第68話 美少女JKモデル、ガチで泣く①
紗凪の最寄りに来たのは数週間ぶりだった。
よしひとと一緒にバスに揺られながら、ウチは当時の記憶を思い出す。
部屋から出るときにかけられた一言は、まるで呪いみたいにウチの心から離れてくれなかった。
あの暗い、澱んだ部屋に今から戻るんだ……
手のひらが緊張で汗ばんでた。
紗凪の家のインターホンを押すと、紗凪のお母さんはすぐに玄関を開けて歓迎してくれた。
紗凪とそっくりの優しそうな顔は、この前よりさらにやつれて見えた。
「あ、りりあさん」
玄関で靴を脱いでいると、よしひとがスマホを見せてくる。
「いつの間にか既読ついてたっす。動画に気づいてはいるっぽいっスね」
「……行ってみよっか、紗凪の部屋まで」
母親に会釈して、階段を二人で上がる。
以前も来た子供部屋は、当たり前だけど、なにも変わってなかった。
外から響いてくる車の音も、廊下の空気も、午後の日差しも、扉にかかったプレートも。
まるで、半ば締め出されたあのときから、一秒も経ってないかのよう。
ウチは恐怖を追い払うために咳払いしてから、言葉をかけた。
「さーなーちゃーん。あーそびーましょー」
返事はない。
でも、ウチは静けさのなかに、コツンとなにかがぶつかるわずかな物音を聞き取った。
ドアに耳を当てると、スルスルと服が擦れるみたいな音もする。
生きてる。こっちの声を聞いてる。
それだけでウチは泣きそうだった。
「……紗凪、動画見てくれた? ウチ、ミスコンぶっ壊してきちゃった。途中で抜けてきたし、失格決定だわ」
声は返ってこない。
それでも、ウチは扉に背中を預けて、構わず話しかけ続ける。
「ウチ、実は元の世界では超美人でさ。実際、ブスは死ぬべきだと思ってたんだよね。生きてるだけで周りを不快にすんだから、死んだほうが世のためじゃね? って」
「ちょ、りりあさん?」
よしひとが慌てて口を挟む。
ウチは目線だけで問題ないことを告げて、続きを話した。
「でもさ、そんなウチのほうがずっと世の中を不快にしてるって、ようやくわかったの。人をバカにしてるときのウチの顔、化け物みたいで見ちゃいらんない。不快なブスは死んだほうがいいって? なら、鬼クソブスなウチは何回死ななきゃなんないのよ」
相変わらず、部屋は誰もいないかのように黙りこくってる。
ふと、紗凪はホントにいないんじゃないかと思えてきた。
そしたら、ウチは今空気に向かって話してることになる。
でも、関係ない。
ウチは彼女の味方にならないといけないんだから。
何十回だって、何百回だって、あの子の耳に入るまで言ってやる。
「アンタバカにしてくるヤツらなんか、そんなブスたちばっかなんだよ。そんなのに見下されても、平気でしょ? カーストも外見も、世界一綺麗な紗凪の前じゃ、霞んじゃうんだからさ」
祈るような気持ちだった。
「紗凪さん! あっしたち、紗凪さんがあの高校にいられないなら、一緒に転校しようって話してたんス! だから、紗凪さんは一人じゃないっス!」
よしひとがウチの上から呼びかける。
「そう。ウチ、バカだからあんま偏差値高いとこは無理かもだけど。でも、頑張るからさ」
「そうっス! だから出てきてほしいっス!」
ウチらの騒ぎにも、ドアからはなんの反応も返ってこない。
口を閉じれば、廊下は一瞬で無音に帰る。
虚しさが、後悔が、胸の奥に押し迫ってた。
「……ねぇ、紗凪。全部謝るからさ……もう間違ったりしないから……お願いだから、出てきてよ……!」
扉は無情で、頑なで、開く気配さえなかった。
まるで紗凪がウチを拒絶してるみたいに。
もう一生、ウチには心を開いてくれないのかもしれない。
そう思うと、視界がみるみる滲み始めた。
涙が手にいくつも落ちる。
当たり前だよ。だってウチは紗凪をいじめた女たちと同類なんだもん。
やってしまった事実は変えられない。
今更後悔しても、遅い……
「……ごめん。ウチ、紗凪が出てきてくれるように頑張るから。許してくれるまで謝るから。ウザいかもしれんけど、また聞いてほしい……また来るから……」
声は廊下中に響き、虚しく消えていく。
ウチは涙を拭って、立ち上がった。
よしひとがウチを見上げる。
「りりあさん、いいんスか……?」
「いい。また来る」
「そっスか……」
ウチらは、互いに沈んだ顔で紗凪の部屋に背を向ける。
これが、ウチのやってきたことの報い。
これから向き合わなきゃいけない、ウチの罪なんだ。
悲しみを堪えて廊下を歩き始めた、そのとき――
背後から、音がした。
なにかが落ちる物音。
なにかが開く音。
駆ける音。
ウチが振り返るのと同時に、ウチの手の平が後ろに引っ張られる。
手を掴んでいたのは……パジャマ姿の紗凪だった。
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