第23話 バイト


 いつもと変わらず、僕はお店で凛ちゃんとだらだら海外ドラマを観ていた。外では雨が激しく振り、雨粒が裏戸を強く叩く音が聞こえた。


「今日は来なかったね、あの子」


 僕は隣の凛ちゃんに声をかけた。


 ――雨だからじゃない?


 凛ちゃんは気のない返事をした。僕は店内を見渡した。あの女の子が来ると思って用意したピザはすっかり冷えていた。


 ――それに毎週くるとは言ってなかったし。颯太、そんなにあの女の子が来るの楽しみにしてたの?


「そりゃ、楽しみにするでしょ?いい加減、同じメンツに飽きてきた」


 ――それは確かにそうだ。


 なんとなくダレて来たので、僕は海外ドラマを止めた。中途半端なタイミングだったが、別段、凛ちゃんも不平を言わなかった。店内に雨のざーざーという音が響く。それまでいつもの席で丸くなって眠っていたサモさんだったが、起き上がり、背伸びをした。大あくびをすると、さっとソファを降り、そのまますたすたと従業員室に歩いて行った。


「今日はもう帰って寝ようかなー」


 サモさんの後ろ姿を見送りながら、僕は呟いた。


 ――そうしたら?」


「でも雨だし、帰るのめんどいな」


 からん、からんっ!

 

 その時、けたたましくベル鳴らしながら扉が開いた。僕は驚いて入り口を見た。そこにはあの女の子がいた。


「ああ、いらっしゃい……」


 しかし女の子は、その言葉を無視して、僕の前を横切り、お店の奥へと走って行った。そして従業員室に飛び込んだ。


にゃっーー!!


 サモさんが、驚いてブチ切れる声が聞こえます。


「え、なになに?」


 颯太くんは慌てて従業員室に駆け込みます。


「なに?どうしたの?」


 女の子は従業員室の隅で丸くなっていた。サモさんは不機嫌そうに僕の足元を通り過ぎ、また店内のソファへと戻っていった。


「え?大丈夫?」


 女の子はずぶ濡れという訳では無かったが、髪は濡れており、明らかに寒そうだった。ぶるぶると震えている。――でも震えているのは寒さだけが原因でもなさそうだった。


「誰も使ってない制服と新しいタオルがその辺にあるからさ。必要なら勝手に使ってよ?」


 僕はそう言い残すと従業員室の扉をそっと閉めた。客室に戻ると凛ちゃんと目が合った。


 ――なにあれ?


 凛ちゃんが不思議そうな顔で僕に訊ねた。


「分かんない」


 なんとなく無言のまま、僕らは女の子が出てくるのを待った。


 小一時間ほどして、女の子はようやく出てきた。お店の制服に着替え、タオルで髪を拭いていた。ちなみにそのタオルは開店十周年のその記念品として、オーナーが大量発注したものだが常連はおろか、お客さんは誰もこないので、ほとんど全部在庫として抱えている。金色の刺繍ででかでかと「Yumi's Cafe & Bar」と刺繍してあった。


「突然、すいません……」


 女の子が申し訳なさそうに頭を下げた。


「まあ、こっちは別に大丈夫だけど……――これ、飲みなよ?」


 僕は湯気の立つカフェオレを女の子の近くのテーブルに置いた。市販のものを温めただけだ。


「すいません……」


「あ、もちろん、お金はもらうよ?」


 僕は空気を和ませようと、ほんの冗談のつもりでそう言ったのだが、女の子は、はっとしたあと、恥ずかしそうに俯いた。僕は慌てた。


「いや、ごめん。うそうそ。無料ただでいいよ。サービス」


 ――慈善事業やってんじゃ、ねーんだぞ?


 横から凛ちゃんに突っ込まれる。


「(いいじゃん。どうせ赤字なんだし)」


 僕はあらためて女の子に向き直った。


「まあ、とにかくそれ飲んで、身体あっためてよ?風邪引いてもらっても困るし」


 僕の言葉に、すいません、と呟きながら女の子はようやくマグカップを手にした。 僕はそっと客席を離れ、キッチンに戻った。凛ちゃんは、女の子の向かいの席でじっと彼女を観察し始めた。


(困ったなあ)


 僕は、キッチンの針時計を見上げた。気が付けば結構遅い時間だった。下手をすると女の子が補導されてしまう可能性が出てきた。 


「――あの……」


 客席から女の子が呼ぶ声が聞こえた。僕はキッチンを出て女の子のもとに赴いた。


「ごちそうさまでした」


「少しは元気でた?」


「えっと……はい……」


 女の子は全く元気のない声で俯きながらそう答えた。


 ――全然、元気出てねーじゃん。


 すかさず凛ちゃんが指摘する。


「あのさあ、もう遅いから……」


「――すいません、すぐ帰ります」


 女の子は慌てて立ち上がろうとした。


「いや、時間も時間だから、親に連絡してもらって迎えに来てもらってもいい?」


 僕の言葉に女の子は一瞬たじろいだが、間もなく観念したようにスマホを取り出した。時折指を止めながらも、メッセージを打ち込んでいる。


「なんか、言い訳しなくちゃいけないんだったら、口裏合わせるよ?」


 ありがとうございます、と女の子は小さく頭を下げた。


 女の子のお父さんが迎えに来た。修羅場になるかな、と懸念したが、むしろお父さんはほっと安心したように女の子を抱き寄せた。そして僕にも女の子にも何も聞かず、ただ僕に「ご迷惑をおかけ致しました」と頭を下げ、二人はそそくさと帰って行った。僕は凛ちゃんと顔を見合わせた。


 ――まあ、面倒なことにならなくて良かったじゃん。帰ろ?


 凛ちゃんはそう言うと座ったまま、大きく背伸びをした。





 翌日、例のごとくお店でだらだらしていると、例の女の子がやってきた。いつもより早い時間帯で服装も制服だった。学校帰りのようだ。


「ああ、いらっしゃい。――昨日は大丈夫だった?」


 僕が声をかけると女の子は恥ずかしそうに俯き、はい、ともごもご、返事をした。


「カフェオレ?」


 いつもの席に女の子を案内しながら、訊ねる。


「あの、今日はこれを返しに来ただけなので……。ちゃんと洗ってあります」


 女の子は手にしていた紙袋から制服を取り出した。


「ああ、捨ててくれても良かったのに。律儀だね」


「昨日はご迷惑おかけしました」


「まあ、びっくりしたけど。――お父さんに怒られた?」


「あの、そのことなんですけど……――ここで働かせてもらえないですか?」


 突然の提案に僕はびっくりした。


「え?――無理だよ。無理っていうか仕事ないよ?店長の僕ですら暇してるのに」


 女の子は肩を落とした。


「そんながっかりしないでよ。駅前のカフェ、求人出してたよ?そこで働いた方が絶対いいって」


 そう諭してみるが、女の子は返事をしなかった。


「――ひょっとして、お父さんにここでバイトしてるって言っちゃったの?」


「はい……」


「なんでまた?」


「毎週遅く帰る日があるの、実はアルバイトしてたからって言っちゃって……」


「ああ、そう……」


「口裏合わせてくれるって言ってくれたから……」


 女の子はそう言うと上目遣いで僕を見つめた。


「そんな顔で見られても仕事ないし――やらかして、すぐにクビになったことにすればよくない?」


 女の子は再び俯いた。ひどくがっかりしている。


 ――働かせてあげなよ?どのみち赤字なんだし、いいじゃん。


 横で見ていた凛ちゃんが僕に耳打ちした。僕は小さくため息をついた。


「週一でいい?毎日来てもらっても仕事無くて困るから。週一で一緒に映画観て解散、という感じで良いなら、雇うよ?」


 女の子はぱっと顔を輝かせた。そう言えば、この子のこんな明るい表情みたのはじめただなと僕はあらためて思った。


「ありがとうございます!」


 女の子は深々と頭を下げた。





「ねえ、今井さんさあ、なんでこのお店、入って来れたの?正直、入りづらくなかった?」


 女の子の名前は今井杏いまいあんと言った。今井さんのバイト初日の仕事は映画観覧ではなく、ひとまず面談となった。


「あ、はい……――でも、なるべく人がいないお店に入りたくて……」


 今井さんは俯いた。


「そうなんだ。今井さん、人付き合い苦手?」


「そうかもしれません……」


「じゃあ、このお店、向いてるね。お客さん来ないし、最悪、僕は無視すれば良いから、サモさんの相手するだけですむね。――猫好き?」


「あ、はい。大好きです……!」


 今井さんがじっとサモさんを見ている。撫でたくてうずうずしている様子だ。しかし、撫でていいよ、とは言えない。それはサモさんが決めることだ。


「でもせっかくお化粧して可愛い服着ても、こんなお店に引きこもってたら意味なくない?」


 僕のその質問に今井さんはまた俯いてしまった。いくら待っても黙りこくったままだ。どうも触れられたくない話題があるようだ。


「まあ、いいや。――そう言えば、先週はなんかトラブってたっぽかったけど、大丈夫だったの?」


 話題を変えたつもりが、今井さんはますます俯いた。気まずい沈黙が流れる。傍らの凛ちゃんに目を向けると、凛ちゃんは首を小さく横に振った。


「ごめん、色々聞きすぎたね。――まあ、適当にやってよ。従業員室のロッカーは好きに使っていいけど、床に荷物置いて帰らないでね?サモさんが何するか分からないから」


 僕は今井さんを客席に残し、そそくさとキッチンの中へ移動した。


 ――杏に仕事、割り振らなくていいの?


「(だって仕事無いもん)」


 ――掃除とかは?


「(俺の暇つぶしが無くなるじゃん)」


 颯太くんの言葉に凛ちゃんは肩をすくめた。





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