第30話 一人目のお客!
野見山と湯楽々がステージへと駆けていく。
オレは二人を見送ると、登場曲『とことこジャム太郎のうた』の流れる無人のフロアへと移動した。
♪ とことこ歩くよ ジャム太郎~
ウキウキわくわく ジャム太郎~ ♪
子供向け番組の平和な歌が流れる中、ステージ上を曲に合わせてぐるぐると回る野見山と湯楽々。
♪ やっぱり好きなんだ~ ♪
(はい、せーの!)
♪ いちごのバタージャム~ ♪
(オレモー!)
本来ならここで入るはずの合いの手を心の中で入れる。
ステージ上の二人に「大丈夫だよ!」と目で伝えながら。
♪ 滑車を回るよ ジャム太郎~ ♪
(タイガー、ファイヤー、サイバー、ファイバー、ダイバー、バイバー、ジャージャー!)
気がついたらいつの間にかオレは拳を握りしめていた。
そして、曲の間奏を経て二番が始まろうとした──その時。
ギィ──。
立て付けの悪い入り口が開く音が鳴った。
ビクッ!
オレたちは、まるで獲物を見つけた肉食獣かのような勢いで狭くてボロい入り口へと視線を向ける。
(おぉ……!)
入ってきた……人だ……。
ごくり……。
今、ウイングフォックスへと入ってきた一人の男を観察する。
中年。
メガネ。
職業不明な服装。
そして中に何が入ってるのかわからない、謎に大きいリュック。
間違いない、この典型的な格好は──。
オタクだ!
案の定、その男は受付で中島さんに入場料を支払い始めた。
はい、確定! この人はオタク!
(やった! ついに入ってきたぞ!)
やっと現れた念願のお客。
なんかもう背後に後光すら見える。
(ハッ──!)
お客さんの登場で浮かれていたが、ステージ上の二人は大丈夫だろうか。
そう思って目を向けると。
(ちょっ……! ちょっと! 見すぎ! お客さんのこと見すぎぃ~!)
二人ともお客さんを凝視しすぎるあまり、首が一方向に固定されたままグルグルとステージ上を回るという、なんだか怪しい部族の儀式のようになっていた。
「うおっ……!」
中島さんからドリンクを受け取り振り返ったお客さんが、野見山たちの圧に押されて声を漏らす。
(わかる~、わかるよ、その気持ち!)
超過疎イベントでお客さん数人しかいない時にアイドルからめちゃくちゃレス来たらプレッシャーすごくてツラいもんね。
ましてや一人だとなおさら。
しかもレスを飛ばしてきてるのは、今日が初ステージの女子高生たち。
きっと熟練のアイドルたちから受けるのとはまた違った種類の圧を感じていることだろう。
(落ち着いて! 落ち着いて!)
オレはジェスチャーを飛ばし、どうにか二人のガッツキを鎮める。
コクコクと二人が頷くと同時に登場曲の『とことこジャム太郎』の曲が終わった。
お客さんは、圧から逃げるように隅っこの方に陣取っている。
(ここで一回挨拶のMCを入れるべきだったか……)
たった一人のお客さんとの間に微妙な緊張感が走る中、一曲目のイントロが流れた。
♪ テレテレテンテンテ~ン ♪
ピクッ。
腕を組んで身構えていたお客さんの指が反応する。
そう、これは地下アイドル界至上最高のアンセム曲──。
『シュワ恋ソーダ』
ほぼ間違いなく、あの人くらいの年代のオタクならピンズドでハマるはず。
短いイントロが終わると、湯楽々の生歌がフロアに響いた。
♪ ボクをあげるよ
想っていたキモチ
言葉より歌で届けたいから ♪
原曲のアイドルと比べると声量はない。
けど、だからこそ、逆に湯楽々の声の美しさ、繊細さ、人柄、精一杯さが伝わってくる。
たった一人のお客さんに全力で注ぎ込んだ、今の湯楽々の出来る全力の歌い出し。
(どうだ……反応は……!)
さっきまではコソコソと視線から逃げるようにしていたお客さん。
それが、体を二人の方へと向けて聴く体制になっている。
瞳孔は少し開き、口元も微かに緩んでいる。
首がちょっとだけ前後に動き、リズムを取っている。
主催の中島さんも「ほぅ」という表情。
(よし、いいぞ! 順調な滑り出し!)
野見山のAメロ、二人のハモリのあるBメロを経て、再び湯楽々の担当するサビへと差し掛かる。
お客さんも次第に大きく体がリズムを刻み始めている。
そこで、さらに二人のお客さんが入ってきた。
新しく入ってきたお客さんたちは共に「おっ! 『シュワ恋ソーダ』じゃん!」というような反応でソワソワと落ち着かない様子で入場を済ませる。
そして計三人のお客さんを迎え、曲は大サビへと差し掛かった。
♪ 「女友達」なんて立場じゃもう
このキモチ抑えきれないの ♪
コールやMIXこそ起こらないが、三人とも小さくケチャ(※ アイドルに向かって両手を差し出す行為)を繰り出す。
そして、その後のラスサビはお客さんたちの手拍子と共に無事に終わった。
(よし、やった! 湯楽々の歌もバッチリだった!)
最初はゼロ人から始まったライブだったが、一曲目が終わる頃にはフロアにお客さんが三人。
しかも、好意的な雰囲気の中で終えられた。
(ここから三曲目のオリジナル曲まで熱を切らさず続けていきたい……!)
今のオレにとっては、この三人のお客さんの反応が全てだ。
なんだか地球がぎゅ~っと縮まって、この狭いライブスペースが全世界になったかのような感覚に。
(さぁ、二曲目の反応はどうだ……!)
緊張と興奮の中、二曲目『ドルオタ入門キット』のイントロがフロアに流れた。
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