16. Continue:06-2

 世界神アシアに、『魔王』討伐を知らせる。

 それだけ聞くと何故わざわざ、と言わざるを得ない話だ。世界を司り、管理する神なのだから、知らせなくても分かりそうなものだ、とその場の誰もが考えた。

 故にアクセルも、エマも、シェドザール自身も首をひねっていたのだが、ジャンヌは自分でも言葉を咀嚼するようにしながらエマに問いを投げた。


「エマ様。以前の『勇者』……アンリ様が以前の『魔王』、ラエネックを討伐せしめた際に、何が起こったか。ご存知でいらっしゃいますか?」

「何、って……えーと……」


 ジャンヌの問いかけにエマが宙を見上げる。

 先代の『勇者』アンリ・ル・コントと、先代の『烈風の魔王』ラエネックの長きに渡る戦いの話は、アクセルもエマもよく知っていた。何しろその戦いが行われたのは五年前・・・、母親から寝物語で聞かされたものである。

 だが、アンリがラエネックを討伐した際に何が・・起こったか、という疑問に、エマが不思議そうな表情をしてもう一度、首を傾げる。


「あれ? ごめん、分かんない」

「アクセル様は?」


 話を振られたアクセルはずっとうつむき、眉間にシワを寄せていた。なんならエマが問われた時から考え続けているのだが、こちらもこちらで答えを出せずにいた。


「んん……俺も知らない。そういう歴史があることは知ってるんだが……」


 ゆるりと首を振るアクセルがシェドザールに視線を向けると、彼もまた眉間を指で押さえながら目を閉じていた。深く考え記憶を掘り起こしているようだが、五年前のことだというのに答えが出てこないらしい。

 そのまま二分は考えて、諦めて息を吐いたシェドザールにジャンヌが問う。


「念のため、シェドザール様にも。魔王軍にも、そうしたお話は伝えられていない、と思いますが、いかがでしょう?」

「確かに……何故だ? これでは、『魔王』討伐時に何が起こり、何故それを以て民草がそれが成されたことを知ったのか、誰も知らぬではないか」


 肩をすくめながら呆れた様子で言い放つシェドザールに反論するものはいない。

 実際そうだ。アンリがラエネックを倒し、世界に平和がもたらされた、その際に何が起こり、どうなったのか。誰も知らないという異常事態・・・・に今、三人はたどり着いた。

 重ねて言うが五年前、である。歴史書が散逸するどころか、生き証人がいくらでもいる程度の頃合いだ。覚えている人間など近隣の村を当たる必要もなく探せそうなものだが、それでもなおこの三人――『魔王』シェドザールを以てしても、知らないのだ。

 不思議そうに目を見開いて互いに視線を交わす三人を見て、ジャンヌが深くため息をついた。


「やはり――皆様ご存知ではないのですね」


 その物言いに、三人の視線が集まる。

 言い方を見るに、ジャンヌはこの「『魔王』討伐時に何が起こったのか、が一般に知られていない」異常事態に心当たりがあるらしい。


「ジャンヌ?」

「どういう――」


 アクセルとエマが思わず腰を浮かす。その二人をそっと片手で制しながら、ジャンヌは静かに、しかし真剣な表情で語り始めた。


「モリエール教主国の首都にして聖都カプレ、世界教の中央教会に属する上級シスターは、世界神アシア様より賜ったとされる古の石板、『古の書エンシェントストーン』を守護する役目を担います。それはすなわち世界の歩んだ歴史の、詳細まで参照・・できる権限を持つことに他なりません」


 『カプレの聖女』ジャンヌの――世界教の中央教会上級シスターその当人の話に、異論を唱えるものはいなかった。そもそも聖職者とは知識階級、一般人の知らないことを知る権利も権限も、有していて当然だ。

 だが、そんなジャンヌの告げた次の言葉に、三人は言葉を失った。


「ですが……そこにすらも、『魔王』討伐を『勇者』が成し遂げた際に何が起こったか、何を以て人々に知らしめたか、の一切が記載されておりません・・・・・・・・・・……まるでそこだけ抜け落ちたかのように」

「え――!?」


 アクセルの喉からヒュ、と息の漏れる音がする。シェドザールの大きな顎も外れんばかりに落ちていた。

 世界教の中心地、中央教会に安置されている『古の書エンシェントストーン』はいわば、世界の始まりから今日までの物事が記された世界で最も古く、世界で最も確かな歴史書だ。

 そこに、記載がない。『勇者』が『魔王』討伐を成し遂げた際に起こったことが。

 エマも信じられないという表情を顔いっぱいに乗せながら声を発した。


「ウソでしょ? 『魔王』が討伐されて、その時に何が起こったかなんて、歴史書には真っ先に書かれることじゃない」

「間違いない……本来ならそうなるはずだ。だが……」


 下を向き、口元に手をやりながらシェドザールが呻いた。エマの言葉に同意を示しながらも、その視線はずっと地面に向けられている。

 しばらくブツブツと呟いてから、やっと視線を上げたシェドザールはジャンヌに言葉を投げかけた。


「すまぬ、一つ確認したい。『古の書エンシェントストーン』は世界神アシアより賜ったもの。となれば中央教会のシスターども……否、『カプレの聖女』といえど触れることは・・・・・・許されない・・・・・。相違ないか」

「えっ?」


 シェドザールの問いかけに、素っ頓狂な声を漏らしたのはアクセルだったか、エマだったか。

 ある意味では当然のようで、ある意味では不思議な問いの内容だ。世界最古の歴史書である『古の書エンシェントストーン』を守護する役目を負う上級シスターが、それに触れられないということがあるのかと。

 その質問に、ジャンヌは静かに目を伏せた。そのままでぽつりと、静かに『魔王』へと答えを返す。


「……ええ、仰る通りですわ。私どもに許されているのは参照・・に限ります。『古の書エンシェントストーン』に触れられるのはアシア様のみ。すなわち、この世界の歴史書たるかの石板に、歴史を刻んでいるのは――」

「アシア本人のみ、と。合点がいった」


 シェドザールがいよいよ不満を顕にして、眉間に深くシワを刻みながら吐き捨てた。

 その言葉でようやく、エマとアクセルも心理に思い至ったらしい。二人揃って立ち上がり、絶望を瞳に湛えながら発する。


「え……ちょ、ちょっと待って」

「じゃあまさか……俺たちがそのことを知らないのって」


 信じられない、と顔全体で語りながら、アクセルとエマが言うのを見つめてジャンヌは頷いた。その目には明らかに、神への怒り・・・・・がある。


「はい。歴史を記す側のアシア様が歴史書に記さなかったから……いえ、記す気がなかった・・・・・・・・から。すなわち――」


 そう、世界神アシアは記せなかったのではない、記すのを忘れたのでもない、最初から記す気が・・・・・・・・なかったのだ・・・・・・

 『勇者』と『魔王』の戦いの果てに何があったのか。如何にしてアシアは『魔王』討伐を知らされたのか、その要因を知っていて――自分から『勇者』たちに求めておいて、敢えて・・・その答えを見せずにいるのだ。

 ジャンヌ・ワトーはいち早くそこに気がついた。『カプレの聖女』――世界神アシアの記した『記録』を参照できるが故に。ここまで『神』に弄ばれたが故に。


「アシア様は隠されておられる。『勇者』による『魔王』討伐が如何にして、人々に知られたか、その原因を……私たちをこの一日に閉じ込める・・・・・ために」


 ジャンヌのきっぱりとした答えに――三人共が表情を固くする。

 世界神アシアの手によって『巻き戻し』が行われていることはもはや疑いようもないが、そのアシアがわざと『巻き戻し』を起こるようにしているのなら話は違う。

 これは、並大抵のことではこの一日を脱することは出来なさそうだ。

 そう確信を持った四人が口をつぐむ中で、『憩いの火』はただ静かに揺れていた。

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