋にはゴーレムしかいないのだが、ここには言葉を交わせる生きた人がいる。
「冷えたビール四つに唐揚げ盛り合わせを頼む」
「はぁい、かしこまりましたぁ」
威勢のいい店員の声が返ってくる。小さなバインダーに罫線のついた紙が挟まれていて、そこにすぐさま注文とテーブル番号を書き込むと、厨房のゴーレムに手渡される。ガラスケースに山盛りになった唐揚げを大きな皿に盛り、ワゴンに置いた。冷えたビールも乗せられれば、注文を受けた店員が席まで運ぶ。ワゴンで食事が運ばれるだなんてまるでお貴族様のようだが、これは高橋の考えたトラブル防止策だった。
ダンジョンの中にある街の食堂だから、お客は当然冒険者しかいない。誰もが丈夫な装備を身に着けているから、食堂の中を歩けば当然誰かとぶつかりやすいというものだ。異世界物のテンプレである肩がぶつかっていちゃもんを付けるとか、料理がひっくり返されるとかを防ぐためにワゴンで運ぶことにしたのだ。しかもこの方法なら子どもでもお手伝いが可能である。
食堂を始めたのは、アカシェの妻ミーアと妹のミランダだった。二人とも夫がいなくなり助け合って生きてきていたので、ダンジョンの街に移り住んでもその関係をやめることはなかったのである。年中無休である食堂だからこそ、二人で助け合うことによって交代で休むことができるのだった。もちろん二人の子どもたちもお手伝いを積極的にした。海底にいた時と違い、毎日新しい出会いがあることが刺激的なのだ。ミランダの二人の息子は戦争に巻き込まれて死んでしまったけれど、残された娘はお年頃で、給仕の手伝いに立てば冒険者たちから声をかけられることが嬉しくてたまらないらしい。だからこそ、10年間やらなかった勉強をして、本を読み、身ぎれいにすることを心掛けた。そして、
「ねえ、私がダンジョンから一日でも早く出られるようにアルトルーゼ様に祈って頂戴」
「おう、もちろんだ。そうしたら俺とデートしてくれよな」
冒険者たちにアルトルーゼに祈ることを勧めることを忘れなかった。それが純粋な信仰心化と言われれば多少の疑問が生じるが、それでも冒険者たちは食堂に置かれた小さな木彫りのアルトルーゼの像に手を合わせていくのだった。
「なぁ、負けてくれよ」
「駄目だね。ここの値段はアルトルーゼ様がお決めになったんだ。払えないんならアルトルーゼ様に許して貰えるまで祈るんだね」
そんなやり取りがあると、決まって冒険者は木彫りのアルトルーゼの像に祈りを捧げるのだ。そうしてひたすら祈り続けると、木彫りの像がほんのりと光るのだ。
「アルトルーゼ様が許してくれたよ。今度ダンジョンで手に入れたお宝から払ってもらうからね」
ミーアがそう言うと、冒険者は頭をかきかき袋からお金を取り出した。最後に飲んだ冷えたビールの代金が足りなかったのだ。
「いったんダンジョンを出て1階層から潜りなおすしかねぇよな」
冒険者は頭をかきながら仲間と共に食堂を後にした。こんなことになっても騒ぎが起きないのは、ひとえに高橋の設定のおかげだった。ダンジョンの街の中ではケンカはご法度で、剣などの武器を使うことは出来なかった。もちろん、誰かを傷つける行為は出来るはずはなく、そういった行為をしようとすればあっという間にダンジョンはおろか、どこか知らない場所に放りだされていしまうのだ。
実際、貴族令嬢が数日後に遺跡で見つかったという事例があるため、人は選ばないという神の裁きなのだとまことしやかにささやかれているのだった。
「ほんと、アルトルーゼ様様だねぇ」
ミーアがそう言うと、ミランダは黙ってうなずいた。調理の方はまだまだゴーレムたちに頼りっぱなしだ。いずれは自分たちだけで切り盛りしたいところだが、ダンジョンの中の街というだけあって、客がひっきりなしにやってくるのだ。そのおかげで売り上げは凄いが、忙しさも半端ではなかった。
「忙しくても、生きてるって感じがするわよねぇ」
海底にいた時は、明日のことなど考える余裕などなく、ただひたすら生きることだけを目的としていたが、今は違う。
「一日でも早く本物のお日様を拝むために、今日も祈りを捧げられたね」
ミーナは満足そうにアルトルーゼの木彫りの像を見つめたのだった。
「いや、ほんと凄いよね」
感嘆の声を上げたのは高橋だ。
リスモンの街の住人をダンジョン内に住まわせてみたら、ものすごい勢いでアルトルーゼに対する信仰心が溜まってきたのだ。特に純粋な子どもたちから寄せられる気持ちは純度が高いのか、集まり方がすごいのだ。
「それで、今日のおやつは何なのですか?」
信仰心の集まり具合を具現化させたガラスの筒を眺めながら、この世界の神であるアルトルーゼが聞いてきた。このガラスの筒は、高橋が目安が欲しくて作ったものだ。ゲームだと、HPとかMPなんかがバーになって見やすかったりするから、試しに『信仰心のゲージ』というものを作成してみたら、そんなものが出来上がったのだ。集まってくる信仰心はキラキラとしていてまるで蝶の鱗粉のようだった。
「もう、アルさんは食いしん坊だなぁ」
「食いしん坊とは心外ですね」
すぐさま反論しつつも、アルトルーゼの手は高橋の持つ皿に伸びていた。
「駄目ですよ、これは子どもたちのおやつです」
「おやつで子どもたちから感謝の祈りを搾取するだなんて、はじめんはなかなかの策士ですね」
言いながら。アルトルーゼはおやつを一つ頬張った。
「これは何ですか?ふわふわで、温かくて、そしてなんとも甘いではありませんか。この紫がかった黒いものは何ですか?はじめん」
初めてアンマンを食べたアルトルーゼは興奮していた。温かくて甘い食べ物何て初めてだったからだ。温かくて甘い飲み物はココアで経験済みであったが、食べ物は初めてで、アルトルーゼはしげしげと中のアンを眺めている。
「これはね、中華まんっていうんだ。中身はあんこだから、アンマンって言うんだよ」
高橋が解説するのを聞いて、アルトルーゼは少し考えた。
「なるほど、パスタでいうところのボロネーゼ、カルボナーラ的なモノですね」
「うん、まあ、そんなところかな?中身が肉の場合は肉まんっていうからね」
「おお、あたりですね」
アルトルーゼは満足そうな顔をすると、大きな口を開けて残りのアンマンを平らげたのだった。
「おやつの時間だよ」
高橋は自分の家から扉を開けて、ダンジョンの街にある教会横の寺子屋にやってきた。なぜ寺子屋の名前のままかと言えば、子どもたちが寺子屋という名前を気に入ったのと、靴を履いたままのこの世界の学校になじまなかったことが大きかった。子どもたちは昼食後昼寝をするのが習慣になってしまい、机を並べて靴を履いたまま利用するこの世界の学校のスタイルを受け入れてくれなかったのだ。長い机に並んで座り、給食は部屋の後ろに設けた場所で円を描くように座り、食べ終わればその場でそのまま昼寝をするスタイルが子どもたちは気に入ってしまったのだ。いつの間にかに各自がクッションを持参して、それを自分の席としていた。
「あ、主だ」
「主、今日のおやつはなぁに?」
「主が来たぞー」
子どもたちは口々に言いたいことを言い、外で遊んでいる子を呼んだりする。手はクリーンの魔法で綺麗にして、当番の子がお茶を入れるために魔法でお湯を出す。こうやって少しずつできることが増えていくのが嬉しいのか、子どもたちは素直に感謝の気持ちをアルトルーゼの像に伝えるのだ。もちろん、食べる前に感謝の祈りは欠かさない。
「今日はね、アンマンっていう俺の故郷の寒い季節のおやつだよ」
高橋が一人ずつに皿に乗せて配ると、当番の合図で子どもたちは感謝の祈りをした。温かくて明らかにおいしそうなおやつを前に、子どもたちの祈りは純粋で輝いていた。そうして一口食べた途端、驚きと感動からなのか、溢れた感謝の気持ちがきらきらとガラスの筒へと集まっていった。もちろん、この現象が見えるのは高橋とアルトルーゼだけである。
「あまーい」
「あったかくてふわふわしてるぅ」
「中のねちょねちょしてるの、チョコじゃない」
「でも甘いよ。おいしい」
子どもたちは思ったことをそのまま口にした。それを見て高橋はそっと扉から自分の家に帰るのだった。もちろん、この扉が使えるのは高橋と高橋の作ったホムンクルスだけである。そうして高橋はうっかり説明したために、自宅で肉まんを作るのであった。
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