第8話 男爵令嬢のメルティア・ソードラーン
「なあ、もっと近くに寄れよ。メルティア」
「う、うん」
マルナート子爵令息のスニーザ様が私に身を寄せるように指示してきた。
まだ私は社交界にデビューはしていない。だけど家同士が昔から知り合いだった関係でスニーザ様に呼ばれていた。
今はもうデビューの年頃であまり遊ばなくなったけれど私は呼ばれると会いに行っていた。
今彼が気に入っている遊びは恋愛小説のまねごとをすることだった。
流行りの小説の人物になって、様々な恋愛のシーンを演ずるように命令される。
今日の私はそれらの小説の一つのヒロインに似ていると言われてその役をやらされていた。
ピンクブロンドのふわふわの髪に淡い水色の瞳。自分でも好きだったけれど今では嫌いになりそうだった。
子爵家の東屋で恋愛小説を演じ始めた。でも、彼と話すこと、いいえ、一緒にいることも最近では苦痛を感じるようになってしまった。
横暴な彼の話し方も嫌い。でも我慢しなくちゃ。彼は身分が上なのだから。私は魔力があっても魔法の使えない、体も弱い、貴族令嬢としてもギリギリの存在だもの。そんな私でもスニーザ様は遊んでくれる……。
「もっとヒロインになりきれよ。男爵家がどうなってもいいのか?」
そう言いながら彼が私のピンクブロンドのふわふわの髪を撫でた。
彼に触られるのは本当に嫌。だけど断れない。断ると社交界にデビューしたらもっと嫌がらせをすると言われていたのだ。悪い噂を流して、良い縁談が来ないようにしてやるとまで言われた。だから渋々付き合っていたけれど最近は流石に悪ふざけが過ぎていると思う。こんなふうに体を触られるのは嫌なの。
でも今はもう怖くて言い返せないし、お父様やお母様に心配されるから相談もできなくなってしまった。
「そこはにっこり笑って可愛くしろよ。白けるじゃないか」
「は、はい」
私は無理やり笑顔を張り付けた。
スニーザ様の顔が息のかかるほど近づく。
にやにやと笑っているのも気持ちが悪い。
「……やっぱり嫌ぁぁ。お父様。お母様」
今流行りの小説では男爵令嬢がヒロインで高位貴族に体を使って逆ハーレムとかを築くのだとか言われたけど、そんなのしたくないの! 私はっ! 嫌悪感と共に怒りが湧いてきた。
ふと以前に街でスニーザに絡まれていたところを助けてくれたアニー隊長の凛とした様子を思い出した。するとなんだか力が湧いてきた。
彼女は平民で女ながら、あの王都を襲ったタンピードのボス魔獣に止めを刺した英勇と言われて街では大人気だった。
隊長として忙しいだろうにあのとき私をスニーザ様から助けてくれたのだ。
周りは見て見ぬふりだったのに。
アニー隊長はすらりとした身のこなしで素敵な女性だった。魔獣とまで戦えるのだから強いのだろうけど優しそうな人だった。凛とした大人の女性。私のように怯えて逃げることしかできないのとは違った。だけど私だって……。
私は彼から身を離し、突き飛ばして逃げるように走り出していた。
「おい、待てよ!」
「誰か、助けてっ」
ドレスなので走りにくい。
それでも東屋から近いのが幸いして直ぐに馬車泊りまで辿り着くと見慣れたうちの馬車があって、御者が馬の世話をしているのが見えた。彼は私が走ってくるのに気がついてくれた。
「お嬢様! どうされました?!」
「……お家に帰るのっ」
ゼイゼイとした息をしながらそこまで話すと眩暈がしてきた。だけど直ぐスニーザ様が追いついてきて後ろから私を捕まえた。
「待てよ!」
「離して!」
「お嬢様!」
もみ合いになりながらも私は馬車に乗り込もうとして階段から足を踏み外してしまった。もみ合いながら馬車から転げ落ちてしまった。
「メルティ?!」
「お嬢様!」
「あっ!」
ガツンと音がして私は地面に転がり落ちたときに縁石に頭を打ち付けたようだった。激しい全身の痛みで私は気が遠くなっていく。私は最近手に入れたネックレスと左手で強く握り締めた。
最後に気力を振り絞って御者に伝えた。私を連れて戻ってくれるようにと。
「お家に帰るの。……こんなところもう嫌あぁ。アニー……」
ドレスの下に隠していたネックレスの宝石が熱くなり光ったように感じて視界が真っ白になり、私の望みは叶ったの――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます