よそ見の魔法

七谷こへ

第1話 ケルベロスとの戦い


 見渡せば草木しか見えぬような奥深い森を、すさまじいスピードでかきわけ、駆けてゆく影がある。


 影は、そよぐ木々の葉ずれに音をまぎれさせて進んだが、そのかすかな気配けはいを察した魔獣まじゅうは警戒の咆哮ほうこうを発し、清冽せいれつなる森の風をあらあらしく乱す。


 見れば、人の肉などたやすくやぶるであろう太く鋭い牙をむき出しにした魔狼まろうの頭が3つ、尾には禍々まがまがしくもあざやかな紫の炎を赫灼かくしゃくとともした、ケルベロスと呼ばれる一体のモンスターが森のなかから姿を現した。


 立ち向かうはひとりの男と、ひとりの女である。


 男はアサシンであり、布で顔を隠した黒ずくめの異装いそうで地をすべるように疾駆しっくし、敵と距離をつめながら暗器あんき投擲とうてき、かつ短刀をさやから走らせ手ににぎる。

 女はいかにも魔法使いらしく、先端のとがった大きな黒帽こくぼう目深まぶかにかぶり、いつでも魔法を放てるよう大ぶりな木の杖を前へとつき出しながら、男とは別の角度からじりじりと魔獣まじゅうへ近づいてゆく。


 男のすぐそばには、男にしか知覚し得ぬ見目みめ愛らしき小竜こりゅうの精霊が浮かんでいるが――いまは置いておこう。


 と、魔獣まじゅうへ一直線に駆けていた男が突如とつじょ方向を変え、ある一点へと向かう。

 どうしたことかとその先を見やると、迷いこんできたらしい村のこども(よわい5歳ほどであろうか)が、おそるべき異形いぎょうのモンスターを目にしてかたまってしまっていた。


 ケルベロスもまたそれに気づいたらしく、く息を吸いこんだかと思うと、骨まで溶かさんばかりの紫にかがやく劫火の息吹ファイア・ブレスをこども目がけてらす。

 まだかよわきこどもは、魔獣まじゅうにとって庇護ひごの対象どころか格好の獲物にすぎぬ。


 炎と男とが、こどものもとへたどりついたのは同時であった。

 大岩ほどに燃えさかる火柱ひばしらのなかに、黒ずんだふたつのシルエットだけが映っている。


「キギツさん!」


 女が、悲痛にみちた声音こわねで男の名をさけぶ。

 男と子とは、森の落ち葉にうずもれるすすと化してしまったのであろうか。


 いや、見よ。魔獣まじゅうのはるか上空に浮かびし男の姿を。

 こどもを抱えて、まばたきするほどの刹那せつなに高くびあがっていたのだ。


 が、空中では身動きがとれぬ。これは悪手ではないか。

 3つの頭部、6つのまなこであたりをうかがっていたケルベロスは、ふたりに気がつくとすべての顔をくうへ向けてふたたび炎をくべく息を吸いこむ。


「いまだ!」


 落ちながら、男がさけんだ。

 その言葉を受け、女が杖をかかげて瞑目めいもくすると、おごそかに魔法をとなえる。



  恋々れんれんたる指よ手よ

  幽冥ゆうめいのあわいに沈む君よ

  竜瞳りょうどうすべからく虎視こしすべし

  末期まつごまでは一弾指いちだんしかん


  <私のことだけを見てオート・フォーカス



 すばやい詠唱えいしょうののち、女の発した光がケルベロスの頭部をつつむや、突如としてグリンッと3つの頭部が女のほうを向いた。

 天をあおいでいたはずの魔獣まじゅうが戸惑ういとまもなく、上空から落下した男――キギツがその延髄えんずいを短刀にて刺しつらぬく。


 急所を突かれた魔獣まじゅうは二、三歩、その場でふらつくとどうと音を立てて倒れた。


「キギツさん、やりましたね!」

 

 それを見とどけ、安堵した女――シェーナが声をかけながらキギツへと駆け寄る。

 キギツは勝利のよろこびを仲間とわかちあうそぶりも見せず、魔獣まじゅうの血にまみれながら無表情に死骸しがいを裂いて体内の魔石をほじくり出していた。

 尾の炎が消えたあとにはヘビが現れ、素材回収とギルドへの討伐とうばつの証明をねて切りとる。


「あれ、あの、さっきのお子さんは……?」


 シェーナが問うと、キギツはなにも言わずに頭上をした。

 この男は、どうもことばが足りない。もっとコミュニケーションを積極的にとってはどうなのか。


「うわーん!」


 ふたりで見あげると、背の高い木の葉にからめとられた状態で、先ほどのこども(男の子であった)が泣いていた。

 シェーナからは見えていなかったようだが、キギツがジャンプした際にこどもをポイッと放り投げていたためだ。


「な、な、もうちょっとやさしく……! いま助けますからね!」


 シェーナが男の子にむかってさけぶと、太い木の幹によじよじとしがみついてのぼっていこうとする。

 が、生来せいらいの運動オンチがたたってか、少しのぼってはズリズリとずり落ちるのをしばしくり返していた。


「くっ……! これしきの木、登れないわけがあるかぁっ!」


 シェーナは口先だけはいさましくひとりでつぶやいているが、キギツは魔石を無事にとり出したあと、あきれたようにふぅと息を吐いた。

 さっと跳びあがり、男の子の背なかを引っつかむと、ひと呼吸ほどの時間で地上へとおろして見せる。

 ただ、うつぶせにもってきてそのまま手をはなすものだから、男の子は「ぶぇ」と顔を地面に打ちつけてまた泣いた。


(空中で抱えつづけていたら、自分が失敗したときにその子が巻き添えをくうから逃がしたんだろう? そういう意図をちゃんと説明しなさい。それが人とのコミュニケーションというもので――)


 キギツの脳内に語りかける凛々りりしき声がある。

 これがなにあろうこの私、キギツの守護霊でもあり、誇り高き、姿も愛らしき竜の精霊でもあるドゥラミケである。サイズが少々小さく、子ネコほどしかないのはご愛嬌あいきょうだ。


 キギツにしか見えず、声も聞こえないものの、キギツが生まれたときから見まもっておりスペシャルかわいい私が不器用なこの男にコミュニケーションのなんたるかを教えてあげようとしたのだが――


(黙れ)


 脳内で端的たんてきに切り捨てられ、キギツの顔色にはいささかの変化もない。


「あ、あ、だいじょうぶですか」


 とシェーナは男の子が泣くのをオロオロとなだめる。


「こ、この近くだとサーブ村の子ですかね。ととと、とりあえずそこまで送りましょうね」


「自業自得だろう。放っておけ」


「こここんな魔物が出るところに放っておくなんて……! そんな、そういうのは、よくないんじゃあ……ないですかねぇ……たぶん、ですけどぉ」


 シェーナがモゴモゴと反論らしい反論もできずに不同意だけは態度で表明していると、じきに兄らしき少年があらわれた。

 男の子が安心したのかまた号泣し、兄にしがみつく。


 すみませんすみません、ありがとうございますと兄がペコペコと頭をさげるのをアワアワとシェーナが聞き、キギツはすでにスタスタと歩いて去りはじめている。だから人とコミュニケーションをとれと言うのに。

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