不可視領域のレクタングル

楠樹 暖

不可視領域のレクタングル

 我々は窓を通して広い世界を見ているが、その窓はあまりに小さい。広い世界を意識したとき、自分の視野がとてつもなく狭いものだったと気がつくのだ。

 私が世界の大きさに打ちのめされたのは新人研修が終わり、配属先が決まった時に端を発する。

 配属先は主に画像を取り扱う研究部第二研究室だ。

 大手IT企業であるミレニアムサイオン社で人気なのはクラウドサービスの管理を行うシステム部だがかなりの敷居が高いため新人どころか長年在籍している社員でも携わることが難しいのだという。私の大学時代の研究は画像と圧縮技術に関するもので、社の方もそこに目をつけ私を研究室へと配属した。

 ミレニアムサイオン社は新しい画像フォーマット【オムニセント・グラフィック・フォーマット】を開発し世に広めたことで成長をした。

 画期的だったのは圧縮方法である。PNGの十倍の圧縮効率を誇る技術で、圧縮解凍を行うソフトウェアを提供することで収入を得ている。

 圧縮解凍を行うアルゴリズムは特許を取っていなく企業秘密である。

 これは特許を取るとアルゴリズムを公開する必要があり、また特許の有効期限が切れた場合はサードパーティが無償で使用できるようになってしまうため、それを避けるためでもある。そのため、社の中でもトップシークレットとなって厳重に管理されている。

 その技術を作りだしたのが第二研究室である。

 本来なら新人である私が関わることはないはずだが、一人しかいない前任者が退職し画像を扱う専門家もいないため私に白羽の矢が立ったのである。

 私の身辺や素行は興信所により調査され信頼に足る人物と判断され二研に配属が決まったのだという。


 二研での最初の仕事はオムニセントの画像フォーマットのアルゴリズムになれること。そのために仕様書に基づき簡単な画像データの解凍を半ば手操作で行う。

 逆に画像データをオムニセントの仕様に従いオムニセントフォーマットに半ば手動で変換する。

 出来たオムニセントファイルをビューワに通してちゃんと表示されれば成功である。

 最初のうちに画像の対象物がちゃんとした形にならなかったり斜めにずれていたりしたが、変換用プログラムを修正するうちにちゃんと表示できるようになってきた。


 簡単な図形を処理できるようになったら次は実際の写真を使用する。

 スマホによって取られたオムニセントファイルの写真を解析する。

 スマホで撮った写真はそのままクラウドで同期をし、デスク上のPCで操作をする。

 しかし、解析しているうちに違和感を覚えた。

 オムニセントのフォーマットは大きくヘッダ部とデータ部に分かれており、ヘッダ部に表示する画像のサイズが示されている。幅と高さで定義された矩形が写真として表示される領域である。これは実際のデータすべてではなく、少し小さめの論理矩形となるのである。つまり本来の画像は見えている範囲を超えて少し大きめで保存されて、論理矩形の外の部分は切り取って表示しているのである。

 はみ出している部分は少しと思われるのに、論理矩形で使用するデータよりもかなり大きな領域をデータ部が占めているのである。

 試しに論理矩形のサイズを大きくしてみた。ヘッダ部分は改ざん防止用にハッシュ値を埋め込んであるが、整合性を取るためにそれも一緒に修正した。

 結果、スマホで撮った写真はスマホに表示されるよりも遥かに大きく、長さにしておよそ五倍、面積にしておよそ二十五倍の広さが保存されていることが分かった。

 それでもまだ保存されているデータを使い切っていないようである。

 残りのデータを抜き出し、疑似的なヘッダを定義して別のオムニセントファイルを作って表示させてみた。

 出てきたのは私の顔だった。

 スマホには景色を撮るための背面カメラと自撮り用の前面カメラの二つがある。このスマホで撮った写真には撮った景色とは別に、同時に写していた撮影者の画像を保存していたのだ。

 オムニセントのファイルサイズ自体は既存のどの画像フォーマットのファイルサイズよりも小さい。その小さいファイルの中にはどの画像フォーマットで保存するよりも大きな画像が保存されていたのである。

 オムニセントフォーマットはここ最近のスマホでは標準で使用されるフォーマットだ。

 試しに画像投稿SNSの適当な画像を落としてきて私が作ったビューワで表示をさせてみた。

 ランチの皿を写しているつもりが、その周りの机全体や対面に座っている相手の胸元まで写っている。そして写している人の顔もバレバレである。

 入念に個人情報が写らないように調整しているのに実はしっかり写っていたり、小物だけを写したつもりなのに実は人前に出るのが恥ずかしい恰好のままでいたり、一人旅のつもりで風景を写していても、隣に恋人と思わしき人がいたり。

 そんな画像ばかりで溢れかえっていた。

 そして、その画像はクラウド同期により、ミレニアムサイオン社のサーバへと送られ蓄積されている。

 その画像ファイルを盗み見て、個人を結び付けることができれば……。

 モニタを見ながら事態の重大さに目を丸くしていると、ポンポンと背後から肩を叩かれた。

 二研の室長である。

「前任者は交通事故で亡くなったんだよ」

 と教えてくれた。

「わ、私は、交通事故を起こさないように道を外さないように歩きます」

「うん。その方がいい。その方が」

 室長は大きく頷き自分の席へ戻っていった。


 世界は自分が思っているよりもずっと広い。

 その中には知らなくてもいい話もある。

 狭い窓から首を突っ込んでその身を危険に晒すこともない。

 身の丈に応じた窓の大きさで生きていこう。


(了)

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不可視領域のレクタングル 楠樹 暖 @kusunokidan

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